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「あたりまえ」を疑う勇気【紫原明子 連載 #8】

私たちの「そうするのが当然」という思い込みは、幼少期に親から課せられ、染み付いたものなのかもしれない。自分の中の「あたりまえ」に縛られるせいで、生きづらさを感じているなら、それを疑ってみることから始めよう。

「あたりまえ」を疑う勇気【紫原明子 連載 #8】

子どもの頃から、父はやたら「風呂に入れ」とうるさかった。

どうしようもなく疲れて、今にも眠ってしまいそうな夜に「明日の朝シャワーを浴びるから今日はいいよ」といくら言っても、「だめ! ほら、風呂、風呂、風呂」と急き立てられる。私が大人になり、母となって、たまに子どもたちと実家に帰ると、やっぱり父は子どもたちにも「風呂、風呂、風呂」と言う。

どうやら父が頭の中でリストアップする1日のタスクの中に「入浴」という項目がしっかりと組み込まれていて、それを家族全員がこなしてしまわなければ、父自身がホッと一息吐くことができない、1日を終えることができない仕組みになっているらしいのだ。

日頃決して口うるさいことを言わない父が、唯一執拗に課す入浴。ところが、父の神経質な度合いに負けず劣らずハイレベルな怠け者だった私は、1日くらいお風呂に入らなくたって別にどうってことないだろうと思っていたので、執拗な風呂コールに「うん、うん」と適当な生返事を返しながら、テコでも入らなかったりした。今思えばかなり強情な子どもだった。


ところが、世の中にはそんな私のように、子どもながらに意思が(なし崩し的に)尊重されたり、感じた通りに行動したりということが、断じて許されない家庭もあるのだということを、大人になってから知った。

親が鋼の意思を持って、正しいと思う暮らし方、生き方に、有無を言わさず従わせる。そんな環境で厳しく育てられた人は、往往にして家事や身支度をあたりまえのようにこなすことができるので、正直これはとても羨ましい。

■「自分はこう生きるもの」と縛られる人たち

何しろ、ただ生きているだけで、私たちにはたくさんのタスクが降ってくる。着た服は洗濯しないといけないし、料理をしたら片づけないといけない。お風呂にも入らないといけない。私はこういった些事を未だに一つひとつすくいあげては、面倒くさいな、と感じてしまうので、生活の中では絶えず、面倒くさい気持ちと、しかしやらねばらない、という義務感とを競わせている。

こうやって葛藤すること自体、どうでもいいことなので、何も考えず、当然のようにさらりとこなせる人のスマートな生き様を思うと、彼らはなんと快適に暮らしているのだろう、それに比べて私ときたら、なんといばらの道を歩んでいるのだろうと思わされる。


ところが、彼らには彼らで問題もあるらしい。ある友人が、かつて私に打ち明けてくれた。

「私、部屋が汚いのって、本当に無理なんだよね……」


無理、と口に出した瞬間の、嫌悪に満ちた冷たい眼差しを目にした瞬間、彼女の苦悩がほんの少し理解できたように感じた。

彼女は「あなたはこういうふうに生きなさい」と、付き合う男性の好みから職業、服装まで、母親によってすべてその都度、最適なものを示唆されてきたという。それによって自ずと、“当然自分はこう生きるもの”というイメージを強く持つようになり、気がつけばその通りに生きているのだという。

■親からの「あたりまえ」の押しつけは信仰に似ている

思うに「あたりまえ」という感覚を強く持つというのは、引き出しの中を細かく区切って整頓するのと同じことで、これはここ、これはここ、と生きていく上で身の上に降りかかるあれこれを、瞬時に、何の混乱もなくしかるべき場所に収められることなのだろう。親は、子どもが先々背負いかねない苦労を極力軽減させてやりたいから、あれこれ先手を打って世の中の道理を教え込む。


ところが、生きていく上では当然ながらイレギュラーな事態が起きる。きちんと枠内に収まらないものがぶつかってきたり、引き出しが溢れてしまったりもする。そのときに、それらを適切に処理する術を持たなければ、極端に不快になってしまう。親からの価値観の刷り込みは言ってしまえば強い信仰と同じことで、信仰は強さにもなり得るが、ともすれば例外を許容させない、呪縛のようにも作用してしまうのだろう。


最近、大なり小なりこういった事情で、漠然とした生きづらさを感じている人が、決して少なくないように思う。きちんとできないが故の生きづらさを抱えている私が言うのも何だが、もし、きちんとできているのになぜか生きづらい、不快なことばかり、と感じている人がいれば、一度、あたりまえと思っていることを疑ってみるといいのだろうと思う。

子どもである立場からはなかなか見えないけれど、親だって所詮は人間なので、独自の価値観が子育てに反映されている。親があたりまえだと教えてくれたことは、あくまでも親にとってのあたりまえに過ぎない。


この広い世の中で同じあたりまえを共有できているのは、もしかしたら10人にも満たないかもしれない。あたりまえから逸脱したところに、案外うまくいくやり方がある。大人になって、好きなように生きられるようになったのだから、広い海を旅するように、のびのびとやってみてもいいんじゃないかと思う。

紫原 明子

エッセイスト。1982年福岡県生。二児を育てるシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。『家族無計画』『りこんのこども』(cakes)、『世界は一人の女を受け止められる』(SOLO)など連載多...

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