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母を手放す #4 傷ついた日々が与えてくれた幸せ

母娘関係に苦しむ女性を楽にするシリーズ、第4回目は母から身体的・精神的虐待を受けて育った吉田恵理さんが寄稿。たくさん傷つき、もがいてきた日々は取り戻せない。それでも、だからこそ、この世のあたたかさややさしさを見出しやすくなった、と綴ります。

母を手放す #4 傷ついた日々が与えてくれた幸せ

■「醜い子」「生きていて何の意味があるの」母は幼い私を追い詰めた

 「ねえ、すこし離れて歩いてくれない? あなたみたいな醜い子、ママの子だと思われるとイヤだから」。


 私の子ども時代の、最も古い記憶がこのシーンだ。幼稚園の、おそらく年少の頃ではなかっただろうか。デパートの婦人服売り場。通路をすたすたと歩いていく母のあとを懸命に追いかけ、やっと追いついたと思ったとき。ふと立ち止まりふり返った母が、私を見下ろして口にした言葉がこれだった。胸に突き刺さったナイフ。あれから何十年も経つのに、その瞬間の衝撃を、まだ忘れ去ることができない。


 母が父と離婚したのは、私がまだ2歳になる前だったらしい。「父親の記憶が残る歳になってから離婚すると、あなたが可哀想だから。だからその前に別れてあげたのよ、あなたのために」。裕福な父から運転手付きの車を与えられていた母は、そんな「何不自由のない生活」を「娘のため」に早々と捨てた。だから娘は、自分に償わなくてはならない。歪んだ文脈を生きていた母にとっては、至極当然の結論だったのだろう。                         


「あなたは私に何をしてくれるの?」ふたりきりで暮らす郊外の小さな家の中で、母はよくこう言って、私を責めた。何につけても緊張しがちで愚鈍な私は、完璧主義者である母を頻繁に苛立たせてしまう。「ママにはわからないわ。あなたのように醜く無能な子、生きていて何の意味があるの? 教えて」


 才色兼備の人格者として世間から賞賛を浴びている母が、家では私を日常的になじり、ささいなきっかけで激昂し、暴力を振るう。髪をつかんで引きずりまわされ、壁に打ちつけられた後は、いつも頭皮が燃えるように熱く、痛かった。おそるおそる触れた髪は、つかまれたぶんだけ束になって抜ける。明らかな虐待行為だ。幼少期、私はいつも恐れていた。私の醜さ、愚かさが、母の怒りの導火線に火を点けてしまうのを。


 なぜ生まれてきてしまったんだろう。ごめんなさい。苦しい。助けて。死にたい。けれど死ぬほどの勇気がなかった私は、笑わない、こわばった顔をした、可愛げのない子どもに育った。いつ、どの瞬間も孤独だった。私には帰る場所がない。ほんの幼い頃から、そう気づいていたから。 

■母への妄信から解放され、ようやく産声をあげた私の人生

 ようやく大人になり、念願だった職に就けたにも関わらず、見合い相手とすぐに結婚を決めたのも、母から逃れたい一心からだった。けれど母が私に求める贖罪は、そこからさらにエスカレートする。「あなたを育てるのにいくらかかったと思ってるの」。母はさも当然という顔をして、金銭を要求するようになった。10万円、20万円。夫から月々受け取る金額の一部を、母の元へ運ぶ。
 現金を渡しさえすれば、母はいつだってにこやかに微笑んでくれた。幼い頃から心のどこかで求め続けていた母の笑顔が、ついに手に入ったのだ。夫の力を借りて、私はようやくいい娘になれたと思った。その思いは、どれほど深く私を安堵させたことだろう。母が微笑むたび、私は何度でも有頂天になるのだった。

                                     
 怖い、嫌い。けれど聡明で美しい母の言うことは、すべて正しいに決まっている。母の意思に沿えないときは、私が間違っているのだ。そんな長年に渡る妄信が少しずつ揺らぎ始めたのは、私に子どもが生まれてからのことだった。
 ふわんと甘いミルクの香りがする我が子を抱きしめるときの、えもいわれぬ幸福感。やがて歩けるようになった子が反抗期を迎え、また平和なときが訪れ。初めての子育てを経験しながら、やっとのことで私は気づいたのだ。「こんなにも愛しいものを死にたいとまで追い詰めるような真似が、母にはなぜできたのだろう? 仮にいつか私が夫と離婚したとしても、子どもに罪などあるはずがないではないか。母は間違っている。狂っている」と。       
 自身が母親となったことでようやく、そう考えられるようになり、母と距離を置いたとき、私はすでに30代も半ばに差しかかっていた。


 最低限の用以外では母と会わず、連絡もこちらからは取らないようにした。そうなると急に媚びてくるようになった母を、哀れな人だと思える心の余裕も生まれた。その頃から私は、よく笑うようになったらしい。夫と子どもと自分。ただ平凡に仲のよい家族でいられることがどれほど幸せか、痛いほどわかったし、穏やかに過ぎていく何気ない毎日さえ、尊く眩しいものに感じられた。私の人生は、そのときようやく息を吹き返し、巡り始めたのだと思う。 

■どんな迷宮にも出口はある。母の呪縛を乗り越えて、あなたは幸せになっていい 

 「人の形をしたもの」としてこの世に産み出すことで、母は私に命を与えた。と同時に、愛を知り得ない境遇へと貶め、母は私から命を奪うに等しい行為をした。失われた半生。乾いて冷たく、空虚な器だった私。けれど、だからこそ今は、少しずつその器を潤いで満たしていく喜びと共に、生きられるようになった気がする。


 家庭の中だけではない。街へ出る度、人の世の美しさが見出され、胸があたたまる。わが子の手を引いて歩くお母さんの、やわらかな視線。その母を見上げる幼な子の愛くるしい笑顔。旅に出るらしき高齢の女性が首元に巻いたスカーフからは、待ち詫びた日の訪れにときめく女ごころが伝わってきてきて、微笑を誘われたり。
 人の世には、なんと美しいものが散りばめられていることか。幾度でも繰り返し感動に打たれながら、やさしい日々が過ぎてゆく。


 母親との関係に悩んでいるあなたへ。どれほど深い迷宮にも、きっとどこかに出口はある。その兆しを見つけたら、勇気を振り絞って殻を破り、飛び出してほしい。安らぎに満ちた世界が、そこには必ず両手を広げて、待っていてくれるはずだから。
 あなたの人生は、かけがえない、一度きりのもの。躊躇も遠慮もいらない。あなたは幸せになっていいのだ。あなたの幸せを奪う権利は誰にも、母親にも、決してありはしないのだから。これまでたくさん傷つきもがいてきたなら、だからこそ気づける人の世の輝きが、きっと無数にある。その輝きはぬくもりとなって、これから一生、あなたの人生を励まし続けることだろう。

Text=吉田恵理

DRESS編集部

いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。

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