むらさきのスカートの女/朝日新聞出版/今村夏子
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たまには心を掻き乱されたい。連載「TheBookNook」Vol.16では、読後に穏やかな気持ちになれない作品たちをご紹介します。今回、八木さんが選んでくれたのは、タイトルだけでも背筋が寒くなるような三作。ぜひ手にとって、魂をゆさぶられてください。
文 :八木 奈々
写真:後藤 祐樹
鳥肌がたつような恐ろしい物語や映像作品はこの世にたくさんありますが、怖くない物語のはずなのに読み手にだけ伝わる違和感に不安を感じたり、物語なのか現実なのか、はたまた妄想なのか、背後に視線を感じて思わず振り返って確認してしまうような、不気味な小説に出会ったことはありますか?
写真はイメージです。
全く他人事ではない人間の嫌な部分や、小さな世界の常識に染まって知らぬ間に歪んでいくさまを活字で見ると、自分のことのようにゾッとします。おそらくこういった作品は万人受けはしません。ただ、私は物語の登場人物達に自分の感情の奥底を搔き乱される感覚が大好きなのです。
今回は、そんな私が出会った、決して怖くは描かれていないのに背筋が凍る、読後は脳裏にこびりついて離れない作品を紹介させていただきます。恐ろしい活字の世界に素敵にダマされる快感をぜひ。
この作品は、主人公の女性が近所に住む“むらさきのスカートの女”とお近づきになろうとする物語なのですが……、この女、いや主人公の女までもがどこかおかしいのです。
過剰な執着心と異常な自己投影、奇妙な空気感と豹変していく主人公のさまは、まさに狂気と紙一重の滑稽さ。おかしいのは彼女か、語り手か、それとも私か。
読み進めていくうちに“スカート”の文字が“ストーカー”という字に見えてくるのは私だけではないはずです。“特に何も起こらない”日常の中で、誰かが私達読み手の心を監視しているかのように物語のすぐ近くまで惹きこんでくれます……頼んでもいないのに。
“むらさきのスカートの女”というタイトルでありながら、モノクロの水玉で描かれた表紙絵。いくつもの違和感。疑問の多い芥川賞ですが、本今作品が受賞したのを納得せざるを得えないラストを迎えます。
本当におかしいのは、あなたか、わたしか。それとも……。
もし、自分の家族が突然、意思疎通もできないおぞましい異形の“なにか”に変わり果ててしまったら……。そして、それが“合法的”に人権をもたないものとされたなら……あなたはどうしますか?
本作品は、引きこもりや社会との繋がりが薄い人々がかかる奇病“ミュータント・シンドローム(異形性変異症候群)”が蔓延する世界を舞台に描かれます。突然おぞましい姿に変異した引きこもりの息子を世話し続ける母と、棄てようとする父、そこにある愛とエゴと現実。“異形”の存在を否定して、当たり前を良しとする社会。
不条理とグロ描写と胸にこたえる家族関係のどこか生々しい描写が同居するこの作品。読後は、自分の心にある冷酷さや未熟さと、嫌でも向き合うことになります。共感できてしまうところが多々あった私は、はたして、人間に向いているのでしょうか……。メフィスト賞満場一致の受賞作がここに。
“ある朝、目が覚めたら虫になっていた……”。
ひとつ前に紹介した作品と設定は似ていますが、展開は真逆。個人的には“人間に向いてない”は「理想」、本作は「現実」という印象を持ちました。
突然変わった自分の姿に困惑する主人公の心情、変わっていく周りの目、対応。人間としてのアイデンティティを失い、それに抵抗すればするほど空回りしていく日常。
現実世界で虫になるなんてことはもちろんないが、でも、例えば、ひどい事故に遭い、顔の形が丸っきり変わってしまい、さらに失明・失聴することは私にも充分にあり得る。そうなると私は職を失い、本だって読めなくなる。この本の主人公のように精神的に“死んだ存在”として生き続けるのかもしれない。
そんなとき私の隣には誰かがいてくれるのだろうか。というか、身近な人がそうなったときに私は隣にいてあげられるのだろうか。“絶対的”なものなんてあるのだろうか。読後は、そんな救いようのない不安に煽られると同時に今生きている自分を抱きしめてあげたくなりました。
タイトルの“変身”が何を意味するのか、何も意味しないのか、その捉え方は三者三様ですが、それこそがこの作品の魅力であり、長く読まれている最大の理由だと感じています。
因みに新訳版では70ページに及ぶ訳者解説もあり、別角度でも楽しめます。難しい内容のように感じますが、作品自体は短く文体も読みやすいので、ぜひ。
いかがだったでしょうか。決して万人受けするとはいえない奇妙な三作品ですが、始めは理解できなくても、ぜひ、繰り返し読んでいただきたいのです。一度目で感じた感情と全く異なる感情が生まれて戸惑うこともあるかもしれませんが、それこそ読書の醍醐味。読めば読むほど、寄り添えば寄り添うほどに、きっと人生の大切な一冊に巡り会えると思います。
虚構と分かりながらもそこに順応していく、素敵に騙されていく、本の世界は騙されたもの勝ちです。
この連載は、書評でもあり、“作者”とその周辺についてお話をする隔週の連載となります。書店とも図書館とも違う、ただの本好きの素人目線でお届けする今連載。「あまり本は買わない」「最近本はご無沙汰だなあ」という人にこそぜひ覗いていただきたいと私は考えています。
一冊の本から始まる「新しい物語」。
「TheBookNook」は“本と人との出会いの場”であり、そんな空間と時間を提供する連載でありたいと思っています。次回からはさらに多くの本を深く紹介していきますのでお楽しみに。
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