自分の「好き」を再インストール。時代が決めた「正しい顔」は手放した
新宿を歩いている、時代の半歩先を行くようなお姉さんたち。私もいつか、あのきらきらになりたい。そう思って流行の新作コスメを買いあさったけれど……。モデル・ライターのイトウハルヒさんが手放した、そして新たに手にした綺麗とは。
上京して初めてひとりで訪れた街、新宿は目に入るものすべてがきらきらして、圧巻だった。すれ違うお姉さんも皆きらきらで、彼女たちは未来を生きているみたいだった。地元にはいない、時代の半歩未来を歩くお姉さんたち。彼女たちは田舎者の私に「東京」を見せつけた。
いつか、あのきらきらになりたい。
それから約1年、ライターとして文章を書きつつ、憧れだったモデルのお仕事もほんの少しずつながらいただけるようになってきた。しかし、いまだ仕事には慣れない。新宿で会ったようなきらきらな女の子たちの中に、田舎者の私がひとり混じって撮影の準備が始まる。ああ、なんだか人間の中にチンパンジーがいっぴき、迷い込んでしまったみたい。
仕事の合間にスタッフさんと談笑する彼女たちは、その容姿さながら話す言葉もきらきらで、私にはほとんど外国語だった。新作のリップがどうのとか、期間限定のハイライトが最高だとか……じ、ばんしい……って何?
話についていけずきょとんとしていると、メイクさんが笑って「これこれ、今話題なのよ」と柔らかなピンク色のチークをつけてくれた。その顔はなんだか新鮮で、ふと、自分がほんの少しだけ彼女たちに近づけたような気がした。
数日後、「あのチークがあれば、きらきらになれる」と安直な考えから買った新作のチークを早速試してみた。ーーなんか、違う。メイクさんにつけてもらったときの新鮮さはなくなり、鏡には田舎顔のどこか垢抜けない顔の自分が映っていた。
……あ、そうか、ひとつだけ新しいからなんか浮いてるのかも。アイシャドウもリップもファンデーションもぜんぶ新しくしなきゃ!
そこから新作・流行を調べ、いろんなコスメを買っては試す日々が続いた。誰かがいいと言ったものは、手当たり次第に買った。コスメだけでは飽きたらず、服や髪、ネイルまでも流行に乗らなければと焦り始めた。入りも満足ではないのに、出費はどんどんかさんでいった。それでも、コスメ集めはやめられなかった。
もっと、もっと、もっと、私はきらきらになりたいの!
お財布が空っぽになりながらも頭から爪先までを旬のアイテムですべて揃えたとき、なんだか、ほっとした。鏡の中で「流行のメイク」で仰々しく着飾った自分が、貼り付けた笑顔を浮かべている。仕事の際にメイクや服装で褒められることも増えた。これで、私も、憧れのきらきらなお姉さんに近づけたはず。
しかし、残酷なほど流行はすぐに過ぎ去る。半年後には、それまでの煽りはどこへやら、時代はまったく毛色の違ったスタイルを正解とした。その度に私は流行を調べ、情報に右往左往する。そんな生活は半年近くにも及んだ。
■私は誰のためにお化粧をしているんだろう?
おすすめのコスメとかってありますか?
コスメ集めが習慣になったある日、撮影で担当してくれたメイクさんに尋ねたことがあった。プロが選んだコスメは絶対に買わなきゃ、と身構える私に、うーん……と悩んだあとに彼女が選んだのは、ドラッグストアでいつでも買えるプチプラのマスカラだった。
「いろんなコスメを試したんだけど、やっぱこれかなあって。普通のドラッグストアでいつでも買えるんだけど。でもこのまつ毛がボリューミーになる感じがほら、あなたには合うと思うの」
そうやって、私のメイクをしながら彼女は続けた。「やっぱりさ、今だとすっぴんっぽくおフェロな感じがいいとか言うけど、その人が好きなメイクが一番可愛くなると思うんだよね」
……メイクさんが語るたび、自分がどんどん情けなくなる。
肌の色になじまないアイシャドウ、瞳を大きく見せるためのカラコン、おすすめされたままにつけたネイル……時代が「正解」とうたった旬のカラーもテクスチャーも毎日身にまとって武装しているはずなのに、ひどく心許なかった。
私は誰のために毎日お化粧をしているんだろう?
何に急かされて、足早に変わる流行をこんなにも追っているのだろう。
……そうだ、私は時代に置いていかれたくなかっただけなんだ。感度の高い周りの綺麗な女の子たちに、ダサいと思われるのが怖かった。流行をまとうことで、時代の半歩先を歩く彼女たちのようになれたと思い込んでいたかったんだ。
きらきらな憧れの女の子になりたいと思って始めた私のメイクはいつしか、目に見えない時代が決めた「流行」という監視者に見張られて、ひどく窮屈なものになっていた。
■自分の「好き」を再インストールし、流行を手放した
その日から私は、流行を調べることをやめた。そして、どんどんアップデートされて溢れかえる流行の中に隠れてしまった自分の「好き」を探した。インスタグラムに保存している写真、ピンタレストにクリップしてあった写真。過去に自分が「好き」だった作品を見返して、ひたすらに自分の「好き」を再インストールした。
その中で、ふと、目に止まった写真がある。たしか、雑誌の特集の1ページだった。雑誌の名前はもう思い出せない。雑多な街中の路地でシンプルなTシャツとジーンズをラフに着こなし、女優がかっこよくポーズを決めている写真。黒髪に強めのアイシャドウにマスカラ、艶やかな赤いリップ。シンプルな装いなのに、彼女は目を引いた。写真の中で、彼女はきらきらしていた。流行を追うことに必死になっている私とは違う。 時代の正解なんてかまわない、自分を持ったきらきら。
しっかりとアイラインを引き、ボリュームのあるまつ毛が特徴のちょっと濃いメイクに変えたのは、強めの女性が好きだと再認識した私なりの実験だった。ちょうど漫画『NANA』の大崎ナナのような感じ。それは、側から見るとかなり派手なものだったが、地味な田舎顔の私にはよく映えた。
メイクは武装だ。外に出ると、街中のガラスにチラッと映った自分が少し強く見える。中身はお子様のままだが、正解を追い求めない、自分自身で選び取った外見に心地良さを感じることができた。今なら思う。憧れたモデルさんたちだって、流行を手当たり次第に追うのではなく、自分のスタイルに合わせて上手に取り入れていたからこそ、きらきらに見えたのだろう。
流行を少しずつ手放したことで予想外の効果もあった。まずはお金。そもそもメイクにかけるお金が減り、生活に余裕が出てきた。また、メイクにかける時間も減って、ストレッチなどの自分の根本を整える時間を作ることができた。
流行を追うことをきっぱりと手放せたわけではない。今でもお仕事で流行りのアイテムをまとった女の子たちと会うと惚れ惚れしてしまう。「今流行ってるやつだ、かわいい!」と。時代に推されたスタイルを優雅に着こなす彼女たちはやっぱりきらきらしていて、その圧倒的な美しさに美の正解を感じずにはいられない。何より、新しいものはかわいいのだ。こんな日にはいまだに新作のアイテムを購入してしまう。流行を追いかけることを目的とする昔の自分に戻りかけたら、スマホにストックしてある「好き」を再インストール。私はいまだに流行のきらきらと自分の好きなきらきらの間を行ったり来たりしている。
古い友人には「雰囲気変わったね」と言われる。また、「ちょっと強そうだよね」とも。すっぴんに近いメイクが好まれる中、ばっちりとしたメイクを施す私は流行に乗れているとは言い難い。結局、時代の半歩先を歩くお姉さんにはちっともなれていない。ま、いいか。時代が決めた正解に縛られすぎるよりも、自分の好きを通す方がずっと私らしくいられるような気がしている。
photo/中山京汰郎、stylist/榊原瑞希