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さみしさに襲われていた僕が、さみしさを受け入れるようになった話をしたい

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久しぶりにひとり暮らしに戻ったとき、僕はさみしさと同居するようになっていた。仕事を詰め込み、充実した日々を過ごしていても、さみしさはふとした瞬間、容赦なく襲ってくる。時間がさみしさを解決してくれるかな、と耐えていたけれど、“あの日”を境に「孤独」は感じても、「さみしさ」を感じることは減ったのだ。

さみしさに襲われていた僕が、さみしさを受け入れるようになった話をしたい

ひとり暮らしに戻ったのと同時に、さみしさと同居するようになった。

さみしさを紛らわせるように仕事を詰め込み、一見充実しているように見えても、ふとした瞬間にさみしさが襲ってくる。

普通に生活をしていれば、小さな子どもを連れた親子に出会うし、日中に出歩けば保育園の散歩の集団に出くわすこともある。そんなときに自分の子どもを思い出し、どうしているかなあと思い巡らし、さみしさが襲ってくる。

生活をする上で不可避ともいえるので、このさみしさ対策はどうすればいいのかと頭を悩ませていた。解決策は見当たらず、時間が解決するとほったらかしにして、耐えていた。

けれど、4月29日。この日を境に孤独は感じても、さみしさを感じることは少なくなった。

■「幸せの定型」を見て、さみしくなるかと思ったけど

僕は練習と取材を終えて、総合格闘技のクラスで指導するため、八王子に向かう電車に乗っていた。

そこで子どもを抱いた奥さんと旦那さんの一家に出会う。10連休の前半、家族で買い物か、催しものに行った帰りだろう。幸せの定型とされる絵だからこそ、容易に想像がついた。

その家族が気になったのは、「綺麗な奥さんだな」と思ったいかにもな動機からだった。男女共に結婚すると、慣れ合いが生じて、妥協してしまう部分があるとは思うのだけれども、その人からは綺麗でいようとする意識が感じられた。

僕はいつもと同じように、自分にもこのような定型ともいえる幸せの形があったなあと、さみしさを呼び込む前段階に入っていた。この後気持ちが落ちるとわかることで覚悟もできるが、落ちるとわかるのもそれはそれで辛いものがあるのだ。

でもその日は違った。

旦那さんがスマホを確認した数秒後、遠くを見て、窮屈そうに渋い顔をした。奥さんは子どもに精一杯で気づきもしていないし、そもそも旦那さんに注意を払う余裕がない。

■家族の「辛い部分」を引き受ける覚悟は、もうない

旦那さんのその顔を見たとき、家族というものの幸せや楽しさだけではない、辛い部分が思い起こされた。しかも、たった今起きたかのようなリアルさをもって思い起こされたものだから、瞬間的に吐き気を催すような気持ちであった。

その瞬間、僕は観念したように思う。僕には家族で生きることで生じる辛い部分をもう一度背負う覚悟がないことを。

さみしさばかりに頭がいっているけれども、あらゆる物事には表裏があって、いいことがあれば、大変なこともある。むしろ楽しいことの方が少なく、大変なことの方が多いだろう。

随分都合のいい考えだと自分でも思うけれど、僕はそこを忘れて、さみしいとだけ思っていたのだ。

■知らなければ、人は目の前にある景色がすべて

今の僕は練習に仕事に全力で生きている。楽しく、充実した生活が送れていると思っている。

誰かと暮らすことは、大小の違いはあれど制限が加わる。僕はもう、その制限付きの生活に戻ることはできないと思う。

今の生活を知ってしまったから。バランスをとって、うまくやっていく自信もなければ、踏み出す勇気もない。

僕の目の前にいた家族は幸せな家族だと思う。家族と離れてから見る景色を知らないし、目の前にある景色がすべてだろう。

知らない方がいいことや見えない方がいいこともある。もしも独りになったときの景色を知っていたのだとしたら、我慢できることもできなくなる場合もあるだろうし、妥協のハードルが下がるのだと思う。

結婚して家族を持つことが幸せだと信じている当事者は、漠然とかもしれないけれど、独りになることへの恐怖を感じていると思う。何があろうと家庭を維持したいし、壊してはいけないと信じている。

生きていく最中で浴びる、教育や情報 のシャワーの中で、結婚して家庭を築くことが幸せとする価値観が、今でも根強くあるからこそ、別居や独 身に戻ることをネガティブに捉え、恐れるのも無理はない。

■さみしさを受け入れるようになった

それ以来 、さみしさを感じることが少なくなった。今後もふとした瞬間に出るのかもしれないが、さみしさに対しては観念している。さみしくないのではなく、さみしさを受け入れているのだ。

人生を諦めるわけにはいかないし、生きていくしかないのだから、目の前のことを受け入れ、コツコツと生きていくしかないのだ。明日もまた生きる。

僕のこれからの人生はどうなるのか。想像もつかない。図々しくも長生きすると仮定して、老後もひとりで生きるのかと不安になることもある。いつ人生に終わりが来るかもわからないのに、生きる前提で考える図々しさ、 身勝手さと意味のなさも感じる。

ひとりで生きていくのかもしれないし、誰かと生きてくのかもしれないし、シェアライフ的に皆で生きていくのかもしれない。

自分の考えがどう変わるのかもわからないし、世の中がどう変化していくのかもわからない。あれこれ考えても仕方がないし、目の前にあることを必死 に取り組み、全力で愛せばいいのだ。

僕は5月17日に格闘技のタイトル防衛戦をする。前回の試合が3月31日で、世界タイトル戦だったから、少し期間を空けて、休んだり余韻に浸ったりするのが“通例”だ。だけど、僕はすぐに試合をしたいし、試合のオファーには即答した。目の前のことに必死に取り組み、愛することが大切だと思うから。

どんなことであれ、成功だったか失敗だったかなんて、すぐにはわからない。答え合わせはこの先だからこそ、今を懸命に生きて、今を懸命に愛していこうと思う。答え合わせはこの先だ。

画像/Shutterstock

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青木 真也

プロ格闘技選手。1983年静岡県生まれ。修斗ミドル級チャンピオン。DREAM、ONEライト級チャンピオン。格闘技選手としての活動だけでなく、執筆、プロレス、講演など活動中。格闘小作農として地道に活動しています。著書に『ストロ...

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