あひる/KADOKAWA/今村夏子
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眠れない夜を、いっそ眠らない夜に。【TheBookNook #37】では、読み始めたら止まらなくなる物語を八木さんが紹介いたします。余計なことを考えてしまう夜も、本の世界に没頭すればあっという間。眠れない理由を物語のせいにして、静かな興奮とともに夜を楽しんでみませんか?
とくに、これといった理由はないけれど、うまく眠れない夜ってありますよね。
「次の日、朝が早いから、疲れているから」と寝に急いでみればみるほど、どんどん目が冴えてしまい、余計な考えごとをしてしまったり、新しい悩みが浮かんできて不安になってしまったり……。
そんな誰にでもある“負の”眠れない夜は無理に自分を寝に追いやらず、“眠らない”夜を自ら選択して過ごすのも悪くないと思うのです。
今回は、読み始めたら眠れなくなるような、興奮必至の少し刺激的な物語たちを紹介させていただきます。
余計なことを考えてしまう暇もないほど眠れない読書体験をあなたに。
本作は、3つの家族が織りなす優しくて温かくて残酷な短編集。どの短編も微妙な異物感が平穏なはずの暮らしに危うさを運んできます。
切なくなったり、笑いそうになったり、笑うのは不謹慎かと思い直したり……。いろいろな感情が忙しく、頭の中、そして心の中をグルグルと回っていきます。今村氏は、何かが足りない人を描くのが本当に上手いのです。
誰もが既視感を感じる幼少期の思い出“のようなもの”。無意識にあるいは意図的に蓋をしていたのかもしれない日常のしこりを増幅して目の前にさりげなくポンと置かれたような感覚に陥りました。
人が死んだり大きな事件が起きるわけでもありません。むしろ、些細な日常の積み重ねがじわじわと心に残り、読み進める程に言いようのない不安や切なさが滲んできます。
物語自体は静かに終わるのに私たち読者の心には妙なざわめきが残る感覚……。
今村氏の作品は、登場人物の内面を直接描くのではなく、言葉にされない余白や行間に感情を宿らせるのが魅力なのです。
何気ない日常の奥に潜む違和感を見つめ直したくなる、そんな余韻のある一冊でした。ページ数も少ないのでさくっと今村氏の世界を味わいたい人はぜひ。
青春小説でありながら、単なる成長物語にはとどまらない本作。
男女の体が入れ替わってしまうという使い古された設定のように思えますが、これは唯一無二の真新しい“男女入れ替わり作品”です。
物語の冒頭は“年に一度だけ会う人がいる。夫の知らない人だ。という一文から始まります。この一文から始まる物語に読者は皆、息をのむことになります。
入れ替わったことに伴うドタバタや入れ替わった者同士の愛が主題ではなく、元少年のヒロインを中心にその後の半生がじっくりと生々しく描かれていくこの作品。家族や友人との関係性が一変する様子は切なくて、ぐっとくると同時に、泣いてはいけないんだと自分に言い聞かせながら読み進めました。
……だって物語の中の彼はきっと泣いていないから。
他人になってしまった家族、家族になってしまった他人。人が生まれ、人に生かされ、人として生き、また人に生かされる。人生において“誰かと入れ替わってよかった”と思えることがもしあるのだとしたら……。
読後は自己とは何か、他者との境界とは何かといった深く答えのない問いが胸の隅に残りました。たんなるフィクションの域を超えて人間の本質や社会のあり方まで考えさせられます。改めていい物語、そしていいタイトル。読んだというよりも読まされた一冊でした。
本作は、江戸川乱歩賞と直木賞をダブル受賞した異色のハードボイルド小説。
物語は、アルコールに溺れる主人公が偶然遭遇した爆破事件をきっかけに巨大な陰謀に巻き込まれていくという展開なのですが……本作の最大の魅力は緻密に組み立てられたミステリー要素だけではなく、主人公の内面を深く掘り下げた文学的な筆致にあると感じています。
事件の真相を追うスリリングな展開が続く一方で、主人公の過去と葛藤が巧みに織り込まれており、普段こういった作品をあまり読まない私でさえも、ただのサスペンスにはとどまらない奥行きを突き付けられました。
藤原氏の洗練された文体は硬派でありながらも読みやすく、読後は単なる謎解きの爽快感とは異なる静かで熱い余韻が残ります……。
社会の影に生きる男の人生を描きながら、時代の空気や人間の技が巧みに表現されているこの作品。ハードボイルドやミステリー作品が好きな方はもちろん、骨太な人間ドラマを求める方にもぜひおすすめしたい一冊です。
次のページをめくらずにはいられない興奮を味わってみてください。
今回は、少し角度を変えた3作品を紹介させていただきました。
装丁からは想像できないような物語、新しい感情に出会える物語。
もちろん睡眠はとっても大切ですが、本当に眠れない日は、眠らなくても大丈夫。
暖かいミルクでも飲みながら眠れない理由を物語のせいにしてしまいましょう。
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