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「ダイエット魂」を断捨離。#痩せたい が奪ってきた私の時間

幼い頃から「痩せたい」と思って生きてきた。痩せてきれいになれば、恋愛も何もかもうまくいくと思っていた。でも次第に、「ダイエットによって減るものは体重ではない」と思うようになり……。山口繭子さんが「#痩せたい」から卒業するまで。

「ダイエット魂」を断捨離。#痩せたい が奪ってきた私の時間

スマホの奥に広がる『DRESS』を今この瞬間読んでいる方々は、これまでの人生、「理想の人」については語り尽くしてきたのではないでしょうか。私も、そう。中学時代から始まって何十年と、「こういう人がMy理想」と言い募るままに、いつしかこんな歳になっていました(言いませんが)。

優しい人、面白い人、背が高い人、不良っぽい人、白いシャツが似合う人、稼ぐ人、いい匂いの人、価値観が合う人……など、まぁ思いつく限りの言葉を用いて、「理想の人」を表現してきた私たち。しかし今、そういった数々の条件が実はすべてどうでもいいことだったんだ、という事実に気づいてしまいました。

では人生を共にするにあたって何が最も大切なポイントなのか。私が見つけた解は「食の嗜好が合うかどうか」でした

「痩せればもっと理想的な恋愛が待っている」となぜか信じて、しんどい20代を過ごしたかつての私に教えてあげたい。「その法則、誰が決めた? 恋愛して結婚したら、その後には無限に続く食生活のシェアが待っているんだぞ」と。

■痩せたい、でも食べたい。残したい、でも好かれたい。

「食こそすべて」という私なりの解を得たのは30代。ライフスタイルや食の雑誌の編集部に勤め、明けても暮れても「食べる」が仕事になってからのことでした。

人間の三大欲のひとつでもある食。もちろん、セックスや睡眠だってとても大事だと思いますが、男女関わらず、年がら年中ほがらかに共有できる時間といえばやはり、食に勝る存在はないはずです。

食の編集部で働くようになり、心底「食欲の優位性」に納得するその一方で、「でもその欲望をほがらかに積極的に満たし続けていると、“痩せてきれいになって素敵な人とイイ感じになって……”というレースから脱落する気もする。どうすりゃいいのか」という迷いが生じるようになりました。

さらに、私が在籍していた職場といえば、目の前を美味しいものが行進していくような日々です。新発売のドーナツ、マカロン、チョコレート、アイスクリームを味見しつつ、夜な夜なニューオープンのレストランに通い、カロリー&アルコールと仲良くしなければ仕事にならないという過酷な環境は、私に「痩せる」という願いを叶えさせてはくれませんでした。


思えば、幼い頃からずっと私は「痩せたい」と思って生きてきました。インスタグラムの「#痩せたい」は、まさに心の声です。

けれど、残念なことに“ほっそり”とは言えない雰囲気に生まれた私。一度だけ、大学時代にちょっと事情があってげっそり痩せたこともありましたが、“ぽっちゃり”が激痩せすると、待っているのは“ほっそり”ではなく、周囲から猛烈に心配されるだけという事態でした。バカと言ってくれた友人や母親には、心から感謝です。

……にも関わらず、その後もダイエットは永遠のテーマでした。ぴたぴたのタイトスカートとアルコールが大好きだった私にとっては、どちらも両立させないと人生の喜びが半減するような気がしていたのです。
痩せたい、でも食べたい。残したい、でも好かれたい。おそらく私だけでなく多くの女が味わうこのスパイラル。苦行とさえ思えます。

「きれいに痩せて好かれたいけれど、食べないことには好きでいてもらえない(男はたいてい、モリモリ食べてよく笑う女が好き:私調べ)」という難しさ。でも、本当にそうなのだろうかと疑いを抱いたのは、当時付き合っていた彼と吉野家で食事中、「残すのかよ、寄こせよ、食ってやる」と言われたときでした。“叱られ萌え”したのです。

目の前にいるのは、ただひたすら食べる男。こんなに素敵な存在ってあるでしょうか!
私がこれほどダイエットに翻弄され、食への欲望に日々抗(あらが)いながら生きているというのに、目の前に出されるものを次々美味しそうに平らげる。

「次の土曜はスパイスカレー。レシピの倍量、作ってよ。夜は鴨鍋でシメは蕎麦かうどんで。デザートはゴディバのチョコアイス」

「せっかく下関に来たんだから、『酒場放浪紀』で吉田類が回った居酒屋、全部行く」

……と、吉野家くんとの付き合いは、ロマンティックとはほど遠いスパルタカロリー摂取ライフ。

「ほっそりしている人が好き」とは決して言われませんでした。私が多少太ろうが痩せようが、気づきもしない人。あんなにダイエットに四苦八苦して生きてきた私の時間とかけた金額は、一体なんだったのでしょう。

その後、徐々に私は「ダイエットをとるか、一緒にいる時間を大切にするか」という二択を迫られると、後者をとるようになっていきました。

■長きにわたって目指した「痩せ」の先にあるものは?

そして今、気づいてみればダイエット熱がぱったりと冷めきっている。
いえ、正確に言えば、今でも痩せたい気持ちはあるんです。ですが、少し痩せる→それを覆す恋愛熱心さ、または仕事熱心さで太る→少し痩せる→もっと覆す、という暮らしを続けた結果、「汝の運命体重を受け止めよ」という天の声が聞こえるようになりました。これは「あきらめ」なのでしょうか。

かつて真剣にやった「朝ごはんはグレープフルーツとゆで卵だけ」とか、「ライ○ップのWebサイトを隅から隅までチェック」とか、そんな類の「痩せたい」という焦燥感も天の啓示には負けてしまったようです。

今にしてようやく私は、長年心の中から追い出せなかった「ダイエット魂」を断捨離することに成功したのだと思います。これを我慢、あれも我慢、という苦行の積み重ねによって痩せたとしても、そこに残されるものは自己満足だけではないかと考えられるようになったから。

長きにわたって私が目指した「痩せ」の先にあるものは、なんだったのでしょうか?
白ポチャ157センチの私が多少の努力を重ねても、北川景子にはなれやしません。なのに、そこにどんなパラダイスを求めるのかと自らに問えば、「初対面の人からも、なんとなく雰囲気がいいと思われそう……」という正体のない憶測があるだけ。
しかも怖いのは、その裏で私が逃すことになる人生の美味しいモーメントです

爽やかな朝にスクランブルエッグとベーコンをのせたトーストを食べるか、完全栄養食のゼリーを吸うか。大好きな人が「シメのラーメン、食べてかない?」と言うのを断り、エビアン飲みながら帰るのか。そんなことも判断できないままに、役に立つかわからないダイエットを続けているなんて、それはまさしく人生の浪費です。

ダイエットで減るのは体重ではなく、暮らしをときめかせるたくさんの瞬間なのだと悟った瞬間、誰のためでも見栄でもなく、「#痩せたい」からようやく卒業できる気がしたのでした。

■人生の”美味しい時間”をすべて味わい尽くす

4カ月前からパーソナルトレーニングのジムに通っています。会社を辞めてフリーとなったのがきっかけのひとつ。私は、たったひとりの従業員である自分に対し、①見た目ヘルシーでまぁまぁ感じよく営業させ、②ハードな仕事も喜んで任務遂行させ、③変わらず続く吉野家くんとのカロリーライフも謳歌してもらう、という義務があるため、やむなく決断したのでした。

クミコさんという厳しくも素敵なトレーナーが、私の担当。毎回、体の奥の奥の奥にある小さな筋肉までいじめ抜かれ、それによってずいぶん自分の体が変わってきたように思います。
痩せたら、まぁうれしいのですが、それ以上に求めているのは基礎代謝量の向上です。「45キロに見える60キロ」ならいっそ本望だし、この食生活を続けながら今以上太らないでいられるなら、それで御の字。

ですが、今後はもう、自分にとって大事な時間や大切な人と過ごす時間はダイエットしません。料理だけでなく、人生の“美味しい時間”をすべて味わい尽くして生きるのが、私が目指すべきビューティーメソッドだと思っています。


山口 繭子

やまぐちまゆこ/ディレクター。神戸市出身。「婦人画報」編集部、「ELLE gourmet」編集部(共にハースト婦人画報社)を経て独立。食とライフスタイルをテーマに、イベントや新規プロジェクトなどで活動中。https://no...

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