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『35歳――希望の在処』第四話

ひょんなことから元夫と思いがけない再会を果たした葉子は……。作家・南綾子さんが描く「35歳×離婚」をテーマにした短編小説を全5回でお届けします。

『35歳――希望の在処』第四話

「車で送ってもらえることになったって言ったら、リリコに『怪我の功名だね』って言われたんだけど、どういう意味?」

 未知と会っていた夜、遥は友達のリリコの家ではしゃぎすぎ、誤って分厚い百科事典を左足に落とし親指を骨折した。本当は来週、ひとりで電車で帰る予定だったが、葉子が急遽有休をとって送る羽目になった。このために、蒲田にある実家から軽自動車を借りてきた。

「リリコちゃんは賢いんだね。K大にいくんだっけ?」
「弁護士になりたいんだって」
「あら、すごい」
「でもさー、弁護士って順調にいっても、働きはじめるときは20代半ばじゃん? 結婚遅れそうでヤダって言ってた。うちらふたりとも、20代で結婚して子ども産みたいもん」

 遥は進学も就職もせず、地元に残り、高校時代からやっているペットショップのバイトを続ける。遥に話を合わせてくれているのかもしれない、と葉子は思った。

「地元の先輩でも、東京に出ていった人はいき遅ればっかり。わたしは絶対にイヤ。結婚できない女にはなりたくないの」
「あら、言ってくれるじゃん」
「葉子ちゃんは1回したからいいんだよ。あー、歳とりたくない。ずっと10代でいたい。20歳とかもうババアじゃん。だって、男に歳を聞かれて『19』って答えた瞬間、目つき変わるもん。18のときはもっと嬉しそうにされたし、17のときはもっとだったよ」

 はやければ2時間で着くと聞いていたが、結局、倍の4時間かかった。涼太の姉の家を訪れるのははじめてだった。聞いていた通りの風景が、目の前に広がっていた。なんにもない、ただの町。病院もスーパーもペットショップもあるけど、なんにもない。遥は本当に、ここで19歳の大事な時間を過ごしていくのだろうか。

 3階建ての大きな家の門は無施錠だった。インターホンを押すと、思いがけないはやさでドアが開いた。

 数秒、時間がとまった。

 ふいうちで現れた涼太は、まるで昨日も一緒にいたような口調で「おつかれ」とつぶやき、ふたりのためにドアを大きく開いた。

「おふくろが入院するから、相談で来たんだ。そしたら、たまたまお前が……」

 1秒も視線を合わせることなく、涼太はそうつぶやいた。

 今、涼太と遥はリビングの床で向かい合い、将棋に熱中している。まるで葉子の存在など忘れてしまったように。葉子はそばのソファに座って、その様子をじっと眺めていた。

 本当は、すぐにでも帰りたい気分だった。しかし、姉夫婦が帰ってくるまで待っているよう引き留められた。渡したいものがあるらしい。

 葉子は、元夫の懐かしい横顔を見つめる。

 思いがけない再会だ。でも、これまでためこんだモヤモヤをぶつける、いいチャンスなのかもしれない。

 とくに3日前の夜、未知から聞いた話について。思い返すと怒りとも恨みともいえない黒い感情が、泥のようにあふれて胸を浸食する。わたしが無理やりマンションの展示会に連れていったって? 何それ? なぜそんな嘘をつくの? 涼太がパンフレットを持ってきたから、「展示会にも行ってみようか」と言っただけなのに。

 涼太の言う通り、展示会場でわたしは泣いた。それは、涼太が突然不機嫌になって、展示会場の職員に乱暴な口をきいたせいだ。確かに式の何週間か前、精神的に不安定に見える時期があった。会うといつも寝不足で、怒りっぽかった。浮気でもしているのかと心配になって問いつめたら、パワハラ上司のいじめと多忙で疲れているだけだと説明された。挙式が近づくにつれ、落ちついていったので安心していた。はっきりしているのは、結婚に対する不安など、一度も聞かされていないということだ。それなのに今になって、しかも合コンの相手なんかになぜあんなことを言うのか。あのとき、ちゃんとはっきり「やめたい」と言ってくれていたら。29歳。いくらでもやり直しできた。35歳。こんな歳で、ひとりぼっちなんて。もう誰からも愛してもらえないかもしれない。35歳とはそういう年齢だ。

「そういえば涼ちゃん、彼女できたの?」ふいに遥が聞いた。
「え? なんだよ、急に」
「葉子ちゃんはいないみたいよ」
「へえ」
「気になる?」
「……」
「あたしが見た限り、葉子ちゃんは涼ちゃんに未練あるね」
「さっきからなんだよ」
「ヨリ、戻せば? 葉子ちゃんと」

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南 綾子

1981年、愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第4回「女による女のためのR‐18 文学賞」大賞を受賞。主な著作に『ほしいあいたいすきいれて』『ベイビィ、ワンモアタイム』『すべてわたしがやりました』『婚活1000本ノック...

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