雨深い一冊たち【TheBookNook #46】
八木奈々さんが選ぶ雨の日の3冊です。湿度を帯びた活字が孤独や社会の歪みを映し出し、読後には静かな内省と雨が残す匂いが心に定着する。現実の曇りを見つめ直す短編集と連作がページの奥で滴り、読み終える頃には雨の記憶が少し柔らぐ。窪美澄『雨のなまえ』、伊岡瞬『教室に雨は降らない』、坂井希久子『雨の日は、一回休み』。

写真:後藤 祐樹
梅雨の季節。
空はどこまでも灰色で、窓を打つ雨音が知らず知らず心の奥まで染みてきます。
私たちは生まれてから今日まで、いったい何度、こんな雨の日をすごしてきたのでしょうか。

今回のテーマは、雨。
雨が心を濡らす物語、タイトルに雨が含まれる作品、そして読後に雨の匂いが残るような、そんな“雨深い”一冊を集めてみました。
本のページをめくる音が、雨音と重なるこの季節に、ほんの少し静かな時間を届けられたら嬉しいです。
「Womanizer / We-Vibe Golden Moment 2」
1. 窪 美澄『雨のなまえ』

「こんな日に降るこの雨のなまえを、知りたかった。」
本作は、日常に潜む“不穏”に焦点が当てられ、タイトル通り湿度が高く、救いようのない話が続く短編集。
闇、影、人の嫌な部分が上手く描かれているからこそ、人と人との関係性での歪みや摩擦が際立ちます。
読み心地が良いとはとても言えないお話ばかりですが、雨の描写が美しく、読み返せば読み返すほど、大切にさえ思えてきます。
それぞれの主人公が抱えている孤独や諦め、満たされない想い。
胸の奥底をえぐり取った小さな感情の描写が苦しい反面、どこか共感できてしまう隙間もあり、ページをめくるたびに頭から水をかぶっているような息苦しさと快感を覚えました。
登場人物が全員、嫌になるほど利己的で、でも……私自身にもそういう側面があるということに気づいてしまったとき、自分の身体を、この本ごと抱きしめました。
濡れた衣服が肌にまとわりつくような不快感、自身の手のぬくもりからくる安心感が、今も消えません。
物語の結末にどうしても救いを求めてしまいがちなあなたにこそ、最後に救われることがすべてではないことを証明してくれるこの“最悪な”一冊を読んでいただきたいです。
きっと、その日の雨を忘れられなくなるでしょう。
2. 伊岡 瞬『教室に雨は降らない』

「あの日の子どもたちは、誰ひとり雨を見ていなかった」
本作は、非常勤の音楽教諭が小学校で起こるさまざまなトラブルを解決して行く連作ミステリー……そう、思っていました。第二話以降を読むまでは……。
この作品は、ミステリー路線を維持しつつ、教育現場に潜む闇を忠実に描いていきます。
子供同士、教師と児童、親子、教師同士など、人間模様を、ときにシビアに、ときに熱く描いた成長の物語。
親も子供も多様な価値観が認められる今の世の中、教師もかなり大変……。
教育現場が“荒れて”いるのではなく、“歪んで”いると主人公が捉えたところが印象的でした。
大人の世界の歪みによって子供が苦しめられていく光景、教師として正しいか分からない……同僚としてみたら勘弁してと思うかもしれない……でも……。そんな葛藤に、私たち読者まで手に汗を握ります。
人が良くて困っている人を見たら放っておけない、そんなテンプレ型主人公。この主人公のような先生が希少な存在だからこそ、読み始めはやけに光って見えましたが、教育業界の希望として、願望が見せた幻のようで、少し切なくも感じました。
読む人によっては真っ直ぐすぎる主人公に、正直、物足りなさを感じてしまうかもしれません。
でも、それが本作の最大の持ち味です。子供の頃アニメのヒーローを見て素直にかっこいいと憧れていたように。純粋な気持ちで手に取っていただきたい一冊。
ものすごくいい物語というわけでも、スッキリ爽快というわけでもない、どこまでも“現実”の物語。教室に雨は降らない……けれど、確かにこの教室には“何か”が降り続けているように思えました。きっと、あの人の心にも。
3. 坂井希久子『雨の日は、一回休み』

本作は、人生も中盤から終盤に差し掛かった“おじさん”を主人公にした連作短編集。
もしも自分が手の中にあるものを大切に慈しめる人間であったなら……
身勝手な幻想に振り回されず常に誠実であれたなら……
そんなことを考えさせられたり、られなかったり……。
セクハラ疑惑、SNSのなりすまし、風俗、正論、世直し、さまざまな困ったおじさんにスポットを当てながら物語は進んでいきます。
……といっても、世の“おじさん”を卑下する物語ではありません。
お互いの辛さがわかって少し優しくなれるような、雨の後にわずかながら晴れ間がのぞくような、そんな希望を感じる読後感でした。
ある意味、時代の被害者でもある迷惑なおじさんたちが、きっかけを経て、家族や他者、とりわけ女性とのかかわり方を変えていくまでの過程は、短編とは思えないほど見ごたえがあります。
みんなそれぞれ、いろいろな時代を生きてきて、今この時代を同じように生きています。
そしていつか私も“おばさん”になります。そのときの時代に合った生き方、考え方を私はできるのでしょうか……。
この作品は、時代の流れに逆らう頭の固いおじさん、今の時代を柔軟に生きようとするおじさん、すべての“おじさん”への応援歌です。
きっとあなたも、読後はちょっとだけ“おじさん”を好きになれるかもしれません。
おじさんを笑うなかれ。
■雨に心を重ねて
どの本もそれぞれの雨が降っていました。
雨の日は、物語の中の雨にも、そっと心を重ねてみてください。
今夜、ページの向こうから降ってくる“雨”が、あなたにも届きますように。
\八木奈々さんの過去記事はこちらから/
・「わたしの一部は本でできてる。『モモ』に教わる命のこと【TheBookNook#1】」・「暑い夏には熱い物語を。【TheBookNook#2】」
・「行きたい国に思いを馳せて【TheBookNook#3】」
・「疲れた心と共に、本の世界へ飛び込む。【TheBookNook#4】」
・「忙しない日々に、心を満たしてくれる日本の児童文学を。【TheBookNook#5】」
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