「誤解を埋めたいなら話せばいい。言葉は武器だよ」
10連休のリレーエッセイ企画「忘れ得ぬあの人の言葉」。かつて好きだった人から受け取った、忘れられない言葉の想い出を振り返ります。今宵は、診察室で始まった恋の話。かつて周りから見た自分と本来の自分とのギャップに悩んだという、編集者・エッセイスト 藤田華子さんの寄稿です。
恋人に言われた忘れられない台詞……思い出してみたらどの恋にもそういうハイライト的な瞬間があって、何にしようか悩んだんだけれど、いまなお、心が折れそうになったときに私を支えてくれる言葉をセレクトしました。さすが、名医だった恋人。
■「診断は、『見た目とのギャップあり』」
「よく、しっかりしてるねって言われるけど、全然そんなことない」
「癒し系だねって言ってくる奴は、本当の私をわかってない」
周りから「あなたってこういう人よね」と悪気なく背負わされる人間像に、悩んだ経験のある方多いのではないでしょうか。かくいう私も、居心地の悪さを抱えて生きてきたひとり。
たとえば、こう。
黒髪、色白、丸顔でフワッとしたルックスからか、「童貞の女神」と、銀杏BOYZ好きの男子に讃えられたこと。なんだそりゃ、「オタサーの姫」ですか? 断じて、女神なんかじゃない! 勘違い男子には、何ならどぎつい下ネタで応戦する「童貞にトラウマを作る系女子」というのが自己評価です。
他人が見る私と、自意識の間にできた深い溝。
それをはっきりと自覚させてくれたのは、大学時代に付き合っていた恋人だった。私たちが知り合ったのは、病院の診察室。彼は、胃痛に悩む私を診察してくれた医者だった。
私 「胃が痛くて、空腹になると前かがみでしか歩けなくなるんです」
医者「なんでそんなに痛むのか、心当たりはありますか?」
私 「お酒をいっぱい飲みます」
医者「グラス1杯とか?」
私 「いえ、a lot ofです」
医者「へえ、大酒飲みに見えないね。診断は、『見た目とのギャップあり』」
面白いものを見るような目で私を眺め、消化に悪い食べ物が羅列されたプリントの「酒」のところを赤丸で囲むと「ギャップ」と記した。
胃痛よりも、痛快な診断だったことを覚えている。
次の診察で薬が効かないと話したら「どんな飲み方をするの? 食事に行きませんか」とお誘いいただき、何度かデートを重ねるうちに恋人になった次第。遊ばれているのではなかろうかという不安を抱えながら、恋は用心深く始まった。人生は小説より奇なり。
■みんなが思うような私でなくてごめんね
付き合った期間は短かったし、そんなにデートもしなかった。でも、思い出すシーンがある。
それは晴れた昼間、丸の内にあるレストランに行ったときのこと。
まだ緊張が残る関係、都会の景色、洗練された店内。
何を話したらいいのか窮してしまった私は、世間から評される私と、リアルな私との「ギャップ」に悩んでいると、ポロッと彼に打ち明けた。
あなたの前にいる女は「本当の私をわかってくれる人なんていない(涙)」と、自意識をこじらせているヤバいやつなんですよ。あなたの診断は正しいんですよ。そんな心の澱を、吐露したくなったのだ。
外見だったり、社会的な役割だったり、「表面的なわかりやすいもの」と「実体」の差は、私たちを時に生きにくくする。
「しっかりしてそうなのに(意外とおっちょこちょいなんだね)」
「癒し系だと思ったのに(本当はワガママなんだね)」
「童貞の女神だと思ったのに(全然優しくしてくれないんですね)」
これらは、私が各所で言われてきた台詞たち。
歌人の枡野浩一はこんな短歌を詠んでいるが、私はどうしても「〜な人だと思ったのに」という定型文に苦しんでしまっていた。
人を騙しているみたい。あなたの思うような私でなくてごめんね、と。
往々にしてこんな風に悩む人は、小心者で真面目、自意識過剰なんだろう。誰に何を言われようとマイペースに、どーんと生きていける人になりたかった……。
■言葉は武器だよ
彼は笑いながらこう言った。
「誤解を埋めたいなら話せばいい。言葉は武器だよ」
周りが自分をどう捉えるのか、相手に委ねてばかりいた私にとって至極シンプルな回答だった。ギャップに悩み、自責の念に苛まれた10〜20代。勘違いしないでと相手にがっかりもしたけれど、果たして私は、十分に自分を伝える努力をしたか? 真面目に相手に向き合ってきたか? 残念ながら、猛省の余地あり。
想いを伝えるということは、勇気がいる。一歩間違えば「私が、私が……」と自己顕示欲の塊になってしまうし、引きすぎると、また似合わない人間像を背負うハメになる。
30代に突入し、他人から見られる自分のイメージを把握できるようになってきた。必要あらば、きちんと話す。「そんな人間ではないかもしれませんよ」って。
もう大酒を飲んでもそんなに驚かれなくなった(呆れられるだけだ)し、たまに「童貞の女神」と言われてもネタにして笑い飛ばせる。
医者とは最後、お互いに束縛がひどくなり、関係が歪んで泥沼の別れ方をしたんだけど、あの丸の内でのデートは完璧だった。
帰りの車中、彼は、ビリー・ジョエルの『Just The Way You Are(素顔のままで)』をかけてくれた。曲の始まりはDon’t go changing, to try and please me(僕を喜ばせようとして、変わったりしないで)。
恋愛って、どうして素敵なシーンばかり思い出すのでしょう。想い出と事実のギャップは、そのままにしておくことにしよう。
Photo/ぽんず(@yuriponzuu)
編集者、エッセイスト。休日はお湯に浸かって読書か場末の飲み屋。将棋、竹原ピストル、江國香織が好き。ベリーダンサーの時は別の名。