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独りになった僕は、家族の元へ帰った。愛して赦した先に、幸せが待っている

自分でつくった家族がいなくなり、独りになった僕は、もとの家族のところへ帰った。僕も親も、僕も子どもたちも、どんなことがあったとしても、いつまでも親子だ。親の愛に救われたあと、目の前にあるものを全力で愛する生活をしようと改めて感じた。愛すること、赦すことの先に、豊かさや幸せがあるのだと思う。

独りになった僕は、家族の元へ帰った。愛して赦した先に、幸せが待っている

5月中旬、シンガポールで大きな試合を終えた僕は、実家のある静岡に帰省することにしました。

東京にいても独りの部屋で時間を過ごすだけだし、孤独と退屈さを我慢できずに練習や仕事を入れてしまうので、あえて東京から離れたのです。

身体を休めること以上に、メンタルを休ませたいと思ったのが本音で、それは同時に身体を休ませることにもなります。

■当たり前にあった幸せを手放すつらさ

僕の両親は僕の子どもたち、彼らにとって孫にあたる子たちを溺愛していました。実家には孫たちの写真が飾ってあったし、小学校に入学したらランドセルを送り、孫の服や食べ物を送ってくる。

そんな両親の姿を見て嬉しかったことを記憶しているし、両親も楽しそうにしていました。僕には言わないけれど、今も愛していることでしょう。

ただ、僕の家庭が壊れると、両親と孫たちにも距離が生まれます。状況が落ち着くまで、僕と両親はぶつかることが多かったです。何も関係ないことで互いにぶつかるようなことを繰り返しました。

今、衝突せず仲良く話すことができるのは、両親がズタボロの僕に気を使っているのが大きいと思います。

僕が子どもと会えない状況になると、両親も当然に孫とは会えない状況になりました。

僕の家庭が壊れる。僕自身が子どもたちと会えなくなることに関しては、自己責任であるし、仕方がないと思うのだけれども、両親からするとまったく関係のないことです。

一度手に入れた幸せを手放すことは、想像でしかないけれども、つらいことは明らかでしょう。そこに関しては、申し訳ない気持ちをずっと持っていて、僕が一番引っかかっていたことのひとつだと思います。

自分が我慢すればいいことはどうとでもなるけれども、他者が我慢することに関しては案外、打たれ弱いところがあります。今も申し訳ない気持ちを抱えて生きています。

■僕と親も、僕と子どもたちも、どんなことがあっても親子

帰省して実家に入ると子どもたちの写真がなくなっていました。

存在が消えたわけではないのだけれども、もう会えないと観念したのだと思います。飾ってあった写真はなくなって、僕が出ている雑誌や僕の著書が飾ってありました。

存在や記憶が消えたわけではないのだけれども、孫のことを考えるとつらいから、生活の意識からは消そう――両親もそんなふうに闘っているんだと考えて、また気持ちが軋むのだけれども、気がつかないフリをしてやり過ごしました。

滞在中に母が、「◯◯(二番目の子)が来年小学校に入るから、ランドセルを買ってあげたいね」と発したのは、ふっと漏れてしまった本音だと思っています。

僕は時間が経つことで気持ちに距離ができて、寂しさとか辛さはなくなってきているのだけれども、そんな言葉を聞くと申し訳なく思う感情が湧いてきます。

滞在中に両親は僕に対して愛を注げるだけ注いでくれたように感じました。

いつまでも親は親で子は子なのです。僕が失敗しようと味方でいてくれるし、僕が36歳まで競技を続けてこられたのは、幼少期に肯定し続けてくれた両親がいたからだと思っています。

いつまで経っても、どんなことがあっても親子は親子です。僕と親もそうだし、僕と子どももそうだと思うと、気持ちが楽になってきます。

両親の優しさは東京で独り暮らしをしながら、自分の目標と闘う生活をしている身には染み渡りました。

家族で食事を囲むなんて何年もしていないわけだし、何かと心配してくれる気持ちがありがたかったです。

ただ、このままここにいると闘うことができなくなると感じて、予定を早めて東京に戻ることにしました。心地よくて幸せな空間だけれども、ここにいたら闘えなくなるのです。ハングリーで満たされないから前に進めるのだと、僕はわかっています。

■愛すること、赦すことの先に幸せがある

東京に戻るとき、18歳で東京に出てきたときと同じ種類のさみしさを感じました。

新幹線の中でnoteを書きながら、涙が出てきました。自分の責任で迷惑をかけている。それでも愛を注いでくれることのありがたさを感じました。

その愛から離れることで、自らを孤独に追い込んで闘っていくわけだけれども、その孤独に対する涙が溢れてきました。

また東京での生活を再開します。闘っていくのです。

目の前にあるものを全力で愛する生活をしようと改めて感じました。愛すること、赦すことの先に、豊かさや幸せがあるのだと思っています。

僕は仕事でもプライベートでも愛し、赦して生きています。完璧な人はいないのだから、練習仲間や仕事仲間、恋人でも、優れたところもあれば欠けている部分もある。

欠けている部分に目を向けて、突き放すこともせず許容しています。そこには愛があるからだし、愛があるから赦して生きていけるのだと思う。

生きていたら間違いもあるし、つらいこともあります。納得いかないことも許せないこともあるでしょう。ただ赦して愛していきたいです。

自分自身が愛されることで前を向けることが多々あるし、周りに恵まれて救われてきています。

今、目の前にあるものを懸命に愛そうじゃないか。愛することが怖いこともあると思う。

いいから目の前にあるものを懸命に愛そう。きっと豊かな人生が待っているから。

オレたちはファミリーだ。

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青木 真也

プロ格闘技選手。1983年静岡県生まれ。修斗ミドル級チャンピオン。DREAM、ONEライト級チャンピオン。格闘技選手としての活動だけでなく、執筆、プロレス、講演など活動中。格闘小作農として地道に活動しています。著書に『ストロ...

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