ポリコレの時代、「誰も傷つけない」表現は可能なの? 【ゲイとノンケ女子の、今夜は本音でしゃべりたい#2】
多様化する時代において、誰かを傷つけずになにかを発信するのは難しい。そんな環境の中で、私たちはどう生きていけばいいのでしょうか。あっちもこっちも気にしていかなきゃいけないの?
【ゲイとノンケ女子の、今夜は本音でしゃべりたい】の目次
・第一回:男より女より、本音が重要じゃない?
・第二回:ポリコレの時代、「誰も傷つけない」表現は可能なの?
・第三回:「いい」「悪い」で評価されたくてカミングアウトなんかしない
■セクシュアルマイノリティの問題を腫れ物にしたくない
DRESS編集部 小林:LGBTsの人々がこれだけたくさんいると知った一方で、実際、彼らに対してどう接していいかわからないという問題があります。
小野美由紀(以下、小野):最近はセクシュアルマイノリティの存在が認知され始めて、彼らの抱える問題や差別被害についてどんどん可視化されてきている。その一方で、同時にTV番組やCMなんかでのLGBTsの扱いについてSNSで炎上が起きたりもして、両者の溝が深いなと感じることもある。
太田尚樹(以下、太田):例えば少し前になるけどフジテレビの「保毛男田保毛男」の炎上事件があって(※1)、すごく話題になった。セクシュアルマイノリティの差別についての気づきにもなった一方で、過剰反応じゃない? って意見もあったし、マイノリティ側からもマジョリティからもいろんな意見が出た。
小野:私はセクマイ云々以前に、人の容姿とか振る舞いを笑いにするようなネタが嫌いだから、あれについてはマジで寒いしスベってるなって感じだったけど。
太田:そうだね。僕はまず単純に、若い世代からしたら「あーまだホモとかで笑いとってんだ、滑ってんな」みたいな、時代遅れで寒いなって話だと思ったわ。
小野:ただ、「あーあ寒いな」って思う一方で、ポリティカルコレクトネスの問題って表現をする側としてはすごく難しいなと思っていて。
例えば小説の中で、あることを表現するために、登場人物の誰かがマイノリティに対してひどいことを言う。そのとき、作り手としては全然その発言には共感していないんだけど、読者の中にはその発言に絶対に傷つく人がいる。傷つけたくてやっているわけじゃないけど、その人の目の行き届かない部分にも必ず「受け取り手」はいて、傷ついてしまう。
太田:そうだね。見る人によって受け取り方は違うんだけど、ポリコレはニュアンスを許さないから。
※1:9月28日に放送されたフジテレビ系列番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年スペシャルで、石橋貴明が扮するキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)」に視聴者から批判が相次いだ。
小野:LGBTに関する問題だけでなく、女性を扱ったり、子育てに関する商品のCMなんかでも起こりやすい。たぶん今、CMを作ったり、テレビ番組やネットのコンテンツを作る人たちの中にも、何にどう気をつけたらいいかわからなくて困っている人たちはいるはず。そのへんは太田は当事者であり発信する側としてどう気をつけているの?
太田:僕たちが気をつけているのは「絶対に誰も傷つかないのは無理だから、せめて、『この発言で傷つくのは誰か』に自覚的であろう」ということ。
「絶対に誰も傷つかない」って、ほぼ「誰の心もつかまない」と同義だから、エンタメの力を信じている自分たちにとって、「誰も傷つかない」は諦めるしかない。その代わり「この表現で誰が傷つくのか?」については作り手として常に自覚的であるようにしてる。「この表現で誰が傷ついて、どういう傷つき方をするか」を何度もみんなで話し合うし、「その人を傷つけてまでやるのか」も議論する。あとその傷つくであろう人を、企画の「尖り」が消えない範囲でケアしていく。「この表現はやめても面白くなるよね」とか「でもここは残そう、それで怒られても、その時は飲もう」とかをいつも話し合っている。
小野:そうなんだ、すごく気を遣って作ってるんだね。
太田:うん。でも気を遣っていることがバレたら面白くないから、どのレベルまで気を遣いつつ、面白さを保つかは常に考えている。
小野:フジテレビの件は、「誰を傷つけるか」にも無自覚だったし、そもそも傷つけるって自覚もなかった。だから炎上した。
太田:でも、それって「無知」が生んでいることで、この時代にフジテレビのあの無知レベルはどうなんだっていう議論はあるにしても、こういうとき「知らなかっただけじゃん、悪意はないって」という主張は必ず出てくる。
そして「知らなかったじゃ済まされない層」と「どこまで配慮しなきゃいけないんだ層」の闘いになってしまうけど、それはもったいないなと思う。僕自身はセクマイの問題を「腫れ物」にされたくないという気持ちは強い。LGBTsってめんどくさいな、触れないようにしておこう、って思われたらますます溝が深まってしまうから。
小野:私自身、以前「ムーンライト」という映画のレビューを書いたときに、用語の使い方を間違えてしまって、それで一部の当事者の人から批判をもらった。そのときは「ああ、やっちゃったな、間違えたな」と反省すると同時に「どこまでこの人たち詰める気やねん」って呆れたし「LGBTsについて当事者以外が発言するのはけっこう難しいな……」って悩んだ。
■一人ひとりが「壁」ではなく「卵」であることに気づく
太田:僕、村上春樹がイスラエル賞を取ったとき「壁と卵」という話がすごく好きなんだよね。
小野:「私たちは皆それぞれ、多かれ少なかれ、一つの卵である」「そして私たちは、程度の多少はあるにせよ、皆高くて硬い壁に直面しているのです。この壁には名前があります。それは“システム”というのです」ってやつね。
(『【全文版】卵と壁 ~村上春樹氏 エルサレム賞受賞式典スピーチ』より抜粋)
太田:LGBTsにしても何にしても、ある属性を差別するっていうのは、個人の悪意じゃなく、システムが作ったものだと僕は信じてる。
例えば、アメリカには有色人種の分離政策が行われていた悲しい時代があったわけだけど、その時代に白人専用の入り口を気にせず使っていた白人は全員悪人だったのか、と言えばそうじゃない。
たしかに、システムを作り出すのは人だけど、差別を生みだすのはシステムで、ほとんどの個人と差別意識は直接には繋がってないし、それを僕は忘れちゃいけないと思っている。だから僕は、スタンスとしてLGBTに対するヘイトコメントがあったときに「あなたそれ差別ですよ」と個人非難することは得意じゃない。もちろん悲しいし、腹立つこともしょっちゅうあるけど、どうすれば「同じ人間だ」と思ってくれるかなっていつも考えるようにしている。
小野:なるほどね。卵が先に壁を作ったか、壁が先に卵たちの価値観を決めたかはわからないけれど、少なくとも、個々の卵は、自分たちと同じ存在だ、と。
太田:今って、炎上しやすいし、差別発言をした人に「わかってない」「未熟者だ」というレッテルを貼って、それで片付けられやすい。けど、その人を叩きのめせばそれで済むというわけでもなくて。その個人を大勢で叩きのめしてるのは、壁に苦しめられてきた人が今度は壁になって卵を苦しめているように思えるんだよね。それは僕は嫌だなと思う。
小野:そうだね。差別って取り出すと悪のように思えるけど、多くの場合において、差別する側は自分が差別していることに気づいてない。差別って「無視」だから。自分の人生における「盲点」だからね。「カラスって赤い!」って思ってたらいきなり「いやいや、黒いんですよ!」って言われて驚く、みたいな。そこで最初から「あなたの発言は差別ですよ」って言われても、抵抗が生まれてしまうよね。
太田:だからあり美では「LGBTsってこうですよ」っていうのを発信するというより、「個」としてのLGBTsをもっと知ってもらうこと。「マイノリティ」って一口にラベリングされやすいけど、一人ひとりは暖かい卵であって、その卵にどういうストーリーがあって、その人にはどんな魅力があるかっていうのを伝えてく、企画にするというのをやっていきたいなと思っているよ。
その動きが差別の撤廃に向けてどんな意味合いがあったか? 役に立ったか? という是非より、一人ひとりの持つ温かさみたいなものを表現したい。「みんないいやつじゃん!」ってことを伝えたい。それが結果として差別の解消にもつながると思う。
小野:性的マイノリティに限らず「私たちこんなに苦しいんです! だから理解してくれ!」ってやり方は、もしかしたらちょっと古くなっているのかもね。
例えば、私は有機物を育成したいって言う欲望がまったくないから、子どもが欲しいとか、結婚したいっていう気持ちがあまりないんだけど、それを言うと時々「かわいそうだね」とか「いつかわかるよ」みたいなこと言われたりすることもある。けどいちいち「余計なお世話だ」って怒っててもしょうがないから、それよりは今、ものすごく楽しく生きてることを表現していけば、多分ちょっとずつマイノリティじゃなくなっていくんだろうなと思う。
Text・構成/小野美由紀
写真/小林航平
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