人から嫌われたくなくて「明るくて社交的な自分」を演じるのに疲れてしまったら
ありのままの心を人に受け入れてもらえなかったとき、周りに順応するために本心を殺してしまって自分を演じる。それが「偽りの姿」のように思えて、苦しんでいる方へ。自らの自己分析と心の学びを経て、巫女であり「心の相談屋さん」としても活動中の紺野うみが、一人ひとりのより善い生き方を、皆さんとともに考える連載です。
ありのままの自分。胸の内に生まれた本音。むきだしのストレートな感情。
人はこの世で心穏やかに生き抜くために、それらを内側に押し殺し、いわば自分以外の人と「外交」をするための「新しい自分」を作り上げることがあります。
今回のご相談では、その文章からもご相談者さんの抱える「生きづらさ」が、切実に伝わってきました。そしてきっと、同じような想いを胸に秘めながら、今までの人生を生きてきた方は少なくないでしょう。
出口の見えない暗闇の中にいる「本心」に、届くことを願ってお答えしたいと思います。
■周囲に自分を順応させることに、心をすり減らす日々
「小学生の頃から、私は「変人」として扱われてきました。たとえば、友達は外で遊びたがっているのに、私はひとりで勝手にゲームをしようとする。
男子の悪ふざけで教室から閉め出された友達の気持ちがわからずに、見ていながら助けようともせず絶交される。昔のことはほとんど覚えていないのですが、他にもたくさんの罪を犯してきたようです。
親族にも友達にも「あいつは頭がおかしい人間だ」と言われており、その嫌悪に満ちた感情を子どもながらに感じていました。最終的に友達もいなくなり、いじめられもせず空気のような存在になり、私は私の生きる意味を失っていました。
中学校に入ってからは周りと順応することを覚え、今では「社交的な天然」として扱われるようになりましたが、幼い頃に覚えた虚無感は今でも心の中に残り続けています。どれだけ友達と楽しく話していようとも、彼氏と仲良くしていようとも、頭の中の冷静な自分が、私の感情的な幸せを殺しにかかってきます。
ああ、自分はこんな風に思われたいからこんな発言をしているんだ、と常に考えてしまうのです。普通の人はきっと、そんな打算的な感情だけで動いてはいないはずなのに、そんな風に考えてしまう自分がとても汚く醜く感じられます。
でも、私は「明るくて社交的」な人間でいたいので、茶化したり笑い飛ばしたりして人を元気づけようとします。そのギャップが、本当に気持ち悪くて、死にたいとすら考えてしまいます。
でも、もし死んでしまったら、親やきょうだいや友達などを悲しませることも知っていますし、心配をかけられないので、下手に自分を傷つけることもできません。八方塞がりで、じりじりと心だけがすり減っていく感覚です。
寿命がくるまでの間、このまま心の内側と外側に矛盾を抱えたまま、地獄のような日々を過ごしていくことになるのが容易に想像できます。
本当に、もう疲れました。
これから私は、どうやって生きていけばいいのでしょうか」(かいめんのおともだちさん)
男子の悪ふざけで教室から閉め出された友達の気持ちがわからずに、見ていながら助けようともせず絶交される。昔のことはほとんど覚えていないのですが、他にもたくさんの罪を犯してきたようです。
親族にも友達にも「あいつは頭がおかしい人間だ」と言われており、その嫌悪に満ちた感情を子どもながらに感じていました。最終的に友達もいなくなり、いじめられもせず空気のような存在になり、私は私の生きる意味を失っていました。
中学校に入ってからは周りと順応することを覚え、今では「社交的な天然」として扱われるようになりましたが、幼い頃に覚えた虚無感は今でも心の中に残り続けています。どれだけ友達と楽しく話していようとも、彼氏と仲良くしていようとも、頭の中の冷静な自分が、私の感情的な幸せを殺しにかかってきます。
ああ、自分はこんな風に思われたいからこんな発言をしているんだ、と常に考えてしまうのです。普通の人はきっと、そんな打算的な感情だけで動いてはいないはずなのに、そんな風に考えてしまう自分がとても汚く醜く感じられます。
でも、私は「明るくて社交的」な人間でいたいので、茶化したり笑い飛ばしたりして人を元気づけようとします。そのギャップが、本当に気持ち悪くて、死にたいとすら考えてしまいます。
でも、もし死んでしまったら、親やきょうだいや友達などを悲しませることも知っていますし、心配をかけられないので、下手に自分を傷つけることもできません。八方塞がりで、じりじりと心だけがすり減っていく感覚です。
寿命がくるまでの間、このまま心の内側と外側に矛盾を抱えたまま、地獄のような日々を過ごしていくことになるのが容易に想像できます。
本当に、もう疲れました。
これから私は、どうやって生きていけばいいのでしょうか」(かいめんのおともだちさん)
■心の内側と外側に作り上げてしまった溝
今回いただいたお悩みは、同じような感情を抱いている方にとってはとてもリアルで、胸に迫るものがあるのではないかと思います。たとえば、なんの悪気もなくただ「ありのままの自分」でいたら、周囲から浮いてしまったり爪弾きにされてしまった過去の経験。
それでも生き抜くためには、自分で「周りに順応できる人格」を生み出して、努力せざるを得なかった現実。そして、まるで自分で作り上げた「キャラクターの仮面」を、被りっぱなしでいなくてはならないような気持ちで過ごしてきた日々。
心の内側と外側に「埋まることのない溝」があるように思えて、その矛盾に罪悪感を抱いたり、違和感を捨てきれずに苦しみ続けてしまう。
……そんな想いを心のどこかに抱きながらも、見て見ぬふりをすることでなんとか生きている。そんな人もいるのではないでしょうか。
私は、自らの経験や多くのご相談者さんと接する中で、これまでに何度も実感してきたことがあります。
それは、人が心健やかに生きていくのに欠かせないことのひとつが「自らの心を、自分自身がありのまま受け止められるかどうか」――すなわち、「自分を肯定できるかどうか」である、ということ。
今回のご相談の内容でご本人にとって一番辛いであろうことは、人から見た自分の姿についてよりも、「自分で自分に嘘をつき続けているのではないか」という己への違和感や嫌悪感の方。
つまり、矛盾だらけの自分を「好きになれない」ことにこそ、「生きる意味」を見失ってしまうくらいの苦しさが潜んでいるのです。
自分の中に生まれてしまった溝は、目をそらせばそらすほどに深くなり、無意識のうちに心を蝕んでいくもの。
だからこそ、まずはその痛みからも目をそらさず、今の心の状態を感じ取ることがとても大切。なぜなら、それこそが「自分の心」を大切にするということの、第一歩目なのですから。
そこで私がお伝えしたいのは、「自分の心」をきちんと愛するための、ヒントになるかもしれない考え方です。
■その瞬間を生き抜くため、人は新たな人格を作り出す
ご相談者さんの中に最初にあった「個性」は、もしかすると「人と合わせてなにかをする」ことを「苦手」としていたのかもしれません。
特に、子どもは時にどこまでも残酷になることがありますから、「自分となにか違う」とか「みんなとどこか違う」という姿が異質に見え、仲間の輪の中に入ることを認めない……ということが起きたのだと思います。
本当は「違い」という「個性」を認めないことこそ、単にその心が未熟なだけなのですが、哀しいかなこの世の中には大人も子どもも関係なく、そういった排他的な感覚がまだまだ多く存在しています。
そしてご相談者さんのように、幼い頃の経験で、ありのままの自分では人から「認めてもらえない」「愛してもらえない」と感じてしまうと……。人は多くの場合「無意識的」に「違うキャラクターの自分」を生み出して、その姿を使って社会を生き抜こうとするようになるんです。
今回の場合で言えば「社交的な天然」という姿が、ご相談者さんが周囲と上手くやっていくため、新たに生み出した「個性」であり「人格」なのだと捉えてみてください。
ですが、これはまったく「おかしなこと」などではないと、私は考えているんです。
なぜなら、人は人生の中で、他者との関わりの中から多くのことを学び、成長していく生き物だから。
もっと人と上手にコミュニケーションを取ったり、物事を円滑に進めていったりするために、誰もが自分の中に新たなキャラクター(個性)を生み出し、時にはアップデートをしながら「人生で使える自分の切り札」を増やしていくんです。
ご相談者さんは、後から生み出した「社交的な天然」の姿を「本当の自分」ではない、と違和感を感じてしまっているのかもしれません。
しかし私は、もともとの感性や感覚を持っていた心も、新たに人とのコミュニケーションのために生まれた心も、どちらもたしかに「あなたの心」であり、大切にするべきものだと思っています。
■キャラクターは使い分けてこそ輝く「切り札」
実は……かく言う私も、自分の中にいくつもの「人格(キャラクター)」があるということに、ある時から気がついたんです。そしてそれ以来、そのいくつもの個性を相手・場所・状況などに応じて、使い分けながら過ごしています。
昔は、優等生のような「いい子キャラ」である自分以外を認めることができずに、それ以外の自分を無意識に抑え込んでしまっていたため、心に矛盾が生まれてかなり苦しんだこともありました。
しかし、冷静になって自分の心に目を向けてみれば「自分の心のどんな人格」も、自分のために生まれてきてくれたものだと気付き、それを「認めない」ことは、自分の心の一部を殺しているのと同じだと、ハッとしたんです。
人と社交的に話をする自分もいます。ひとりきりで静かに物を考える自分もいれば、夢中で書くことばかりしている自分もいます。優等生みたいなキャラクターのときもあれば、親しい間の人には砕けた物言いをするキャラクターのときだってあります。
大切なのは「どんなタイミング」で、「どんな自分のキャラクター」を使っていくか。私は、自分の中のたくさんの個性を使いこなしてこそ、それがのびのびとした「自分らしさ」になるのだと感じています。
きっと誰しも、大なり小なり「使い分けている」はずです。家族の前での自分、会社や学校などの人といる自分、ひとりでいるときの自分――。
時には、考え方が矛盾しているように感じたり、その中の一部を「自分の心」にあるものだと認めたくなかったりすることも、あるかもしれません。
それでも、どんな自分の心の姿も頭ごなしに否定することなく、まずは認めて受け入れてみてください。
あなたの中にあるどんなキャラクターにも、必ず「活かし方」はあります。
たとえば、最初にご相談者さんの中にあった個性は、人と接することよりもひとりでなにかに集中したり、夢中になれることについて考えたりする方が得意なのかもしれません。だからこそ、そういうタイミングにこそ、力を発揮してもらえばよいのです。
子ども時代に受けた傷は、きっと痛くて辛いものだったはず。でも、その「学び」によって、あなたは「人と円滑にコミュニケーションを取る」ことを得意とした、外交のキャラクターを生み出すことができたわけです。それも、あなたの大切な「切り札」になるでしょう。
どちらのキャラクターも素敵です。それぞれの得意分野を活かせる瞬間が、人生の中には必ず訪れるはず。
まだまだ他にも「いろんな自分の姿」を、見つけていくことができるかもしれません。そしてそれこそが、「自分という人間の可能性」を広げていくかもしれないんです!
これまでの人生で生まれた「個性」の集合体が自分――そんな風に考えてみませんか?
きっと、人生の中に「自分らしさ」という色がついていくはず。自分を信じ、愛して、活かしきることができるのは、自分自身なのですから。
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※この記事は2019年3月26日に公開されたものです