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合コン帰り、心のない優しさは敗北に似てる

連載『そんなこと言うんだ』は、日常の中でふと耳にした言葉を毎回1つ取り上げて、その言葉を聞き流せなかった理由を大切に考えていくエッセイです。#6では、異なるコミュニティにいる人、自分とは違った感性を持っている人たちへの想像力について考えさせられた言葉について取り上げていきます。

合コン帰り、心のない優しさは敗北に似てる

◼ご飯会の帰り道

6〜7年前のある日、内回りの山手線に乗っていた。飲み会の帰り、23時を回った頃だったと思う。

恵比寿で乗り込んできた女性2人組の片方が発した言葉が、今回取り上げる忘れられない言葉だ。

2人組は社会人1~2年目か大学生かといった感じで、ドア付近に立って談笑していた(筆者はOL、女子大生、女子高生といった言葉を使わないことにしている)。2人とも華やかで、ニコニコしていて感じがよく、そして絵に描いたような、いわゆる赤文字系ファッション。今はこの赤文字・青文字という分類自体あまり街場で効力を持たなくなってきているけれど、6〜7年前はもっと身近な概念だった。

彼女らが袖を通していたのは、MERCURYDUOかriendaかアルページュ系列かといった感じの、やや甘めのコンサバっぽいアイテム。見るからにモテる、というか、"モテ"という文化に積極的に取り組んでいるように見える人たちだった。

聞くともなく聞こえてくる2人の会話から察するに、彼女らが合コンの帰り道だということは自明だった(彼女らは"ご飯会"と呼んでいた)。相手方の男性を辛辣にこき下ろしたりするのだろうか、と筆者は勝手にそわそわしていた。ところが彼女らは男性の話をほとんどしなかった。そのご飯会には男性たちより気になる人がいたから。テーブルの自分たちと同じ側の席に。

◼まるであの子はエイリアン

筆者は種類の違う人間同士の出会いの場が心底好きだ。

別々のコミュニティで知り合った友達同士を引き合わせるのは本当にエキサイティングで、例えば官僚とインスタグラマー、ロリィタとギャルが同席する会を開いたときなんかは最高だった。何を話すか見当もつかない。みんな乗り気で来てくれたし、自分はそれぞれと友達だから責任が持てたので安心して進行できたけれど、こういう出会いが偶発的に発生した場合、相当気まずい状況に陥りかねない。本来怖いことだ。

人それぞれの属しているコミュニティの違いは相互理解の大きな障害になりうる。まったく話が弾まず、お互いがお互いをエイリアン扱いして終わってしまう不幸な結末を迎えるパターンも大いにあるだろう。

恵比寿で乗ってきたあの2人組にとって、合コンに参加した女性のうちのあるひとりも、そういった"種類の違う人間"だったらしい。
2人組の片方が神妙な顔つきで途切れ途切れ話す。

「なんかさ、わたしたちとか…友達みんな基本そうだけど、なんていうか、かわいくしてるじゃん。髪とかちゃんとしてて、こういうご飯会のときパーカーとか着てこない感じね」
「うんうん」
「楽しいじゃん、服とか髪とかちゃんとするの。でも、さっきいた子は……」
「なんか、違ったよね」
「だよね!」

ここまでの言葉選びですでに筆者はかなりぐっときていた。
こんな連載をやっていること自体が証左だけれど、筆者は言葉に強い執着がある。その人らしさの凝縮された言葉遣いを見聞きすると良くも悪くも大きく心が揺さぶられる。

未知との遭遇に際して、彼女は混乱していた。長い睫毛がぱたぱたと落ち着きなく揺れていた。相手をどう表現していいのかわからなくて、慎重に言葉を選んでいる。
そして、自分とまったくタイプの違う存在を前にして自分自身を客観視せざるをえなくなり、自分や自分の属するコミュニティがどういったものなのかを言語化する必要に迫られた。喋りながら言葉を選んでいる中、自分や自分の身内に使う言葉ではないと感じたのだろう、"かわいい"を婉曲して"かわいくしてる"と表現したのがまず味わい深かった。日々"かわいく"あろうとすることを楽しんできた自負も感じた。とても誠実な人だと思った。

「髪とかちゃんとしてて」もいい。"ちゃんと"の意図するところはわからないが、毎日コテで巻いてセットして、2〜3カ月に1回サロンでトリートメントして、といった感じだろうか。

そして「パーカーとか着てこない感じ」だ。なんて殺傷力だ。パーカーを着るのは罪なのだ。口汚く罵ったりはしないが、彼女の感覚では"合コンにパーカー"はややもすると人間性を疑うほどに顰蹙を買うことだった。

"その子"はパーカーを着てきたのだろう。その子はファッションにあまり興味がなくて、ちょっと野暮ったい感じの子だったのかもしれない。ただ単にストリートっぽいスタイルが好きなだけで、恵比寿で乗ってきたのあの子たちにはタイプが違いすぎて理解できなかったのかもしれない。

いずれにせよ赤文字系のあの子たちにとって、そのパーカーの子は今間違いなくエイリアンだ。彼女はエイリアンをなんと呼ぶのだろう? 自分や自分の身の回りの"かわいくしてる子"とは違うその子をなんと呼ぶのか? 答えはすぐに出た。彼女の言葉選びによる"かわいくしてる子"の対義語がこうだ。

「そういう、わたしたちとは違う感じのさ、なんていうんだろな……シンプルな子、っていうか。そういう子たちがね、何が楽しくて生きてるのかっていうのが……ほんとうに、わたしほんとうにさ、わかんないんだよね……おかしいのかなわたし」

彼女の声色に侮蔑のニュアンスがまったくないことに戦慄した。心から不思議でしょうがなくて、理解の範疇を超えているあまり、想像力を放棄してしまっているし、少し恐怖を感じてさえいるような声だった。

その言葉選びから、彼女が理知的な人だというのが窺い知れた。"ダサい"や"非モテ"や"あの呪いの2文字"を使って唾棄するのは簡単なのだ。そういった言葉遣いを、真っ当な人間としての矜持をもって拒否して、絞り出した末の言葉が"シンプルな子たち"。彼女の美意識が弾き出した最適解だ。彼女とは5分同じ電車に乗っていただけで会話もしていないが、この言葉選びはきっと彼女の人間性の粋(すい)が凝縮されたものなのだと確信できた。だからこそ、なんて残酷な言葉だ。

◼「シンプルな子たち」

ザ・ハイロウズの歌詞に「心のないやさしさは敗北に似てる」という一節がある。"シンプルな子たち"のことが本当に何もわからないと吐露した彼女に優しさがないということではない。彼女は"優しくしかたがわからない"タイプの人と遭遇したんだろう、ということだ。彼女が今まで在籍していた教室にも"シンプルな子たち"はいたはずだけれど、あまり触れ合ってこなかったんだろう。

もし自分が"シンプルな子"の立場だったら、わたしだったらとシミュレーションしてみる。恵比寿で乗ってきたあの子たちみたいなスクールカーストの高い子が、わたしのことなんか何ひとつわからないなりに、精一杯気を遣ってくれた上で選んだわたしを表現する言葉が"シンプルな子"だったら。その言葉を偶然、教室移動の途中の廊下で耳にしてしまった瞬間をイメージすると、致命的に折れてしまいそうになった。一生こびりつく敗北感に襲われて、立ち直れなくなるのがありありとイメージできた。

「心のないやさしさは敗北に似てる」と歌うこの曲のタイトルは『青春』だ。"シンプルな子たち"の青春がどんなに自分らしく、充実して、美しくても、恵比寿で乗ってきたあの子には"何が楽しいのかわからない"のかもしれない。そう思うと、人間同士が一緒にうまくやっていくことって実質不可能なんじゃないかと思えるくらい困難な気がしてくる。

◼想像することを諦めないこと

"シンプルな子たち"という言葉を聞いて感じたのは、属するコミュニティの違う人間同士の隔絶、そしてそれゆえに想像力が働かなくなることの残酷さだ。近い感性を持つ人相手には当然働く慮り、慈しみ、労い、そういうすべてがシャットアウトされかねない。

育った環境、働いている業界、付き合っている友達、部活、ファッションスタイル、聴いている音楽、やっているソシャゲのタイトルに至るまで、それぞれのコミュニティにそれぞれの"常識"や"平均点"や"当たり前"があり、自分とは違うコミュニティのそれをうまくイメージできずに、傷つけてしまっているかもしれない。
じゃあどうすればいいんだというと、少なくともなんでも知っているような顔をせず、想像することを諦めず、間違えたら謝る。どうしよう、何も気の利いたことは思いつかない。泥臭くやっていくしかないんだろう。

Photo/Nanami Miyamoto(@miyamo1073

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#1「ママ、いろんなことがわかんなくなっちゃうから」

#2「あたしが一番悪い!」

#3「顔むくんでるね」

#4「女呼ぼうぜ」

#5「ちゃんと話を聞いてくれる人」

#6「シンプルな子たち」

#7「腰からジャラジャラ鍵ぶら下げてる女は全員レズ」

#8「成長したな」

#9「同窓会に行ける程度の仕事」

#10「洗いなさい」

#11「夫さん」

#12「社長が最近、男なんだよ。……こんなのおかしいよォ」

#13「私が『OL』という言葉を使うときの感覚は、たぶん黒人が『ニガー』って言うときと近い」

ヒラギノ游ゴ

ライター/編集者

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