「ラス婚~女は何歳まで再婚できますか?~」― 第8話
伊藤有紀、フリーライター。49歳と10ヶ月。10年前に夫を亡くしてから、女手ひとつで息子を育ててきた。1浪の末、息子が大学合格。ほっと安堵する以上に、子育て完了の寂しさがこみあげて。この先40年も続くかもしれない人生、ひとりで生きていける気がしない。それならと50歳を目前に控え、慌てて婚活を始めてみるが……。<第8話>
●第8話の登場人物
伊藤有紀(いとうゆき/49歳・フリーライター・50歳目前にして婚活を開始)
伊藤陽向(いとうひなた/19歳・大学に合格。母の再婚話に、意外な反応を)
矢野瑛子(やのえいこ/48歳・婚活マナー教室講師・有紀の親友)
●ここまでのあらすじ
わたしは伊藤有紀、仕事はフリーライター。10年前に夫を交通事故で亡くしてから、ひとりで息子を育ててきました。息子・陽向(ひなた)が大学生になったのを機に、婚活を開始することに。婚活会話教室で講師を務める親友・瑛子のアドバイスで、マッチングサイトPairs(ペアーズ)に登録。でも本格的に婚活を始める前に、母の再婚をどう思うのか、今夜こそ息子の真意を確かめようと……。
■息子とふたりで生きてきた日常を、わたし、本当に変えられる?
昔なら「片親」と言ったものを、いまどきは「ひとり親」と呼ぶ。父親か母親、どちらかひとりきりで子育てしている親を公的にそう呼ぶようになったのは、一体、いつ頃からだったろう。
「片親」と呼べば、足りないもう片方を思わせてしまうから、「ひとり親」。意図が透けて見える言葉の置き換えは、当事者であるわたしに、うっすらとせつない。
ガチャ。ふたつある玄関の鍵のうちひとつめが動く音が聴こえると、体が勝手に動き出す。もう一度、ガチャ。そしてドアが開き、陽向(ひなた)の声が響く。
「ただいま!」
その声を耳にするたび、わたしの余分な思考は溶けて、ひとり立つ親としてのスイッチが入るのだ、いつも。「おかえり~。寒かったね」
懸命に階段を駆け降りて出迎えた陽向の顔色を、今夜は、ついうかがってしまった。わたしの再婚についてどう思うのか。彼の本音をなんとか聞き出すのだとこころを決めた、緊迫の夜だから。
「腹減った~」
母の胸のうちなど知るよしもない息子が、せつなげに叫ぶ。はいはい、もうすぐできますからね、と笑ってキッチンに戻る瞬間、どうしようもなくあたたかなものがこみあげ、胸を満たすのに気づいた。その情動に名を与えるとすれば、やはり「幸せ」ということになるのだろうか。ひとりの親と、ひとりの息子。たったふたりきりの、ささやかな家族。
どれほど陽気に笑い合っても、頼るもののない不安から逃れられはしない。いつどの瞬間も、わたしは何かにすこし怯えている。けれど、だからこそ、何気ない日常に息づく幸せに敏感でいられもするのだ。
ありふれた朝、他愛ない午後。陽向が話す、笑う、食べる。そんな、本当に何気ない日常の光景を、愛して、抱きしめて、生きている。今日も。
この暮らしを変えることなんて、本当にできるんだろうか。誰かを迎え入れて3人になるとか、その誰かとわたしがふたりになり、陽向をひとり、巣立たせるとか……。
■覚悟を決めて切り出した“仮定”の再婚話。息子が見せた反応は
ポークピカタを、たっぷりの大根おろしとポン酢で。そこに、具だくさんのおみそ汁と、作り置きの副菜と。いつも通りの地味な夕食を終えたあと、わたしはそわそわと落ち着かない。
「あ、クッキー食べる? お隣からいただいたんだ。村上開新堂……」
「話があるんでしょ? クッキーとかいいから、何。友達とスカイプする約束あるから、早くしてほしいんだけど」
いつもながら怖いくらい察しのよい息子に促されて、わたしは陽向の隣に腰をおろした。さあ、もう覚悟を決めるしかない。
「あのね、もしもの話よ。もしも、万一……」
「だから、何? 再婚でもするの」
「ええっ、いや、いやいやいやいや、そんな話ないって。やあね、もう。はは」
「じゃあ何」
「あ、だからね、今はもうまったく、影も形もないの、そんな話。でもさ、ほら、もしもね……」
「もしも再婚することになったらって? 賛成に決まってるじゃん。生活のために働かなくていいようになるのって絶対いいよ。再婚しなよ、できるんだったら。まあ条件を挙げさせてもらうとしたら、そうだな。母さんを充分に養えるだけの甲斐性があって、知的で、清潔感あって。おしゃれなひとがいいよね。ユニクロ大好きの母さんと違って、僕はおしゃれな青年なんで。ははは」
ウソ。息子、絶対ウソついてる。強がってる。本音ではきっと……。
「あ、念のため言っとくけど、ほんとは再婚しないでほしいくせして、親の前では強がってとか、ありえないから。そんなの、ドラマの中の話だからね。本気で再婚できるといいなと思ってます。まあでもあれじゃない? ダイエットしないと無理じゃない? 言っちゃなんだけど、60kgは軽く超えてるでしょ、母さん。そのままじゃ再婚は……ね。まあがんばって。じゃ!」
■助けて、瑛子!Pairsに押し寄せる「いいね!」
終了。息子は母の再婚を、むしろ歓迎している。間違いない。たたたっとリズミカルに階段をのぼり自室へ向かう後ろ姿を見送って、わたしはあんぐりと開いた口を閉じようがなかった。陽向ってば、超ドライ。現実主義。繊細このうえない母と血のつながった子とは、到底思えやしない。ああそうか、亡き夫の単純な血が濃く出たのか。
眉間に軽くしわを寄せたまま、ベランダに出て、夜空を見上げてみる。どこよ? パパ。陽向ったらあなたに似て、情緒ってものが欠落してるみたいですけど?
さて、最大の関門はあっけなく突破できてしまった。瑛子にLINEで報告しようかとスマホに手を伸ばして、わたしはさらに仰天することになる。Pairsからの「いいね!」の通知で、スクリーンが埋まってるんですけど。どうするの、これ。助けて、瑛子~!
(第9話につづく)
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