行動を変えるきっかけは、鏡に映ったブサイクな自分だったりする
穏やかだが不完全燃焼な日々に見てみぬふりをしていた。ふと、鏡に映るむくんだ顔。丸くなりつつある体形。心は体に現れる。そんな日々を選んでいるのは自分だった。
仕事もプライベートも穏やかではあるが大きな満足感が薄い。
達成感がないのにあっという間に一日が過ぎ週末も終わる。そんな毎日を誤魔化している自分には気付いていた。
深夜までお酒を飲み、予定通りの二日酔いという冴えない休日を過ごした翌朝、鏡に映るむくんだ顔を見て、いよいよそんな自分の姿を無視できなくなった。
そんな自分の姿をどうにかしなければと思っていたころ、とある男性と知り合った。
関西出身の30代後半会社員。特別お洒落でもイケメンではないが(どんだけ上からよ)根っからの明るさと巧みなトークで場を盛り上げるメードムーカー。
「関西弁は女性の8割にモテて、2割には極端に嫌われる」という彼独自のデータがあるらしいが、その日は8割の方に傾いたらしく、女性陣もワントーン声が高くなっていた。都内中心地のタワーマンションに住み、流行りの店でシャンパンや赤ワインをよく嗜む。隣に美女や著名人との交流をSNSに投稿し 、いつも煌びやかで華やかな場所にいる彼は、私とは別世界の人なのかな、と思っていた。
そんな彼の印象が変わったのは、たまたま朝の過ごし方を聞いたとき。
前日どんなに飲んで夜更かししようと、仕事や接待だろうと、翌朝6時にはサッと起き30分程度走るのだという。走りながら頭の整理をして一日をスタートする。そんな生活を20年以上毎日続けているとのこと。
20年って……男勝りな言葉で言うと「半端ねぇ!」。
二度寝したいとか思わないのだろうか? 朝の布団のヌクヌクってサイコーじゃないですか! と朝に弱い私は思うのだが、習慣になっているのでやらないと気持ち悪いのだそうだ。「あれ? 意外とやることはちゃんとやっている人なんだな」と思った。
しかしランニングの話を聞いてもやっぱりどこか他人ごとだった。私だって運動は好き。でもただ走ることにまったく興味がない。
「ランナーズハイって何よ? なんで苦しい思いをして走るんだろう」
まともに走ったこともない私が偉そうに思う。SNSで仲間内のランニング写真の投稿を見ても自分がやりたいとは思わない。過去にキックボクシングをやっていたときでさえ、周りが縄跳びや走り込みをする中そこはスルーしていた次第。だってただ疲れるだけじゃないですか……体力はつくけれど。まぁ、縄跳びに関しては噂か否か、「胸がなくなる説」があったので、ますます遠のいたということはそっとしておこう。
そんな私の気持ちが動いたのは、目をそらしていた自分自身のブサイクっぷりを連続で感じたことが大きい。
どんな状況でも変わらず朝のランニングを欠かさずに軸がぶれない人もいるのに、私は何をやっているんだろう。そういえばベスト体重から少しオーバーしているのに放置している。写真を撮ってもガッカリする自分に慣れてきていないか。カメラのせいではなくて自分の顔が丸いんですよ!
猛烈に現状を変えたくなった。とにかく動き出したい。
自分自身に自信が持てるような自己改革したい。
手段として話に聞いたランニングをやってみようか。
ランニングが自己改革とどう繋がるのか、そもそも面白いのか謎だけどつべこべ言わずまずは動け。
その日の帰宅後、早速近所を走ってみた。
が、日頃の運動不足がたたり、1キロも走れないヘタレ度満載。たいして走っていないのにやたらと汗をかいている。汗だけは10キロくらい走っているかのような雰囲気を醸し出す。
それでも走り終えると心地良い気だるさと少し達成感もあってスッキリした。走る前後のストレッチも身体の伸びを感じて気持ちが良い。
そんなスタートから始まったランニングがまずは3日、1週間、2週間と続き、どうにか1カ月継続することができた。
「苦しい!」より「今日走った分だけまた少し綺麗になれるんちゃうの?」となぜか陽気な関西人のイメージで自分を奮い立たせ、ワクワクを思い描きながら走る。
走れば走るほど自分の毒素もデトックスされる気がした。少しずつ距離も伸びてきた。
ネガティブなパワーを動き出すパワーに変える。
動き出したらポジティブな先のイメージで進みたい。
行動によってあとから感情はついてくる。
走ってみたから見えた、感じた世界があった。
ランナーと言うには日が浅いが、それでも走り始めて視界がグングン広がるように、動き出し分だけ自己肯定感も高まる気がする。
東京出身。フリーライター。ワーク・ライフスタイル・恋愛・婚活を中心に執筆中。趣味は高校野球・アクリル画、銭湯。