「好きなことなら、どうせ辞められない」映画監督・のんが自分を諦めるとき
DRESSの『運命をつくる私の選択』は、これまでの人生を振り返り、自分自身がなにを選び、なにを選ばなかったのか、そうして積み重ねてきた選択の先に生まれた“自分だけの生き方”を取り上げていくインタビュー連載です。今回のゲストは役者・創作あーちすととして活躍するのんさんです。
「『のん』になってからは、やりたいことにはブレーキをかけないと決めているんです」
その言葉通り、役者、画家、音楽家、そして映画監督と年々活躍の場を広げているのんさん。2022年2月25日には、劇場長編映画としては初の監督作品となる『Ribbon』が公開される。
社会の変化や年齢を積み重ねる中で、好きなことややりたいことを手放すことがあり、同時にそれは、“仕方がないこと”にされてきた。きっとそれもひとつの選択かもしれない……けれど、なんとなくすっきりしない。
自分の好きなことに純粋な気持ちのまま向き合いながら、創作を続けるのんさんの姿はきっとそんな人のこの先を明るく照らしてくれるはず。なぜ彼女の表現は鳴りやまないのか―—映画『Ribbon』の制作秘話とともに彼女の魅力についてお話を伺いました。
スタイリスト:町野泉美
取材・文:仲奈々
写真:池田博美
編集:小林航平
■「のん」になった今、やりたいことはやると決めた
ーー映画『Ribbon』の企画が立ち上がったきっかけを教えてください。
コロナの第一波がきて、自分主催のフェスを中止にする決断をしました。他にもいろんな仕事が中止や延期になって、緊急事態宣言も発令され外出できない期間が続いていました。しばらくはお布団にくるまってダラダラと日々を過ごしていたのですが、あるとき「このままじゃいけない!」と思い立って、脚本を書き始めました。
もともと10代のときに美大に憧れていたことから、映画の主人公を美大生にしようと決めました。それで、「コロナ禍で、美大生の方達はどう過ごしているんだろう」と調べ始めたんです。新型コロナウイルスが流行り始めたのが2020年2月頃だったので、卒業制作展が開催直前で中止になった美大がすごく多かったんですね。そんな状況で、「どうにか自分達の作品を見てもらいたい」とWebで作品を発表している記事がありました。そのインタビューに、「1年かけて作った自分の作品がゴミのように思えてしまった」と書かれていて、すごく衝撃を受けたんです。その悔しさが、自分がフェスを中止にしたときの悔しさと共鳴して「これは書かなければいけない」と思い、物語が定まっていきました。
ーー“美大”が舞台なだけあって、作中にたくさんの絵画作品が出てきますよね。その中には、のんさんが実際に描いたものもあるそうですね。
私が演じる主人公“いつか”の描いている作品は、私が実際に描いたものです。
あとは、いつかが外出時に持ち歩いているポシェットに描かれているあやめの花の絵は、私が描きました。
ほかにも、今回の作品の中には私物もいくつか登場させています。いつかの部屋に山積みにされている洋服。その一部は私が普段実際に着ているものです。あと、いつかの部屋に置いてある宇野亞喜良さんや奈良美智さんの画集も私物です。
ーーのんさんの描かれた絵や私物を作中に見つけるのも、本作の楽しみ方のひとつかもしれませんね。のんさんは、幼い頃から絵を描くのが好きだったのでしょうか。
そうですね。絵が好きだと自覚したのは幼稚園のときです。節分の日に鬼の絵を描いたんですけど、ほかの子たちが赤鬼や青鬼の絵を描く中、私は「みんなと違うかっこいい鬼にしよう」と思って黒い鬼を描いて。そしたら、その絵が子供の絵の展覧会で展示されることになったんです。その出来事がすごくうれしくて、「私は絵が好きな人なんだ」と自覚しました。
その後も絵はずっと描いていて、高校生のときには美大に進学することも考えていました。美大のオープンキャンパスでデッサンの授業に参加したこともあります。ただ、当時は役者のお仕事が軌道に乗り始めた頃で。ものすごく迷ったのですが、役者に力を入れたいと思い進学を断念したんです。
ーー学生時代、一度は道を諦めたものの、現在では絵のお仕事もされていますよね。
役者に専念するために、一度はそれ以外の道を諦めましたが、「のん」になってからは自分自身がやりたいことにブレーキをかけないと決めているんです。作ることにも妥協しない。これまで通り役者もするし、絵や音楽、映画、私は創作することが好きなんです。のんになってから、自分がやりたいことや好きなことに向き合えているなと思います。
■怒りの中に潜む原動力
ーー『Ribbon』を企画したきっかけは「むなしさや行き場のない怒り」にあったそうですが、のんさんの創作のモチベーションは“怒り”にあることが多いのでしょうか?
私、基本的におこりんぼなんです。小さい頃からいつも怒っている。私だけじゃなく、家族や仲のいい友達にも怒りの表現が豊かな人が多かったですね。
ただ、私の中で怒りは明確に2種類に分けられて。“カジュアルな怒り”と“シリアスな怒り”があるんです。私が日常的に使っていたり創作意欲に変換したりするのは、“カジュアルな怒り”ですね。
ーー“カジュアルな怒り”とは、どのようなものなのでしょうか。
何か作品を観て悔しい気持ちになったり、カチンときて面白おかしく返せるような怒り。
日常的に使う怒りもあります。相手が好きだからこそ出てくる怒りって言ったらいいのかな……。怒りというより遊んだりじゃれたりしている感覚に近いかもしれません。私の家族はみんな怒りながら楽しく会話するんですよ。会話の内容は怒っているんだけど、なぜかみんな笑っている(笑)。
ーー怒りながら笑う……?
そうなんです。中学時代の話なのですが、学校に行ったフリをして隠れてご飯を食べていたときは、怒りながら笑われましたね。
私の食欲がすごくて、お母さんが用意してくれる朝ごはんだけでは全然足りなかったときがあったんです。どうしてももっとごはんが食べたくて……おいしかったし……。
だから、朝ごはんを食べ終わった後、学校に行くフリをして、お母さんが仕事に出かけるのを見計らって家に戻り、自分でご飯を炊き直して6合くらい食べていました。それをしばらく続けていたんです(笑)。
それがバレたときはさすがにお母さんから怒られましたね……「え、嘘でしょ?」って。でも、そのときも口では怒っているんだけど、最終的には声も顔もめちゃくちゃ笑っていて。
ーー笑ってしまうお母さんの気持ちがわかる気がします。
家族だけじゃなくて、仲のいい友達ともよく怒りながら笑っています。お互いにわざと罵っているような言葉遣いをするんだけど、その状況が面白くて笑っちゃう。“カジュアルな怒り”は、猫がプロレスをしてじゃれ合っている行為に近いのかなって思います。
ーーでは、“シリアスな怒り”とはどんなものですか?
許せなくて部屋の中で暴れて泣き叫んでしまうくらい怒りが溢れてしまうときは、 “シリアスな怒り”ですね。そういう怒りは、感情を補完して演技のためになることはあっても、創作へのエンジンにはなりません。怒った後に疲れちゃいますから。
ーーのんさんは“カジュアルな怒り”をパワーに変えているんですね。
怒りでどうしようもなくて、布団にうずくまって泣きわめいているときもあります。その感情を補完しておいて、それが創作に生かされるときもあります。
長期的に継続して何かをするときは楽しい感情のほうが適していると思うのですが、怒りの感情は衝動的に何かを始めるための原動力になります。だから、怒りの感情はカジュアルな怒りもシリアスな怒りも無理に抑えこまず、大事にしたいなと思っているんです。
■何気ない個人的な生活が、芸術を豊かにする
ーー『Ribbon』の中で、主人公のいつかが一生懸命描いた絵を母親が「落書き」だと勘違いし、捨てられてしまうシーンがありますよね。のんさん自身にもいつかのように、家族や身内の人に大切なものを認めてもらえなかった経験があるのでしょうか。
幸い、私はそういう捨てられたりっていう経験は全然してこなかったですね。自分で気がついていないだけかもしれませんが。私の家族は、私が好きなものや大切なものを尊重してくれることが多かったように思います。
ーーのんさんの大切なものを一緒に大事にしてくれる家族がいたから、大人になってからも好きな気持ちにまっすぐ向き合えているのでしょうか。
そうかもしれないです。そういえば昔、「役者になるために東京に行く!」とお母さんに話したとき、はじめは「あなたがひとりで東京でやっていけるわけがない」と言われて喧嘩になったのですが、最終的には上京を認めて応援もしてくれて。
家族が、私のやりたいことを尊重し後押ししてくれていたから、大人になった今でも「やりたい」と思ったらすぐ行動できるのかもしれません。
ーーのんさんは表現を通じて自分の感情を力に変えてきた人だと感じます。そんなのんさんでも、パワー切れで動けなくなってしまうことはあるのでしょうか。
私の場合は、忙しくてインプットが全然できないと燃料切れになってしまいます……。仕事でもプライベートでも、アウトプットばかりでインプットができないことが続くとどんどん擦り切れていってしまって。そうなると、家から一歩も出たくなくなってしまうんです。
去年はいつもの仕事に加え、舞台や作品に複数並行して入っていたからすごく多忙で。時間的にも体力的にも余裕がなくて、インプットする時間は全然ないのに役を演じることや作るためのアウトプットはどんどんしないといけないから、心身共にくたくたでした。
ーーのんさんにとって、インプットの時間は欠かせないものなんですね。
いろんな作品を観たり聴いたりすることはもちろんですが、日常生活が豊かじゃないと、良いアウトプットはできないと思うんです。
くらもちふさこさんが描く『いつもポケットにショパン』という漫画があるのですが、その中のあるエピソードがすごく印象に残っていて。
主人公のお母さんは、ピアノ教室の先生をやっています。あるとき、生徒のお母さんから「どうしたらうちの子はピアノが上手になりますか?」と質問されて。それに対して先生は、確か「お子さんは料理をしますか?」というようなことを問いかけるんです。生徒のお母さんは、「指を怪我すると大変だから、包丁なんて握らせない。指が傷つくようなことはさせていない」と答えます……。すると先生は、「うちの子はシチューが得意です」と自慢するんです。
このシーンを見て、音楽に限らず絵や映画といった芸術やエンターテインメントを豊かにするためには、実体験を通していろいろなことをインプットできる日常の些細なことに豊かさを感じ取るのが大切なのだと思いました。シチューを作るとか、日々の何気ない個人的な生活の中にこそ、芸術を豊かにするためのヒントが溢れているんだな、と。
■自由な選択のために、そんな自分を諦める
ーーのんさんには、役者にアート、音楽、そして映画監督など、肩書にとらわれない自由な活動をしている印象があります。こうした選択ができている理由をどう考えていますか?
私のチームのスタッフが私のやりたいことを尊重してくれるから、というのも理由のひとつではありますが……好きなことを自由に選択するために一番大切なのは、ある意味、自分を諦めることかもしれないと思っているんです。
ーー自分を諦めるとは……?
「好きなことだから、周りに止められてもどうせ辞められないでしょ」って。
だったらいっそのこと「辞めること」を諦める。「好きなこと、やりたいことをどうしても辞められない自分」を諦めているんです。そんな自分を受け入れたら楽になるというか。そして、どうせ辞められないなら、思いっきりやるしかないなって。
たとえば、映画監督の世界は上を見るときりがありません。偉大な作品を残し、技術を持った人たちがたくさんいますし、「そこにたどり着くまでにはあと何十年かかるんだろう」「そもそも私にできるんだろうか」と途方にくれることも多いです。でも、自分のやりたい気持ちを見ないふりすればするほど、無視できなくなってくるというか……。
チャレンジしてもしなくても結局気になってしまうなら、辞めることを諦めて、自分の“好き”を認めて挑戦することのほうが自分にあってたんです。また、挑戦するときはハードルをとことん下げて始めてみるのがいいと思います。本当はやりたいことなのにやらない選択をするときって、最初から自分でハードルを上げすぎている場合が多いと思うんです。
挑戦しなければ失敗しないけど、挑戦して失敗したら「こうすればよかったかも」「次はこうしてみたい」と、“もっとやりたい”って欲が芽生えてくるんですよね。そうしたら好きな気持ちもどんどん研ぎ澄まされていきます。
「私の心がこうしたいって言ってるんだからしょうがない」と、ある意味諦めて自分を受け入れることができると、もっと自由に選択できるようになるのかもしれませんね。
衣装協力
ワンピース57,200円/エズミ(リ デザイン)
中に着たトップス17,600円/ニアー ニッポン(ニアー)
右耳上イヤーカフ93,500円、右耳下イヤーカフ66,000円/ともにプライマル
左耳イヤーカフ30,800円、リング41,800円/ともにブランイリス(ブランイリス 東京)
シューズ49,500円/チノ(モールド)
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