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“美容”という道具には、もう振り回されない。「キレイな女」をやめて手に入れた幸せ

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どんどん変わる自分がうれしくて、美容にのめり込んだ20代後半。ついにはテレビ出演のオファーや書籍出版も。でも、あることをきっかけに私は「キレイな女」をやめようと決意した――。フジコさんが手放した美容、そして新しく始めた美容とは。

“美容”という道具には、もう振り回されない。「キレイな女」をやめて手に入れた幸せ

物心ついた頃から自分の容姿が悪いのだという自覚があった。丸顔の大顔で目つきも鼻の形も悪く、手足は短くずんぐりむっくり。同級生と並べば私だけ横幅が倍ほどある。

「どうせ私は“綺麗”じゃない。だから何をやっても上手くいかないし、何をしても無駄」

そんな諦めに近いコンプレックスが常に付きまとった。成人する頃には私はすっかり自意識を拗らせた面倒な女になってしまっていた。

そんな私が、心の底から変わりたいと思う出来事があった。20代も後半に入った頃、趣味つながりで新しい友人たちができたのだ。彼女たちはみんな綺麗で明るく、ひねくれた私とは対照的だった。
ある日、友人のひとりに何気なく「いつもオシャレだね」と声をかけたら、彼女から「今日はフジコさんと会うから可愛くしてきた」と返ってきた。ノーメイクどころか毛玉が浮いている服を着ている私に会うために、友人は時間と手間をかけて着飾ってきてくれた。

私はそのときはじめて、「どうせ無駄だから」と外見に一切手をかけてこなかった自分が恥ずかしくなった。そして、せめて人並みに見た目を整えて、彼女たちと堂々と並んで歩けるようになりたいと思ったのだ。

結果、私は30キロ近いダイエットに成功した。そしてダイエットに成功したことをきっかけに、容姿に関して自意識を拗らせて20数年ジメジメと日陰を歩いてきた女が美容に挑戦してみることにしたのである。

■どんどん変わる自分。書籍出版、テレビ出演も

初めて触れる美容の世界はどれも新鮮でとても楽しかった。

「どうせサイズがないから」といつも前を素通りしていた素敵な服屋さんに勇気を出して入り、リクルートスーツと喪服以外で初めて1万円を超す服を買った。素敵な服を着ると、それまで尻込みをしていたコスメカウンターやネイルサロンにも入れるようになった。知らない知識を得るためにファッション誌を読み漁った。

服を変え、髪を切り、爪を塗り、化粧をする。

どんどん変わっていく自分がうれしくてしかたなかった。外見が変わるにつれ、周囲の反応も変わっていった。方々から今までかけられたことのないような褒め言葉をもらい、世間に甘やかされるようになったのだ。

さらにはその体験を書いたSNS投稿がバズり、自身の半生が書籍化し、サイン会にはじまりトークショーやテレビ出演のオファーまで来たのである。出版社さんからは先生と呼ばれ、SNSを開けば自分への称賛の言葉が並んでいる。そりゃあ……お鼻も高くなるというものだ。

同時に私は「”美しい女であること”が世間における自分の存在価値なのだ」と壮大な勘違いをしてしまった。特に自分に自信のなかった私にとって、人様から手放しに肯定されるという経験は甘露だ。一度味わうとそうそう忘れられない。

もっと認められたい。もっと褒められたい。

私はいっそう美容にのめり込んだ。
百貨店のコスメカウンターに万札を握って通い、体型維持のため毎日追われるようにジムへ行って運動をした。手を抜くのが怖くて、近所のコンビニにでさえ髪を巻いて八センチのハイヒールで行くようになった。

世間から容姿を評価されることで自分を満たそうとした途端、楽しんでいたはずの美容は私の中で「しなければならない」ものへと変わった。自分に課せられた義務的なものになってしまったのだ。

■「キレイな女」でいることがバカらしくなった日

当然こんな無理は長く続かない。あるとき精神的な限界が来た。SNSを通して仲良くなった友人の彼氏から性的な誘いを受けたのだ。

無理をして自分を騙し騙し「キレイな女」であることを続けようとしていたが、これがきっかけでもう何もかもが嫌になってしまった。

私がこんなに苦しい思いをしてまで手に入れたかったのはこんなものだったのか……。そう思うとすべてがバカらしくなった。そうして私は自分の意志で、「キレイな女」でいることをやめたのである。

体系維持のための極端な食事制限や運動、清楚でウケの良いファッションやメイク、その他「キレイな女」でいるために無理をしていたすべてのこと。
それらをやめて失ったものは、異性からの人気、知らない誰かからの褒め言葉、SNSでのフォロワー数やイイネの数だ。
私がキレイじゃなくなっても友達は変わらず仲良くしてくれたし、家族は当然の様に私を支えていてくれる。
私にとって、大切なのは後者だ。

私に本当に必要だったもの。
それは世間からの評価や承認ではなく、自分と向き合い本当に大切なものは何かを考えることだった。

しなければならないと思い続けていた美容を手放し、それに気付いたとき、私はやっと長年自分を苦しめていた「どうせ私は綺麗じゃない」「“キレイな女”でいなければいけない」というふたつの縛り付けから自分を解放することができた。

高くなった鼻はいつの間にか丸くてぺちゃんこな団子鼻に戻っていた。

■「いい肉を食べる日」専用の口紅があったっていい

さて、そんな私がここ一年の間に新しく始めた「美容」がある。それは「良い肉を食べる日はクリスチャンディオールの真っ赤な口紅を塗る」というものだ。

良い肉を食べる日の朝は時間に余裕をもって鏡に向かい、存分に気合を入れてリップラインを引く。もちろんリップだけ真っ赤にしては浮いてしまうので、他の部分もベースからいつもよりしっかり手間も時間もかけてメイクする。

「今日の私は顔面にクリスチャンディオールをのせている女だぞ」という自己認識の元、思うまま高い肉を食べる時間を楽しむためだ。

たとえ他人からどう見られていようと(そう、たとえ居合わせた誰かに、平日の夜メガハイボールジョッキ片手にひとりで400グラムの塊肉を貪っている小太りで派手な化粧の女だと見られていようと)ぽってりした真っ赤な唇で大口を開けて肉汁滴る霜降りを食らう自分を私はとても気に入っている。

さらに言えば、私は良い肉を食べに行く日にしかその口紅を使わない。すると、口紅をつける=良い肉を食べるという式ができ上がるので、口紅をつけるだけでスイッチが入り、「私にはこれから約束された幸せが待っているのだ」とその日は朝から夢と希望に満ちあふれた輝かしい自分になれるのだ。

口紅の減り具合で、自分がどれだけ頑張って働いて良い肉を食べに行ったのか確認することもできる。

私にとって真っ赤なクリスチャンディオールは肉専用口紅だ。
クリスチャンディオールにとってはまことに不本意かもしれない。だが、私は結果的にそちらの口紅を使って最高の幸せを手に入れているのだから、そこはひとつ、変わったユーザーもいるもんだと見逃していただきたい。

美容は、自分自身と向き合い自分の力で幸せを実現するための道具である。せっかくの道具だ。自分の使いやすいようにカスタマイズして楽しく使おうではないか。

いま手にしている道具が大きく重たく負担になっているのなら、もっと小さく軽い道具に持ちかえて良い。使い方だってひとつじゃない。道具に振り回される人生はつまらない。

ただでさえ我々の人生はしなければいけないことでいっぱいなのだ。
もし、これをご覧のあなたがいま持っている美容という道具を重たく感じているのなら。

今年は「しなければならない美容」を一度手放して、自分を楽しい気持ちにさせてくれる美容をはじめてみてはどうだろう。まずは、良い肉を食べるときにつける口紅を探すところから。


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フジコ

作家、ラジオアナウンサー、カフェオーナー。「ブスが美人に憧れて人生が変わった話。」など。自身の体験を元に文字を書いています。

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