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弱さを受け入れ合って、生きていく

「今回のパンデミックを機に、【自分ではどうしようもない弱さを見せることは悪】といった風潮が緩和されてほしい」。多くの人が不安を感じる今こそ考えたい、弱さとの向き合い方とは。マドカ・ジャスミンさんのコラムです。

弱さを受け入れ合って、生きていく

浴槽に溜めた湯は、もうすっかり体温ほどの温度で、身体との境界線さえも曖昧になっている。窓から覗けていた暗闇も、それに比例するかのように色素を薄め、明るさを孕み始める。

セカイがまた新たな1日を始めようとしている中、私は浴槽内で膝を抱いていた。羊水に包まれながら身体を丸めている胎児みたいな姿で、そのときの私は“生”に恨みを抱いていた。

■コロナ禍が引き起こした、絵に描いたような体調不良

新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、世界を大きく変えた。無論、日本も例外ではない。世界一清潔と評されることもあるこの国ですら、どこに行ってもアルコール剤の匂いが鼻腔をくすぐり、人々の顔半分は四角い布で覆われている。

三月半ばまでは“普通”だったものが“普通”ではなくなり、「新たな生活様式を!」なんて声も聞こえてきて、どの専門家でもない自分でさえ、「これまでの生活は戻ってこないのかあ」とボヤいてしまう。

人間には、心身を一定の状態に保とうとするホメオスタシス(※)という機能がある。つまり、人はそもそも変化をしない前提にあるとも考えられる。ゆえに変わる……もっといえば、変わらざるを得ない状況というのは、人に多かれ少なかれストレスを与える。

こういった状況になってから、SNSでの発言が過激になった人も散見されるが、その人たちも変化によってストレスフルになっているのかもしれない。私自身もかなりストレスフルで、心と身体にその影響が現れていた。

不眠と思えば過眠、そして中途覚醒。食欲不振、その次は食欲の暴走。腹痛と吐き気。頭痛と目眩。思わず笑ってしまうほど、絵に描いたような体調不良だ。精神の不調は身体の不調、逆に身体の不調は精神の不調でもある。気がつけば、私は心療内科の待合室のソファにぽつんと座っていた。

何種類かの薬を処方してもらい、カタカナだらけの錠剤が入った袋を手に帰路につく。少しでもラクになれる方法を得てほっとした反面、耳にはボソボソと絶望の声が響いていることを無視できずにいた。

■幼い頃から他の人と同じ生活を送れなかった自分

私は、幼少期から何かと心が敏感だった。

幼稚園、保育園、小学校へ通っていたときはたまに「お腹が痛い」といって休んだり。引っ越しなどで新たな環境に身を置けば頭痛を訴え、熱を出す。中学・高校時代は、朝起きることすらつらく、他の人と同じ生活を送れない自分を恥じ、それがまたストレスとなって身に降りかかり、ひたすら悪循環が繰り返された。

そう。言ってしまえば、人生のだいぶ最初から、周りと同じようにふるまえなかったのだ。自分は“普通”だと思っている言動が、集団の中ではなぜか異質と捉えられてしまう。にも関わらず、私は“普通”に憧れ、なろうと努力をし続けていた。

だから……例えば恋愛においても、相手が“普通”を求めているのであれば、必死にそれをこなそうとし、そのたびにまたストレスがかかり、相手が見えないところで爆発することもあれば、相手にその怒りををぶつけ、関係が木っ端微塵となった経験も少なくない。

「私が好きになる人は私を好きになってくれない」

多くの人が一度は抱えるであろう悩みが、私にとっては最上級の苦痛に近かった。

「精神に作用する薬を処方してもらうような人間……それも一時的にではなく、ずっと昔からそうしなくてはならなかった人間が、人から、自分が好きになるような人から愛されるわけがない」

冷静に考えれば、多少ハンディキャップとなる可能性はあるものの、100%そうとは限らない。けれど、この未曽有の状況下で未知の大きな不安にさいなまれ、なおかつそれが身体(精神)に支障をきたすとなると、どうしても事実以上に物事を悲観視してしまう。それこそホメオスタシスの作用だろう。

それが人間関係、こと恋愛において、絶対ではないがマイナスとなることはあっても、プラスとなることはないというのが現時点での主観だ。ストレスが心身にもたらす不調を説明しても、人によっては「メンヘラ」の一言で終わらされてしまう。そのような相手とは、コミュニケーションを諦めたほうが早い。

■弱さを見せるのは、悪いことじゃない

そうは言っても、このご時世。心に不安を抱え、心療内科を受診したり、カウンセリングにかかったりする人も増えているようだ。良くも悪くも、前提を共有できる人が増えているとも言える。

つまり、不安定な状態を理解し合える相手が増える可能性が高く、もしかすると自分が好きになる人も同じような悩みを抱え、それについてお互いにディスカッションができ、より深い仲になれるかもしれないという希望さえも見えてくる。そもそも、心が不安定になること自体に善悪はない。心が“その状態である”だけだ。

勘違いをしてほしくないのは、決して私は誰かと共倒れをしたいわけではない。ただ、今回のパンデミックを機に、「自分ではどうしようもない弱さを見せることは悪」といった風潮が緩和されてほしいのだ。

格好をつける、見栄を張ることが悪だとも思わない。ただ、人間は人それぞれの強さがあり、一転して同じくらいの弱さがある。そこに善悪はなく、それが“ある”だけ。それ以上でも、それ以下でもない。「強い=善、弱い=悪」と決めつける思考を持つ人とは、どんな種類の人間関係であれ、ソーシャルディスタンスならぬメンタルディスタンス、つまり心身共に相手と距離を置くことを心から勧めたい。

世界を混乱に陥れたウイルスであれ、どうか少しでも希望を残して息を潜めてほしい。どれだけ長く思える夜だろうと、否が応でも朝は訪れ、まったく同じ朝は二度と来ない。晴れの日はもちろん、曇りの日や雨の日、そして嵐の日も……。臆病な私たちの先祖も、変化を恐れながら、新しく訪れる日々に順応して生き抜いてきたのだ。

自然が日々変化しているのにも関わらず、人間だけが何も変わらないことなんてない。そして、それもまた善悪ではなく、“変化”、ただそれだけのことなのだ。


※生物学において、外部の環境に関わらず一定の状態を保とうとする人体の調節機能を指す。心理学では、環境の変化を避けようとする心理を指す言葉として使われる。

マドカ・ジャスミン

持ち前の行動力と経験を武器にしたエヴァンジェリストとして注目を浴びる。また性についてもオープンに語る姿が支持を集め、自身も性感染症防止の啓蒙活動を行う。 近年では2018年に著書「Who am I?」を刊行。テレビ番組や雑誌...

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