誰がOLだ

『そんなこと言うんだ』は日常の中でふと耳にした言葉を1つ取り上げて、聞き流せなかった理由を大切に考えていくエッセイです。#13ではタイムラインで見かけた「OL」にまつわる呟きから、伝統的に使われてきた言葉一つひとつを吟味した上で使うこと、そしてその言葉で規定される人自身があえてその言葉を使うことについて考えていきます。

誰がOLだ

■呟きが意図せず言い当てたもの

”私が「OL」という言葉を使うときの感覚は、たぶん黒人が「ニガー」って言うときと近い”

いつかのTwitterのタイムラインに流れてきた何気ない言葉。今回取り上げる忘れられない一言はこれだ。違和感を端的に言い当てて最少文字数で説明する強度の高い言葉だと思った。

「オフィスガイ」という言葉を聞いたことがない。女性の労働者だけを「オフィスレディ(OL)」として”別枠”扱いして名付けることは、女性が働きに出ることが珍しい時代には機能していた言葉遣いだったのだろうが、”今がそうじゃない”ことは知っての通りだ。にもかかわらずこの言葉を使い続ける振る舞いによって”なめた”ニュアンスが生まれる。それにうんざりした人々が長年に渡って声を上げ続けているものの、この言葉はどうにも根強くなくならない。

そんな「OL」という決して好ましくない言葉に対して、このツイートの主は「100%納得いってるわけじゃない」という態度をスマートで粋なやり方で示している。不躾な言葉を投げかけられたときにスマートでいる義務も粋にいなしてやる道理もない、というのは大前提なのだけれど。

ただ、これは単に”ある労働者の素朴な一言”で終わらせられない。
というのも、この言葉は差別や蔑視の歴史におけるきわめて重要な考え方をそうとは知らずにばっちり体現するものだったから。今回の記事ではその考え方、「再盗用」について書く。

■「再盗用」という考え方

再盗用というのはジェンダー学の中でもセクシャルマイノリティ(今で言うLGBT)を対象とした分野から発展した「クィア・スタディーズ」の枠組みの中で語られる概念。

簡単に言えば、蔑称を当事者が主体的に自称して”使い直す”ことで、言葉の意味をポジティブに塗り替えていくこと。蔑称であったものを、自ら名乗るべき、プライドを持ってレペゼンできる言葉として再定義することを指す。

そもそも「クィア・スタディーズ」の「クィア」が再盗用された言葉だ。
この「クィア」は元々ゲイやレズビアンに対する「変態」「キモい」といった意味合いの侮蔑の言葉だった。

これを当事者たちがあえて自ら名乗ることによって、パンクでエスプリの効いたキャッチコピーに変えた。

プライドと反骨精神と教養とユーモアと、その他諸々を総動員して、長く険しい道程を戦い続けた末に勝ち取った”新しい意味”は、今も当事者を鼓舞し、連帯させるシンボルとして生きている。『クィア・アイ』という番組名が生まれるまでにはそういうカルチャーの積み重ねがある。

差別の歴史を学ぶと、こうした言葉のあり方は世界各地で見られる。英語圏で言えば「クィア」と並んで最もよく例示されるのが「ニガー(nigger/nigga)」だ。これも元々非黒人が黒人を蔑んで言う言葉だったものを、黒人同士が呼び合い、仲間意識を確認する言葉として”使い直し”て、今に至るまで定着している。

日本で言えばゲイ同士の言う「ホモ」、ビアン同士の言う「レズ」なんかが限りなく「ニガー」と近いニュアンスに感じられる。ただ、再盗用のニュアンスが適用されるには発言者の属性を選ぶので、これが当事者以外から放たれた言葉であればただ差別の再生産になりうる。この記事中何度でも何度でも書くけれど、再盗用は難しいのだ。

先の「OL」のツイートはそのものずばり、この「再盗用」の概念をぴたりと言い当てるものだった。「これ進研ゼミでやったやつだ!」を思い出す。


この言葉が、部屋でくつろいでいるときなのか通勤中なのか、日常のふとした瞬間に出てくるまでの彼女の生活を思う。日常のちょっとした違和感に対して麻痺せず、思考を止めなかった人だ。その思考の積み重ねの末に出てきた言葉があれだ。かっこいい大人だ。あれはきっと彼女のこれまで過ごした時間の成果の1つなのだと思う。

■再盗用と「オカマ」

しかし、再盗用は難しい。例えば「オカマ」だ。
当事者同士の交わす言葉としては再盗用のニュアンスを帯びるとしても、その言葉が持つ歴史、多層的なバックグラウンド、使用上の注意点が当事者以外の人につぶさに伝わるとは限らない。話者自身は再盗用できていても、それが当事者以外に広まることで差別が再生産される危険性が大いにある、というか実際に「オカマ」がそうだ。伝統的「男らしさ」の規範に囚われていない男性が揶揄として「オカマ」と称される場面はいまだにある。

そういった背景もあってか、例えばマツコ・デラックスはメディア露出が増えた最初期の頃、決して自分や仲間を「オカマ」とは言わず、代わりに徹底して「女装」と称した。ただ、次第に自称やごく親しい間柄の相手に対しては使うようになった。その線引きの適不適は、当事者であってもどちらか一方には断じづらい、非常に難しいところだろう。この言葉1つとっても、コミュニティの分断の引き金になりうるし、体系的に論じるにはそれ相応の検討材料や多くの人との協同を要する。再盗用は難しいのだ。

かつて美輪明宏はこの言葉をなくそうとした。頑なに「あの言葉」といったふうに伏せた上で、「なくさなくてはならない言葉」だと言及した。よくない構造を助長する言葉を廃れさせるために”口にすらしない”という姿勢には大いに学ぶことがあり、筆者も別の言葉についてこの態度を参考にさせてもらっている

そして、こうした美輪の姿勢と衝突したのがおすぎとピーコだった。
美輪がさまざまな業界人と縁を繋いだことを足がかりの1つとして芸能界に進出したおすぎとピーコは、自分たちを売り込むにあたって「オカマの双子」という自称を強く打ち出した。それを見て美輪は再三改めるように、その言葉を再生産しないように言い聞かせたと語っているが2人には届かず、その後断交に至るほど大きな遺恨になった。
おすぎ・ピーコ自身に再盗用の意図があったのかは知る由がないけれど、どうあれなくすべきとされる言葉を”それでもあえて使う”のは難しいのだ。

■自分に割り振られた属性を疑うこと

「OL」もまた、あまりにも長い間悪びれずに使われ続け定着し、絶やすには相当な時間と労力を要する言葉だ。フェミニズムに関わる発信をする人が”他意なく”この言葉を使うのを見かけることすらある。
そういった状況を踏まえ、当座の意思表示としての先のツイートは現状の戦い方として1つの最適解と感じられた。

前述のように、再盗用は必ずしも好ましくない言葉すべてに有効に使える手段ではないし、そもそも現代には葬るべき言葉が多すぎる。
覚えているだろうか、平成が終わる頃に「平成に置いていく言葉」というハッシュタグが使われていたことがあった。男らしさ、女らしさ、女だてら、イクメン、女子力、そういう言葉が「置いていく」言葉として挙げられた。
そういった言葉によって自分が規定されそうになったときにどうカウンターを入れるか。考えることをやめなければ、やり方はどうあれそれぞれ自分に納得していられるはず。あの言葉の主の打ったキレのいいパンチが指す方へ顔を上げる。視界は広く開けている。

Photo/Nanami Miyamoto(@miyamo1073

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#13「私が『OL』という言葉を使うときの感覚は、たぶん黒人が『ニガー』って言うときと近い」

ヒラギノ游ゴ

ライター/編集者

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