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「あなたが好きなことをしたらいいよ」

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10連休のリレーエッセイ企画「忘れ得ぬあの人の言葉」。かつて好きだった人から受け取った、忘れられない言葉の想い出を振り返ります。就職したての頃、揺れていた僕の人生が変わったのは、彼女が「好きなことをしたらいいよ」と、唯一の味方になってくれたときだった。

「あなたが好きなことをしたらいいよ」

今から13年前、新米警察官として就職した僕は悩んでいた。

新卒1年目。社会とは何かわからないまま、やりたいこともなく、漠然とした不安を前にとりあえず就職。やりたい仕事がないと悩む多くの人と同じく、僕も仕事について悩んでいた。

当時の僕の状況を説明しようと思う。

僕は学生時代からプロ格闘技選手として活動していた。1試合のファイトマネーは数万円、よくても二桁万円。プロとは名ばかりのプロだった。

この道を目指す誰もが一度は叶えたい、憧れのプロ格闘技選手生活を大学生の間に満喫しようと、親の反対を押し切って始めていた。

ただ選手活動をするにつれて、これでは生活が成り立たないなと思ったし、中途半端に賢い僕はリスクの多い人生よりも安定した人生を送ろうと考えて、就職することにする。

ひとりっ子でひとり息子の僕に、地元静岡に帰ってきてほしいと思っていたであろう父の意向も忖度して、地元の静岡県警に合格して、就職することになる。

そのときの両親のホッとした顔も、その顔を見てとりあえずよかったなと自分でも思ったのも、未だに覚えている。

ここまではすべてがうまくいっていた。好きだった格闘技は大学時代に完全燃焼したと言えるくらいやりきって、安定した公務員として働きながら、定年までのんびり暮らしていく。しっかりした人生設計のように見えるし、今の僕が聞いても反対はしないと思う。

■自分の夢に嘘を吐くのは苦しかった

しかし、卒業を間近に歯車が狂う。

2006年2月17日、格闘技団体「修斗」の世界タイトルマッチに挑み、世界タイトルを獲得した。当時は格闘技ブーム。飛ぶ鳥を落とす勢いだったメジャーイベント「PRIDE」からのオファーが舞い込む。ここで状況が一変するのである。

それまでのファイトマネーでは、とてもではないが生計を立てられなかったが、「PRIDE」が提示してくれたファイトマネーは生計が立つどころか、貯金ができる。

好きなことをして生きていきたい――諦めていた思いが湧きあがってくる。

悩みに悩んだが、警察という就職先も決まっていたし、リスクをとって生きる覚悟が固まらず予定通り就職する。

警察官は新人研修として、全寮制の警察学校に入校する。そこで警察官としての基本を叩き込まれるわけだ。この警察学校というのが、これまた大変だった。

携帯電話の所持は禁止だし、外出もできないので、外部との連絡が一切できない孤島状態。公衆電話の使用と手紙のやりとりだけは許されているので、今では見かけないような公衆電話の取り合いや、手紙が届いているかドキドキするような絵が見られる。現代人であればあるほどストレスであると思う。

警察に就職したものの、「格闘技」への想いと期待は消えることがなく、むしろ増す一方の生活を送る。

やりたい仕事は何だと聞かれて、同期が白バイや鑑識と言うのに対して、僕は答えることができずにいた。

やりたいことは格闘技なのだけれども、「格闘技です」と言うほど空気を読まない男ではなく、とりあえず「機動隊です」と答えると歓迎された。夢ややりたいことを尋ねられる瞬間が苦痛以外の何物でもなかった。

■好きなことをすればいい、と押してくれた唯一の味方

当時、僕にはお付き合いしている7つ上の彼女がいた。

手紙でやりとりする中で「格闘技をやりたい」旨を伝える。最初は彼女もがんばって警察官として続けていく人生を推していた。

当時29歳という年齢もあって、彼女も僕に何かしらの期待をしたんだろうし、それもまた多くの女性が思うことと同じだと思う。彼女に悪いことをしているような気もするけども、僕の人生だしなと思ったことを今も覚えている。

何度も彼女と文通をした。

過酷な格闘技の世界でいかにして生きていこうと考えているのか、想いと策を何度もプレゼンテーションした。今となってはする必要もないし、勢いだけのプレゼンテーションだったと思うのだけれども、彼女を根負けさせるには十分の熱意だったのだと思う。

何度目かの手紙には「あなたが好きなことをしたらいいよ」と記されていた。

その言葉で味方ができたような気がした。当時、僕の周りには「好きなことをすればいい」という当たり前のことを肯定してくれる人がいなかった。彼女の言葉で格闘技選手をやっていこうと思い、格闘技選手として生きていく覚悟が決まったように思う。

手紙をもらった次の週末、僕は辞表を提出した。
彼女ともそれからしばらくしてお別れした。

「自分には夢がないから青木真也を応援することに喜びを感じている」。そんなふうに話していた彼女のことが好きだったはずなのに、僕の夢に乗っかられているような気がして、それが嫌になってしまった。

今も昔も青木真也は青木真也だなと思う。青木真也と付き合うには覚悟がいるんだと思うし、僕も青木真也と付き合うのは苦労している。青木真也は本当に自分勝手だ。

■だからこれからも、好きなことをコツコツと

好きなことをしたらいい。

今もこの言葉を大事に好きなことを懸命にやっている。13年前、僕にそんな言葉をくれた女性が、今何をしているかはわからないし、連絡先さえ知らない。

自分を取り巻く環境も変わっている。ただ、自分が好きなことをする生き方は変わっていないし、むしろ先鋭化している。

23歳で「好きなことをしたらいい」と背中を押してくれた彼女には感謝している。

僕に対してどんな感情を彼女が持っているかはわからない。ただ僕はありがとうという気持ちがあり、幸せに楽しく生活していてほしいと思う。もしも困ったことがあればいつでも言ってくればいいし、いつでも助ける気持ちを持っている。

これからも好きなことを懸命にコツコツとやっていこうと思う。
この先も23歳の覚悟と決心を価値あるものにしてゆくのだ。

10連休特集「忘れ得ぬあの人の言葉」

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青木 真也

プロ格闘技選手。1983年静岡県生まれ。修斗ミドル級チャンピオン。DREAM、ONEライト級チャンピオン。格闘技選手としての活動だけでなく、執筆、プロレス、講演など活動中。格闘小作農として地道に活動しています。著書に『ストロ...

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