あなたがどこに行こうと、私はここで光っているから【私のドレス #5】
18歳、男の人からもらった初めてのプレゼントは「冬を生きる服」。思い入れのある服を“ドレス”と名付け、その服にまつわるエピソードを綴るリレーエッセイ「私のドレス」。第5回は、雨あがりの少女さんのドレス。
冬の光はきれい。私は寒がりだけれど、冬の夜をあるいて、街灯や信号機、カラオケやコンビニの看板などの光を眺めるのは好き。日本の冬は乾いていて、空気中の水分の乱反射が少ないから、光が遠くまで届くんです。だから、冬の光はきれいなんですね。昔好きだった人がそう教えてくれたのを思い出す。
特に、赤の光がきれい。黒やグレーをまとった冬のひとびとの往来のなかで、パァッと輝くのが赤だ。信号機が緑から赤に変わると、きれいだなあ、とぼんやりしてしまう。雪の色にも映えるので、冬は赤がいい。
18歳の冬は寒かった。当時の恋人は出不精の私を連れ出したがったけれど、まだあまりお金もなかったし、遊び方も知らなかったし、セックスもうまくできなかった私たちは、いつもなんとなく池袋や新宿のファッションビルを上から下まで見まわって過ごしていた。
「初めてちゃんとしたバイト代が入ったから、冬を生きる服を買いましょう」と彼が言い出したのはたしか12月のはじめで、私が「寒くてここから出る気がしない」と池袋駅東口のマクドナルドでぼやいていたときだった。服の話につられて店を出るともう日が暮れていて、外はやっぱりとても寒かった。
冬の光はきれいです、と彼が言ったとき、私はそんなこと考えたこともなかったけれど、見渡せばたしかに世界はキラキラしていて、あ、こういうのってたぶん恋の現象だなと思った。恋をすると世界が輝いて見えるのには、きっとふたつの理由がある。好きな人に新たな世界の見方を教えてもらうこと。恋が心を輝かせ、その光が世界に映ること。
「じつはもう目星はついてるんです」と恋人は私を駅に接続したファッションビルの上層階の奥の、まだふたりで入ったことのない店に連れて行ってくれた。「冬を生きる服」という言葉から私はモコモコの防寒服をイメージしていたのだけれど、彼が指をさした先にあったのは、真っ赤なワンピースだった。
テレビのなかで女優が闊歩するレッドカーペットの色のニットワンピース。胸元に小粒のキラキラがついている。ウエストから下はプリーツになっていて、少し広がりのあるAライン。かわいい。でもほとんどダークカラーの服しか持っていなかった当時の私は戸惑った。「こんなの、似合うかな」と小声で言うと、彼は真っ直ぐにこちらを見て「似合うと思いますよ、目頭の粘膜の色と同じなので」と言った。
目頭の粘膜の色って、ほとんどみんな赤いのではないだろうか? と疑問に思ったが、少し前にベッドの上で「あなたは肌も白目も真っ白だから、粘膜の赤が際立っている」と彼が言っていたのを思い出した。私が恥ずかしくなっているうちに、彼は店員に包装をお願いしてくれていた。
男の人からもらった初めてのプレゼント、赤いワンピース。自宅で再度合わせてみると、やっぱりあまり似合っていなかった。なんだか雰囲気がチグハグで、「着られている」という感じ。私は好きな人がせっかく見つくろってくれたワンピースを着こなせるようになりたくて、翌日それを着て美容院に行き、お兄さんに相談して茶髪セミロングヘアを黒髪ボブに変えた。そのまま初めてデパートの化粧品売場に行き、ジル スチュアートのお姉さんと相談して一本の口紅を買った。
今の自分に似合う服はラクでいいけれど、一方で「未来の自分に似合う服」というのも存在する。自分の挑戦を肯定し、世界をさらに輝かせる服だ。あの赤いワンピースは私の“オメカシ”の扉をギギギと開けたのだった。
オメカシをすれば、いくら寒かろうとどこにでも行けるような気がしたし、実際にその冬は彼と手をつないでいろんなところに行った。買い物にも映画にもディナーにも旅行にもそれを着て行った。「冬を生きる服を買いましょう」という言葉の意味が時間差でわかる。物理的に体をあたためて健康を保ち「生きのびる」服だけでなく、心をアツくしてキラキラ「生きる」服が私には必要だったんだと。
「六本木アートナイト」という、夜通しのアートイベントに行ったときもあのワンピースを着ていた。真夜中の毛利庭園がさまざまな光に照らされるのを、私たちは見ていた。3月の終わりで、冷たさのほぐれた優しい風が吹く夜だった。でもまだまだ光はきれいだった。
彼は4月から遠くの大学に行くことが決まっていた。私たちは未来の遠距離恋愛の約束をしていなかったし、数日後にはこの恋愛が終わることをわかっていた。もともとこの冬だけの恋人だったのだ。
冬の光はきれい。日本の冬は乾いていて、空気中の水分の乱反射が少ないから、光が遠くまで届く。彼に教えてもらったことだ。ねえ、と私は言う。「あなたがどこに行こうと、私はここで光っているから、また冬が来たら、遠くから見えると思うよ」。彼は笑って頷いた。
あれから幾度も冬が来て、そのたびに私は新しく赤いワンピースと口紅を買った。「いつか彼に見つけてほしい」というのはロマンチックな言い訳で、ほんとうにほんとうに、冬が来るとすべての赤いワンピースが発光しているのだ。私にはそう見える。
「またそれ買うの?」「同じようなの持ってるでしょ」などと友人に言われることもあるけれど、毎度しっかり無視をする。だって、私がこのワンピースを着なかった、このたった一度きりの冬の責任を、誰がとれるというのだろう。私は私の冬を生きなくてはいけないし、ならば最大限に、光っていたいんだ。
オメカシをすると世界が輝いて見えるのには、きっとふたつの理由がある。服に新たな世界の見方を教えてもらうこと。オメカシが心を輝かせ、その光が世界に映ること。
今日も私は赤いワンピースを着て、空気の匂いを吸いこみ、信号の転換にときめく。世界はどこまでも輝いている。
Title design/メイメイ(@iimeimeii)
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#3 今日もおめかしをして、我が推しに会いに行く(岡田育)
#4 すべての服がすこしずつ大きいこの世界を、1日でも多く好きでいたい(生湯葉シホ)