「ねえ、ねえ、ねえ、何か言ってよ」と緑が僕の胸に顔を埋めたまま言った。
「どんなこと?」
「なんだっていいわよ。私が気持ち良くなるようなこと」
(中略)
「君が大好きだよ、ミドリ」
「どれくらい好き?」
「春の熊くらい好きだよ」
「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。「それ何よ、春の熊って?」
「春の野原を君が一人で歩いているとね、向うからビロードみたいな毛なみの目のくりっとした可愛い子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。そして君と子熊で抱きあってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。そういうのって素敵だろ?」
『ノルウェイの森 下』村上春樹著,講談社文庫,2004年,p.171-172
ただ寝てるだけで愛される、怠惰な生き方
好きな人のために何かをしてあげるのは確かに素敵なこと。でも、私はそれを危険だとも思っている。自分を犠牲にして献身すると、無意識のうちに見返りを期待してしまうことが多いから。だから、無理をせず、いつも怠けて、ごきげんでいる。自分がごきげんになったその先に、相手を愛する力がわいてくることを知っているのだ。
村上春樹の小説『ノルウェイの森』に、「緑」という人が出てくる。「僕」のガールフレンドの女子大生だ。
これを読んだとき私は19歳で、高田馬場のモスバーガーで当時の彼氏のアルバイトが終わるのを待っていた。自分が勝手に待っていると決めたにもかかわらず、「連絡こないな」「せっかく待ってるのに、残業なのかな」「ケーキ買ってきたのに、保冷剤もつかしら」などとヤキモキしていたのだが、そんな自分がすごくあほらしく思えたのを覚えている。
■『ノルウェイの森』に学ぶワガママのススメ
なんだっていいから私の気持ちよくなるようなことを言って、と好きな人に堂々とお願いできる女の子、勝手に好きな人を待ってイライラしている私。あのとき前者に猛烈に憧れた。幸せになれるのはこういう人ではないか、と。
「緑」のすごさは、そのとき自分が最高に気持ちよくなる方法をきちんと把握しているところ。加えて、そのために必要とあれば親密な人にストレートにお願いができる、というところにあると思う。あるときは素敵な言い方で好意を伝えてほしいし、あるときは苺のショートケーキを買ってきてほしい。その率直なワガママを「僕」は「やれやれ」などと言いながら、(たぶん)よろこんで受け入れている。
その日、『ノルウェイの森』を読み終わってもなお彼からの返信はなく、思いきって「今日は帰るね」とメッセージを送り、私はモスバーガーをあとにした。冬の風は冷たくて、ひとりで帰るのは淋しかったけれど、ああ、彼に怒らないですんだな、と晴れ晴れとした気持ちになったのを覚えている。
家でふたりぶんのケーキを食べているとやっと「ごめんね」と連絡がきて、「お疲れ様、いいの、でも明日は美味しいカレー食べにいこうよ」と送り返す。私はあのままモスバーガーで待ち続けていたら、自分のイライラが先に立ち、真っ先に「お疲れ様」と言えなかったかもしれない。
■愛し合うことは「ごきげん」を助け合うこと
好きな人のために何かをしてあげるのは確かに素敵だけれど、私はそれを危険だとも思っている。自分を犠牲にして献身すると、つい無意識に見返りを期待してしまうことが多いからだ。「私はこれだけやったのに」と文句を言う。言わなかったとしても、心の根底で思ってしまう。それは不幸なことだし、相手にも失礼ではないだろうか。
好きな人と交際することが、お互いを大切にしあうことだとしたら、相手が大切にしようとしてくれている私の時間や精神を自ら損なうのは、結果的に相手をも損なうことになってしまう。自分のごきげんを大切に、必要とあらば恋人に手伝ってもらいつつ、お互いが最高になっていく。そうやって助け合うことを、私は「愛し合う」と呼んでいる。
無理をせず、いつも怠けて、ごきげんでいること。それは、人を愛する体力を得ることなのだ。だから私は、そのとき自分が最高に気持ちよくなる方法を把握することと、それを親密な人にストレートにお願いすることに、今持っているエネルギーすべてをかけてもいいと思っている。
例えば悲しいときには「アイスクリームを買ってきて」と言うし、やらなくてはいけないことがあるのに面倒くさくて動けないときには「私を励まして」と言う。自分がごきげんになってやっとその先に、相手を愛する力がわいてくることを私は知っている。焦って何かをする必要はない。
今の私は、恋人にたいして特に何もしない。笑ってしまうくらい怠惰だ。彼のボタンが外れかけていても別につけてあげないし、靴や服が汚れていても特に何もしない。それは彼自身のことだと思うからだ。
たまに料理をつくるけれど、つくってあげるというよりも、自分の食べたいものを余分につくって一緒に食べるという感覚だ(彼もそうしている)。食べたいものを食べ、眠たければゴロゴロと寝て過ごす。たまに彼が私の寝床にやって来て、「熊みたいだ」と笑う。それから私たちは抱き合って、ふたりで一緒に転がりっこをする。そういうのって素敵だろ?