「ラス婚~女は何歳まで再婚できますか?~」 ― 第11話
伊藤有紀、フリーライター。49歳と10ヶ月。10年前に夫を亡くしてから、女手ひとつで息子を育ててきた。1浪の末、息子が大学合格。ほっと安堵する以上に、子育て完了の寂しさがこみあげて。この先40年も続くかもしれない人生、ひとりで生きていける気がしない。それならと50歳を目前に控え、慌てて婚活を始めてみるが…。<第11話>
●第11話の登場人物
伊藤有紀(いとうゆき/49歳・フリーライター・50歳目前にして婚活を開始)
伊藤陽向(いとうひなた/19歳・有紀のひとり息子。母の再婚に賛成している)
矢野瑛子(やのえいこ/48歳・結婚相談所付属の婚活マナー教室講師・婚活に向け有紀を叱咤激励してくれている)
藤崎和江(ふじさきかずえ/56歳・瑛子が勤める業界最大手の結婚相談所相談員)
●ここまでのあらすじ
わたしは伊藤有紀、仕事はフリーライター。10年前に夫を交通事故で亡くしてから、ひとりで息子を育ててきました。50歳も目前になって、急遽婚活を開始することに。親友・瑛子のアドバイスで、マッチングサイトPairs(ペアーズ)に登録。銀座にある結婚相談所にも登録するつもりで、面談に向かうのだが──。
■結婚相談所で初面談。緊張の面持ちで銀座へ参上するも……
「はあ、緊張するなあ、もう」
東京メトロ・銀座駅から徒歩5分という好立地に建つ、レンガ造りの重厚なビル。
ここ8階に入居している業界最大手の結婚相談所「アプリーシェ」で、私はこれから初めての面談を受けることになっている。
生来ひどいあがり症の私は、不慣れな街・銀座で苦手な面談を受けることのプレッシャーに圧され、今日もひどく緊張している。すでに少々胃が痛い。
無人の受付に備えられた内線電話の受話器を、よし、と覚悟を決めて取り上げた。
「すみません。14時にお約束した伊藤ですが」
廊下の奥から颯爽と秘書風のスレンダーな女性が現れ、面談室へと案内してくれた。
ふかふか。毛足の長い絨毯が敷き詰められている。
銀座って、絨毯までこうも違うんだな。
「藤崎がすぐまいりますので」
藤崎? うそ、瑛子も来てくれるものと思ってたのに……。呆然と立ち尽くしているところへ、その女性と入れ代わるように、藤崎という女性が姿を現わした。
身長は152cm前後といったところだろうか。体重は60kg台後半? 満腹の豆ダヌキのような小太り体型が私とそっくりで、俄然親近感がわく。もっと銀座っぽいキレイな人が来るのかと思って身構えてたけど、この人なら気が楽。よかった~!
のしかかっていた重圧から解放されて、私は心からほっと安堵した。ところが、である。
■再婚は身のほど知らずな夢?打ちのめされる私
「伊藤さん、ですね?」
口もとにはかろうじて笑みを浮かべている。けれど目がまったく笑っていない藤崎女史は、手元の書類に目をやり、私の全身をちらっと一瞥するなり、皮肉たっぷりにこう言ったのだ。
「まだまだお寒いですものねえ?」
「あ、はい。え?」
「そのコート、とっても素敵ですわね。お似合いだわ。熊かと思いました」
熊……。熊かと、思った?
1番いいコート、着てきたのにな。奮発したコム・デ・ギャルソンの……。これ、銀座には着て来ちゃいけなかったんだ。そうわかった途端、身の置きどころがどこにもない気がして、胸がチクンと痛んだ。
「すみません、あの、私……」
こんなとき、どう返せばよいのかわからない愚鈍な私は、もたもたと不器用にボタンを外し、ギャルソンの黒いコートを、それでも精一杯急いで脱いだ。
いつのまにか控えていたさっきの秘書風の女性が、さっと手早くコートを受け取り、部屋の隅に立つコートラックに掛けてくれる。
これだってだめなんだろうな。中に着てきたえんじ色のコーデュロイのワンピース。去年のユニクロの。ボタンが留まるちゃんとした服、これしかなかったから。最近また太ったし。
「お掛けください。伊藤さん、でしたね? 49歳。まあまもなく50歳ですよね。再婚なさりたいと。それ、あなた本気でお考えですか?」
「あ、はい。えっと、一応。あの……」
もう隠すそぶりすらなく、私の髪、顔、服、すべてを鋭い視線でじっくりチェックした藤崎女史は、書類に何かを細かく書き込みながら、こう宣告したのだった。
「50歳でもね、52歳、3歳でも結婚できる女性はいらっしゃいます。この業界、ここ3年でずいぶん状況が変わりましてね。シニアの結婚、一気に活性化してきてはいるんです。ただ……」
ただ、何? テーブルの下、思わずワンピースを握りしめた。
「成婚までいかれるのは、おキレイな方だけです。まあ百歩譲っても、これならまあね、というルックスの方だけ。申し上げたいこと、わかっていただけますよね?」
頬がかあっと熱くなるのがわかった。まもなく50歳になる、おばさんもいいところの私。
小太りで、お腹に分厚い脂肪ベルトが巻きついてて、笑ったときのシワなんて、自分でもゾッとするほどすごくて。
伸びきった髪を今日も無理やりギュッと結わえてきた、ギャルソンの黒いほつれコートを後生大事に着てる私。そんな私が再婚だなんて、図々しい、身のほど知らずな夢だったんだね。
Pairs(ペアーズ)で「いいね!」なんかもらったりして、私にも未来が待ってるんじゃないかって思い始めてた。考えてみたらあれ、顔写真出してないんだもんね。プロフ画像は、白い花。トシだけどまだキレイな女性なんじゃないかって、男性たちを錯覚させちゃっただけ。恥ずかしいな。なんか……消えてしまいたいや……。
目のふちも熱くなって、視界がじんわりにじみ始める。油断すると本気で涙になりそうだったから、私はくちびるを噛みしめて俯き、テーブルの下、懸命に太ももをつねって堪えた。
■「ごめんね、おひとりさまのまま長生きしちゃったら」。涙が流れた瞬間、あの人からのメールが
結局そのまま瑛子に会うことなく面談が終わり、私はとぼとぼと相談所をあとにする。週日とは思えないほどにぎわう銀座の街を駅へ向かって歩くうち、仕事の連絡が来ていないか、ふと気になった。
立ち止まり、トートバッグにごそごそと手をつっこんで、スマホを探す。指先にキーホルダーのフェルトが触れた。取り出して、てのひらに載せ眺めてみる。陽向(ひなた)が小学校の修学旅行で買ってきてくれた、スヌーピーのやつだ。
「ピンクの帽子かぶってるからこれにしたんだよ。母さん、ピンク好きだからさ」。そう言って笑った、まだ幼い陽向の顔が浮かんだ途端、我慢していた涙がぽろり、頬を伝った。ぽろり、そしてまたぽろり。陽向……。
ごめんね、母さん甲斐性なしで。ちゃんと再婚して陽向を安心させたかったのに、無理みたい。おひとりさまのまま、もし長生きなんかしちゃったら、迷惑かけちゃう。ごめんね……。
小さなスヌーピーが、手のひらで無邪気に笑っている。
そのとき、バッグの中でスマホが光った。メール?
コートの袖口でぐいっと涙を拭って、スマホを取り出し、画面を確かめてみる。新着メール1件。差出人は、MASAYUKI.SOGA……。SOGAって、まさかあの?
反射的にメールを開こうとした指先が、なぜかクリックをためらう。昔好きだった人。ふたりで歩いた鎌倉の町並みがよみがえる。趣のあるカフェ、チーズケーキを「あ~ん」って……。
好きだった。好き同士だと思った。それなのにある日突然、私は知ったのだ。彼が別の人と結婚するって。もう婚約も済んでるって。
手ひどくフラれたあの人からの、思いがけないメール。
あまりの動揺に、ダダダ、と鼓動が高鳴る。
なぜ唐突に連絡を?
銀座の喧騒が、次第に遠のいてゆく──。
(第12話につづく)
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