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今日もおめかしをして、我が推しに会いに行く【私のドレス #3】

“よそゆき服”の存在意義を教えてくれたのは、デート相手でも女子会に集う友達でもなく、各界の我が推したちだった――。思い入れのある服を“ドレス”と名付け、その服にまつわるエピソードを綴るリレーエッセイ「私のドレス」。第3回は、文筆家・岡田育さんのドレス。

今日もおめかしをして、我が推しに会いに行く【私のドレス #3】

最初にハッとしたのは、及川光博ワンマンショーだった。我らがミッチー、煌びやかなスパンコールにマントを羽織り、ハイヒール厚底ブーツでキレッキレに踊り狂う。そして曲間のMCタイムに照明でめいっぱい明るくした客席を覗き込み、「みんな、今夜はおめかししてきたー!?」とファッションチェックを始めたのである。新譜のテーマに合わせて着飾ってきたベイベーたちが、「はーい!!」と元気に挙手をする。

ところが私はその日、他のライブ、たとえばTHE BOOMや東京スカパラダイスオーケストラの現場に行くのと同じ機能性特化の戦闘服だった。汗だくになったらすぐ脱ぎ飛ばせる速乾性素材のトップスをスポーツブラに重ね、ヘドバンしても乱れないよう髪を括り、首にタオルを巻いている。野外フェスと違って帰りの着替えまでは用意していないが、明るい会場で硬直してしまった。みんな、おめかししている……!

次にハッとしたのは、ミュージカルを観に行ったとき。平日の夜に職場から直行したので、度数を弱くしたデスクワーク用の眼鏡を掛けていた。化粧室で度の強い使い捨てコンタクトレンズを装着する。急にガツンと視力が向上して、準備万端。これなら推し俳優・石川禅の一挙手一投足をびたいち見逃すまい。

と、洗面台の鏡に映った自分のセーターに毛玉がびっしり付いていることまで精細に見えてしまった。足元のスニーカーの泥汚れも気になる。朝からこんな部屋着みたいな格好で働いていたのか、私は。こちらが禅ちゃんをガン見するぶんにはよいが、もし禅ちゃんにガン見され返されたら、羞恥に耐えられるだろうか。

その晩のチケットはファンクラブ経由で購入したため、周囲に座るのはだいたい「同担」の皆様である。さらに前方の席にいるのは、タカラヅカ出身の主演女優を推す皆様だろう。客電が落ち、オーケストラが奏でるオーバーチュアが流れる直前、ざっと見渡す。やっぱりだ、みんな、おめかししている……!

念のために断っておくが、これはドレスコードの話ではない。宮中晩餐会か仮装舞踏会かLUNACYの黒服限定GIG(※)でもない限り、一般的な興行で来場客の服装に縛りが設けられることはそうそうない。東京日比谷の帝国劇場など、公式サイトにわざわざ「くつろげる装いでお気軽にお越しくださいませ」と明記して、客同士が他人の身なりにケチをつけることを牽制しているくらいである。

同じ日の同じ劇場に、フォーマルな夜会服で訪れる人がいる一方、穴あきジーンズにサンダル履きでも追い返されない。ガチオタが揃いの法被やテーマカラーを身にまとうのは勝手だが、全員に購入や着用の義務があるわけでもない。それが平等というもので、だから客の自分がおめかしする「必要はない」、裸でないだけマシだろう……私も長らくそう考えていた。

そもそも1年365日、ずっと普段着で過ごしていたから、ショップ店員が「ちょっとしたパーティーに最適ですよ!」と薦めてくるようなよそゆき服の存在意義がわからなかった。「よそゆき」って、どこ行きだ? ファッション雑誌をめくると、朝はオフィス仕様で出勤した女性が、夜になるとサッと小物を持ち替えてドレスアップする着回しコーディネートがどしどし出てくる。デートだか女子会だか知らないが、仕事着のまま行ってはダメなのか?

いやいやそうじゃないんだよ、と教えてくれたのは、デート相手でも女子会に集う友達でもなく、満天に輝くポップスター、各界の我が推したちだった。コンサートや芝居、スポーツの試合、寄席に公開録音に大盤解説会。入れ上げた対象を節操なく追いかけ、広義のライブパフォーマンスに足を運ぶようになると、「場」に持ち込まれたあらゆる要素とその影響について、考える機会も増えた。拍手も笑いも歓声も、はたまた針の落ちる音が聞こえるほどの美しい静寂も、ステージと客席の一体感なしには生まれない。

なんでもいいからキラキラしたスゴイものが観たい、この世のものとは思えぬ現実を体験したい、と思うなら、まず自分がボルテージをアゲアゲにアゲて「場」に臨むのが、極めて合理的で費用対効果も高いのだ。スケジュールを調整して膨大なコストを費やし、とくに頼まれてもいないのに何度でも飽きずに推しに会いに行く。オタクはそこまでで精魂尽き果てるから、おめかしする「必要はない」、というか元気と金がない。でも、他ならぬ自分自身の満足度を最大化させるために、思う存分おめかしをする「自由がある」とも言える。

学生のとき熱心なサッカーファンの友達がいて、自宅のテレビで観戦するときさえも、いちいち推しチームの応援ユニフォームに着替えていた。家飲みに招かれた他の仲間は普段着で、「ここスタジアムじゃないのに」「あんた選手から見えてないよ?」と笑ったものだ。今なら彼の気持ちがわかる。たとえ誰にも見られていなくたって、自分なりの勝負服に袖を通すことから、参加型エンターテインメントが始まっている。ただ服を替えるだけ。酒やドラッグを注入するのと違って、健康を損ねたり他人に迷惑をかけたりしないのもよい。

かくして私のワードローブは、いつの間にか「ちょっとしたパーティー」仕様の服だらけになった。大ぶりの花柄が全面にプリントされたTED BAKERのワンピース。デニム地を接ぎ合わせたmajeのロングスカートと、ドレープが美しいENFÖLDのフレアスカート。上海灘で誂えたシルクの立襟カクテルドレス。背中が全開のYohji Yamamotoのオールインワンと、samujiのマキシワンピース。色や柄や形が派手で、華やかで愉快で珍妙で、「出オチ」という感じのアイテムが手元にどんどん増えていく。

無難でつまらない普段着を10着揃えるくらいなら、攻めの姿勢で面白い服を1着買って、ずっとそれ着てテンションをブチ上げていたい。とはいえ我ながら、シラフで着るにはハードルが高く、リラックスというよりは緊張を強いられて、なかなか勇気が要るものばかりだ。うっかりすると着る機会を逃すので、あの夜の及川光博を思い出しては自分を奮い立たせている。

よそゆきの服をおろすタイミングは、推しに会う日がふさわしい。最高のステージを観た、大きな賞のお祝いに行った、知人に紹介されて長年のファンですと告白したとき、それぞれの幸福な記憶が定着した服は、以後どんなときにも着るのをためらわなくなる。もともと好きで入手したものがオーラをたっぷり浴びて輝き、魔法を充填されて、なんだか「縁起がいい」とさえ感じられるようになる。

先日セールで買ったのは、Henrik Vibskovのフィールドドレス。ケープ状の布をリボンで結んで留める、古代人が着ていた貫頭衣みたいな構造のラップワンピースだ。当然ワンサイズなので試着もせずネット通販した。「こんなもの誰が着るんだ!?」と思った次の瞬間、「私が着る!」とポチッていた。「いつどこで着るんだ!?」と呆れる自分を、「ま、人生は毎日がパーティーだからさ!」ともうひとりの自分がなだめて袖を通す。シワになりにくい素材なので、飛行機から新幹線から劇場の中でも座りっぱなしの観劇遠征にぴったりだろう。

特別なよそゆきを買って着て外へ出かける、その行為自体が、自分で自分に宛てて「ちょっとしたパーティー」への招待状をしたためるようなもの。ドレスコードの話じゃない。身だしなみ、というだけでもない。誰からの招待状も待つことはない。我々には好き勝手におめかしをする自由がある。いつを晴れ舞台にして、どう着飾って、誰を今宵のダンスパートナーに選ぶか、自分で決めてよいのだ。

「おめかししてきたー!?」に「はーい!!」と答えるコール&レスポンス、今度こそ私も加わりたい。


※現名義はLUNA SEA。「黒服限定GIG」はインディーズ時代の1990年から続くドレスコードを設けたライブで、2010年には東京ドームで開催された。

Title/めいめい(@meimay_yoshioka

『私のドレス』のバックナンバー

#1 ファッションジプシーを卒業した日(チャイ子ちゃん)

#2 “ママじゃない私”を守るためのMame Kurogouchi(小沢あや)

岡田 育

文筆家。東京出身、NY在住。著作『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』『天国飯と地獄耳』『40歳までにコレをやめる』。

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