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それでも、生きて行く私。作家・宇野千代の「物差し」

文学作家に雑誌編集者、着物デザイナーと、98歳で亡くなるまで時代を駆け抜けた宇野千代。生涯に4度結婚し、男に裏切られ借金を背負うなど、波乱万丈な人生を送った人としても知られる。ただ、何があろうと「私にとって自然だ」と真っ直ぐ言い切り、腐ることなく前向きに、自分の物差しを大切に生きてきた人の冷静と情熱。

それでも、生きて行く私。作家・宇野千代の「物差し」

愛よりも、お金よりも、美貌よりも、手に入れがたいものがある。それは、「私だけの物差し」だ。

ときどきそんなことを考える。日々に息苦しさを感じるとき、思い浮かべるのは、作家・宇野千代が示した生きる態度だ。

宇野千代という人物を表す言葉は多岐に渡る。明治生まれで情感溢れる作品を残した文学作家であり、ファッション雑誌の発行人や、着物デザイナーとしても活躍し、生涯に4度結婚し、13軒の家を建てた人。著名な作家や画家との激しい恋愛の数々、華やかな交友関係でも知られる。

1996年に98歳の生涯を終えるまで、正直に、しなやかに、感性豊かに生きた女性であった。

■波乱万丈の人生。でも、恨まない。

宇野千代といえば、激しい恋のエピソードに事欠かない。

最初の恋人は、小学校教員時代の同僚だった。職場恋愛が問題になり、彼女だけが失職し、地元を追われた。しばらくして恋人に会いに行けば「どうして戻った」と突き飛ばされた。

その後、紆余曲折を経て各地を転々とし、作品が初めて文芸誌に掲載された頃、作家・尾崎士郎と恋に落ち、東京で暮らすようになる。当時、結婚していた夫を北海道に残して。後は好奇心と情熱に誘われるまま、新しいテーマに、恋に、創作に、全力を注ぐ。別の女性と心中事件を起こした画家・東郷青児との恋愛から生まれた小説『色ざんげ』は代表作のひとつだ。

感情の赴くままに道を選んでいく宇野千代。幸せなときもそうでないときもあった。心底惚れた男に裏切られたり、莫大な借金を抱えたり、借金を返し終えた頃にまた離婚したり、と波乱万丈は続いていく。

しかしどんなときも、知恵と工夫で生きていく独特の明るさが彼女の強みである。何より、身に起きた不幸や、自分から離れていった人を恨むようなことが書かれていないのだ。

私を規制するものは何もなかった。ただ、情事の相手によって、ときに、生活を左右されたように見えることはあっても、それはそう見えただけのことであった。私は自分でも意識せずに、自分の生きたいと思うように生きて来た。

『生きて行く私』宇野千代著,毎日新聞社,1983年

■何にも侵されない「私」に憧れる非力な「私」。

そんな宇野千代を好きだという私と同世代の女性は少なくない。

「憧れる」「元気が出る」「『生きて行く私』はバイブル」と、何人もの友人から聞いた。初めて私に宇野千代作品を勧めてくれたのも、ひとつ年下の同僚だった。だが、ミリオンセラーになったエッセイ『生きて行く私』の初版は1983年で、宇野千代は当時すでに85歳なのだ。私たちとは、ひいおばあちゃんとひい孫ほど歳が離れている。

四半世紀以上経ってもなお、人々を魅了する宇野千代。いったい私たちは、彼女のどこにそこまで惹かれるのだろう?

おそらくそれはきっと、「何にも侵されない私」への憧れではないだろうか。

女であってもなくても、いつの時代でも、「私」という個人は恐ろしく非力だ。社会のルールに、世間の規範に、周囲の価値観に、 風に舞うビニール袋のごとく翻弄される。

ばかみたいだと気づいていても、「このほうが楽だから」と身を縮め、かわす技ばかり上手になっていく。ときどき溜め息が出る。そんな日々に息苦しさを感じる私たちには、己を貫く宇野千代のタフさがまぶしいのかもしれない。

私の心の中は、そのときの生活とは関係なく、いや、そのときの生活が文学から離れていればいるほど、文学一筋なのであった。

『生きて行く私』宇野千代著,毎日新聞社,1983年

■現代の「私」は同じように生きられるか(いや、無理である)

一方で、彼女の激しい人生譚は、読み方によっては怪談的だ。考えてもみてほしい。現代の「私」が同じように生きたらどうなるだろう?

自分や相手が既婚者だろうとどんな立場だろうと、愛に素直に全身で飛び込む。その恋愛で得た経験や、恋人から学んだ知識を惜しみなく仕事に活かす。何歳になっても華やかで、目立つ。大きく成功しては、派手に失敗する。そんな繰り返し。

現代ならどう考えても、SNSで大炎上である。鬼の電凸でもされかねない。騒動を起こした後の仕事は、悪意あるコメントで彩られるだろう。最近は、著名人のゴシップや個人への嫉妬で荒れるタイムラインを見慣れすぎていて、想像するだけでもぞっとする。

そう、現代に生きる私たちは、突出した才能や美貌、そして奔放さが、ときに幸福を遠ざけることに慣れてしまっている。小さな「私」はあまりにも弱い。

■純粋というより、自分にとって自然であること。

では現代に比べて、宇野千代が過ごした時代は奔放な女性が生きやすかったかというと、もちろんそんなことはない。

なにせ独身教師同士の恋愛で女が職を追われる時代だ。親族の意向で従兄弟と結婚させられる時代だ。最後の夫となった作家・北原武夫に惚れ、彼の勤務先に通ったときには、北原の上司から「あの女に会うのは危険だ」と警戒されたらしい。「私の悪名はとどろいていた」と『生きて行く私』でみずから回顧している。……やはり怪談だ。

おそらく時代は関係ない。宇野千代のブレなさがすごいのだ。

くじけないし、腐らない。傷つくことはあっても己を損なうことはない。大きな力や他人が彼女を侵すことはない。彼女はそんな自分を「純粋というより自然」だと言い表す(※1)。

鴉の翔ぶのは生まれつきなのである。翔ぶのが性分なのである。知らぬ間に翔んでいるのである。

『生きて行く私』宇野千代著,毎日新聞社,1983年

私たちが、いや、私が宇野千代に憧れるのはそこである。彼女は、しんどい状況に逆らうように生きたとしても、それを正当化するために「女として当然だ」とか「人間としての本質だ」などとは言わない。

あくまでにこやかに、「私にとって自然だ」と真顔で語るのだ。

■自分の幸福は自分で測る。生きて行く私の「物差し」

「惚れっぽくて、客観性がない」と自身を評する宇野千代(※2)は、その実、とても客観的に「私」を捉えていたと思う。自分にとっての幸福や不幸が何かも知っていたと思う。つまり、外からの力に動じることのない、確固たる「物差し」を持てていたのではないか。

自分の幸福は自分で計る。そのうえで、他者に物差しを当てて偉ぶったりもしない。その姿勢がとても美しいなと私は感じる。

誰も踏み出さないような薄氷の上を、心から楽しそうに走り抜けた大先輩。その言葉は、今も色褪せない。ただし、あまりに激しく踏み割って行ったものだから、その後ろに同じ道はない。

宇野千代という先輩に憧れる私たちは、それぞれの「生きて行く私」を見つめ、オリジナルの「物差し」を持つしかないのだ。一人ひとりの方法、一人ひとりのやり方で。

さあ、どの道を行こう。人生はまだまだ長い、気がする。

Text/中田一会(@kitencom
Illust/野出木彩


※1 宇野千代『わたしは夢を見るのが上手』―「恋愛武士道」より
※2 『わたしは夢を見るのが上手』―瀬戸内寂聴との対談「おとこと文学と」より

DRESS編集部

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