初詣だけじゃない! 人生の中で私たちが神社に行くべき理由とは?
日本の伝統文化を通して、深い心の学びを促してくれる神社の世界。それは、知れば知るほど奥深いものでした。いにしえより「日本の心」として文化に根づき、私たちの血の中に脈々と受け継がれてきた「神道」という宗教。今一度、その意味と価値を考えてみませんか? 神社を愛してやまない、巫女ライター・紺野うみが神社のたしなみを伝えます。
■私たちの「人生」と「神社」の結びつき
新しい年の始まりに、私たち日本人の多くが、神社へ「初詣」に出かけます。そして、神社へ足を運ぶタイミングは、もちろんそればかりではありません。
新しい命がお腹に宿ったら、お母さんは「安産祈願」に。そして赤ちゃんがこの世に生まれ、神様への初めてのご挨拶は「初宮詣(はつみやもうで)」と言います。
やがて、子どもの健やかな成長を感謝し、神様にご報告する「七五三詣」には、家族総出で神社に足を運んだ方も少なくないでしょう。
他にも、受験の際には「合格祈願」をしたり。成人を迎えたら「成人祭」をされた方も、いらっしゃるかもしれません。
前厄・本厄・後厄などといった「厄年」に当たれば、除災(災いを払い除けること)のために「厄祓い」の御祈祷を受けられる方は多いです。
そして、大切な人との契りを神社の御神前で誓い、「神前結婚式」を行うという方もおられます。
――このような「人生儀礼」の数々に見受けられるように、人生の節目で神様に感謝を捧げたり、ご報告や祈願をするということ。それは、多くの日本人の心や血の中に、深く根付いているように感じます。
そう。「神道」というものはそれほどまでに、「宗教」として以前に、日本人にとって「ごく自然な文化」として脈々と受け継がれているのです。
日本を象徴するものとして、神社の風景が挙げられることも多いですよね。心の安らぎや不思議な懐かしさ、そして私たちに、目に見えないものへの畏敬の念を抱かせる場所……。
太古の昔から受け継がれる神社は、まさに日本の「心」であり「宝」だと言えるのではないでしょうか。
■日本が誇りたい「互いを認め、尊重する心」
日本には、世界から見れば「独特の宗教観」があると言われています。
一年のはじまりには神社へ初詣に出かけ、お寺では仏様を拝み、キリストの誕生日であるクリスマスもお祝いします。このようにこの国では、ある意味で宗教の違いに対してとても「寛容」であり「おおらか」なのだとも言えるかもしれません。
それぞれの宗教が伝える倫理観や、人生哲学的な要素を認め、その中に「生き方」についての共通点を見出しているのではないでしょうか。
ひとつのことだけを信じて他を一切認めないのではなく、たとえ心の支えとする宗教は違っても、お互いを尊重しながらよりよい世界を目指すこと。……私はその部分にこそ、「神道」というものの影響を感じています。
その「異なるものも認め合い、互いを尊重する心」にこそ、この日本を精神的に支えている理由のヒントが、隠されているような気がしてならないのです。
日本においては、そもそも「あらゆるものに神様が宿っている」という考えのもと、「八百万(やおよろず)の神」を信仰する「神道」が、もっとも古くからこの国とともにありました。つまり、やたらと他を否定したり排除しようとしない価値観のものが、文化の根底に存在していたわけなのです。
ですから、「信じる宗教は特別ありません」と仰る方も、神社に足を運んでいるからには、神様を一切信じていないわけではないはず。私たちの心の中にあるのは、もっとやわらかい信仰なのかもしれません。
その裏側には、「特定の宗教」や「特定の神様」だけを拝しているのではない、という日本ならではの懐深い宗教観が隠されているのでしょう。これは、日本人が「誇り」とすべき感覚なのではないでしょうか。
■八百万の神々を通じて、自らに「生き方」を問う
昔はよく「誰が見ていなくとも、お天道様が見ているよ!」とか、「悪いことをすれば、いつか罰(バチ)が当たる」といった言葉が使われていました。
生きていれば誰しも、心の中に身勝手な想いや、傲慢さ、おごりなどが芽生えてしまうことがあります。そんなとき、その弱さを正し、あるべき姿に戻すものは何でしょうか?
それは、自らの「心」以外にありません。その「支え」であり「指針」となるのが、目には見えない神々という存在なのです。
私たち人間は昔から、見えないところにこそ「生き方」を示す存在があり、迷いやすいこの世界でどのように暮らしてゆくべきかを、常に心に問うてきました。
そう考えると「神様」という存在は、私たちの心を映し出す、鏡のようなものでもあると言えるのではないでしょうか。神社の御神体に「鏡」が多いのも、そのような意味も隠されているのかもしれませんね。
神社に行けば、私たちは必ず「神様」の存在を意識することでしょう。
鳥居をくぐる瞬間。狛犬と目を合わせる瞬間。手水舎(ちょうずや)で心身を清める瞬間。御神前でお詣りをする瞬間――。あなたは何を想いますか?
きっと、今の自分の姿や生き様と向き合い、それが恥ずべきものになっていないかを、心に問いかけることができるはずです。
神様に対して、誤魔化しや嘘は通用しません。それと同じように、「神様」という存在を通じて映し出される「自分の心」にも、嘘はつけないのです。
「神様が見ておられる」と思えば、私たちはどこまでも素直に、謙虚な心で自らを見つめられるのではないでしょうか。その気持ちを思い出すためにも、私たちは人生儀礼などをきっかけとしながら、折に触れて神社に足を運んでいるのです。
そして、生きる中で訪れる苦難や試練を乗り越えてゆくためにも、その存在が大きな力となって私たちを支えてくれるでしょう。
迷ってしまったとき。辛くてくじけそうなとき。前に進む勇気が欲しいとき。……そんな時こそ神社に出かけ、素直な想いと向き合うべく、神様とお話をしてみてください。そのひとときは、あなたが自らの心に向き合っている、かけがえのない瞬間なのです。
■「浄明正直」を自らの心に持ち続けること
「浄明正直(じょうみょうせいちょく)」という言葉をご存知でしょうか?
これは、神道が基本とする言葉のひとつで、一文字ずつに大切な意味が込められています。人の心の在り方として、大事にするべきものを示しているのです。
◆浄(きよ)く……清らかな心で
◆明(あか)るく……明るい心で
◆正(ただ)しく……正しい心で
◆直(なお)く……素直な心で
この言葉を語るとき、多くの説明はいらないような気がします。これさえ覚えて実践していけば、必ず幸せに生きてゆけることでしょう。
忘れやすい私たちですが、たびたび思い出しながら過ごしておくべき、素敵な言葉です。ぜひ、あなたの心にも留めておいてくださいね。
■節目で神様に「宣言」や「報告」をしてみよう!
さて。あなたにとって、神社とはどんな場所でしたか?
そして今回の記事をお読みいただいて、これからのあなたにとって神社は、どんな場所になりそうですか?
ただ神様へ「神頼み」をするだけでなく、なんとなくお正月にだけ足を運ぶ場所にするのでもなく、もっと心の深いところへ手を伸ばすきっかけの場所となるのではないでしょうか。
そんなあなたへ、おすすめしたいこと……。
ぜひ、人生の節目や生活の変わり目、心が揺らいでいるときこそ、ひとり神社に足を運んで神様に問いかけてみてください。また、自分で決心したことや人生において大きな出来事があったときには、それらを「宣言」したり「報告」したりしてみましょう。
「そんなことに意味があるのか」と仰る方もおられるかもしれませんが、必ず意味はあります。あなたの心が神様の方を向いていれば、その想いは届いています。
時にひらめきとして。時に誰かの言葉で。時に思いがけないものとの出会いで。時に身に起こった出来事の中から。
いかに過ごすべきか、いかに乗り越えるべきか、いかに生きるべきか――。その答えは、いつか必ず見えてくることでしょう。
【神社のたしなみシリーズ】
◆◇◆神社と心◆◇◆
初詣だけじゃない! 人生の中で私たちが神社に行くべき理由とは?
◆◇◆神社と御朱印◆◇◆
神社で神様とのご縁を結ぶ! 「御朱印」の意味と真のご利益
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御朱印帳の使い方! 素朴な疑問と知っておきたい基礎知識
御朱印の転売、恫喝騒ぎが悲しい……御朱印帳を持つ方に伝えたい5つのこと
◆◇◆神社の授与品◆◇◆
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◆◇◆神社と行事◆◇◆
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【巫女ライターの神社と御朱印めぐり】
◆◇◆東京◆◇◆
#1 東京の白蛇さま「蛇窪神社(上神明天祖神社)」
#2 五龍神のすまう田無の杜「田無神社」
#3 子育てと厄除けの八幡さま「大宮八幡宮」
#4 長い歴史とロマンが宿る「根津神社」
#5 太陽と月と海原の三貴子が鎮まる「阿佐ヶ谷神明宮」
#6 武蔵国を総べる社「大國魂神社」