恋人を実家に連れていく――これは一般的に結婚を前提に付き合っています、と親に宣言するようなもの。それゆえ戸惑う思いも捨てきれない。元遊び人の筆者が「恋人を実家に連れて帰る」という人生初のアクションを描く短期連載「遊び人だった僕が恋人を実家に連れて帰った」#1。決断するまでの逡巡の理由は……?
彼女を実家に連れて帰って見えてきたこと
元遊び人の筆者が「彼女を実家に連れて帰る」という人生初のアクションを描く短期連載「遊び人だった僕が彼女を実家に連れて帰った」#3。たった1回の帰省中に完全に実家に馴染み、溶け込むのは難しい。でも、これからその機会を何度か経て、積み上げていけばいいんだ、と気づくことができた。
前回までのあらすじはこちら!
元遊び人の筆者が「恋人を実家に連れて帰る」という人生初のアクションを描く短期連載「遊び人だった僕が恋人を実家に連れて帰った」#2。いよいよ実家へ向かい、恋人を親に紹介するときがやってきた……そんななか、久々に会った姪っ子が後のキーパーソンに!?
父の車で実家まで近づいていく。海岸沿いのうねった公道、10代のときに何千回と通った懐かしい場所だ。この日は元旦と思えないくらい暖かく、日差しが力強くて、濃かった。
事前に彼女と打ち合わせていたのは、車中では僕が父と話しこんでおくよ、ここでは最低限のやり取りだけにとどめて、あとは全員が揃ったタイミングでいいよね……ということだった。
挨拶はともかく、「お仕事は何をされているんですか?」という紋切り型の会話をこのタイミングで父にして、実家に到着してから他の家族とも交わすなんて煩わしいだろうな……と思ったから。
僕と父の会話の流れを無視して、姪っ子は小学校の冬休みの宿題をちゃんとやっていることを褒めろと割りこんでくる。すかさず「えらい!」と僕は返す。どうやら大人の事情は、子供には無関係のようだ。
それはともかく姪っ子の言葉はストレートである。以前に帰省した際には「おっちゃん!なんでトイレにまでケイタイ持っていくん。変なの〜!」なーんて正論を言われたものである。子供の言葉は、いつだって正しすぎる……。今回も彼女がらみで苦笑するしかない言葉を言われるのでは、と少しヒヤヒヤしていた。
数十分して実家に到着した。玄関口で出迎えてくれた母と姉は、僕と彼女に「いらっしゃい」と言いながら、彼女と正式に初対面の挨拶を交わす。母も姉も、元旦にもかかわらず化粧を含めて身支度をちゃんとしているご様子であった。
■違和感ありすぎな6人で昼食を
昼食はコタツを囲んで「おせち料理」を一緒に食べることになった。わが家では毎年、元旦には数段の重箱に詰めたおせちを食べるのが習慣になっている。
もちろんときほぐれているとはいえない状態で、大人5人と子供1人が席を囲む。違和感の塊である。だけど、この食卓が6人のすべてのスタートなのである(なお、義兄は元旦から仕事で不在であった)。
能天気を装いながら惚けた顔で、箸を進めようとしたところ、母から「あんたが取ってあげなきゃ、食べにくいんちゃう?」と彼女に気を回すようにたしなめられる。
彼女と一緒にいてリラックスしている姿を見てもらうことと、彼女に気配りしていないことは別物である。気合いを入れ直せ、俺。
おせちをつつきながら少しずつ他愛のない会話を交わしていく。おそらく彼女の緊張はこの食事時がマックスだったんじゃなかろうか。食事を終えてひと息ついたタイミングで、彼女は持ってきた手土産を渡していた。
何を持っていけばいいか迷いながら、数日かけて「やっぱりセンスいいなぁ」と思うものを選んでいた。また、このタイミングで髪もダークトーンに染め直していた。近道なんかないけれど、できる範囲のことだけは着実に、そんな気持ちだったんだろう。
■彼女が実家で、皆と「ただ同じ空間で過ごす」ことの大切さ
帰省する前に「そっちも嫌やろうから、あまり気を遣わないようにするよ?」と家族から宣言されていたのだけど、食卓を囲む以外の時間は実家の面々もテレビを観ていて、いつも通りの正月の様子で拍子抜けしてしまうほどだった。
滞在時間のすべてが詮索や圧迫面接のような「会話」になることを心配していたのだけど、これならば気が楽だ。もちろん来てもらっているからには交流はしてほしいのだけど、その量をコントロールできるのはありがたい。
誤解を恐れないで言うと、実家においては彼女はまだまだ「異物」的な存在である。でも、無理に会話を交わそうとする……そのこと自体が異物性を強調してしまう。そういう意味で「とくに会話をせずに一緒の空間にただいる」というのは逆説的に、馴染んでいく過程をスムーズにしていたのではないかと、振り返ってみれば感じる。
なんとなく同じ時間を過ごして、初対面の人を特別視しない……というのは裏返しの気遣いだったように思える。
しばらくしてから彼女と散歩に出かけることを提案した。実家の面々も、自分たちも、顔を合わせて数時間経ったところでブレイクタイムがほしいだろうと思っていたからだ。これも彼女と事前に打ち合わせていて、「海を見にいこう」と決めていたのだ。
緊張から解放される時間を、彼女が好きな海で過ごせたら、きっと喜んでくれるかなという思いだった。
■日常を明るく楽しくしてくれる彼女、だからずっと一緒にいたい
実家から10分ほど歩いて近場の海に辿り着く。小学生のときはよくここに泳ぎにきたものだ。
空気は冷たいのだけれど、煌々と光る太陽は暖かく、その光は海面で乱反射していて目を開けられないくらい眩しかった。彼女と初めての旅行先であり、最高の思い出になった沖縄が教えてくれたのは、太陽と海の関係だった。
空の青さと海の青さは比例する。曇り空のときは、海も濁っているものだ。そして、夕焼けの美しさは海と太陽の境界線が溶け合うから生まれるものである。アルチュール・ランボーが"永遠"と喩えた光景だ。この2つは切っても切れない関係性を持っている。
波打ち際を一緒に歩いていると、立派な貝殻を見つけたので「波の音、聞こえる?」「まったく聞こえない」というアホなやり取りを交わしていたところ、彼女が「あそこに鳥居がある」と言った。彼女の目線の先を追いかけると、小高い岩場の上に赤い鳥居が確かに見つかった。少年時代の視線では気づかなかったものだった。
いや、大人になった今も気づいていなかった。彼女と一緒にいるとそういうことが度々ある。自分では見えていなかったものを彼女が気づかせてくれて、何でもない日常を楽しくしてくれる。彼女のそういうところが大好きで、だからずっと一緒にいても飽きないのだ。
けっこう遠そうなその岩場に「行ってみよう」ということになった。黙々と歩いた先にあった岩場はわりと容赦がない傾斜でちょっとしたロッククライミングである。いい大人2人が子供のようにはしゃぎながら岩場を登って鳥居までたどり着いた。「なんでこんなところに鳥居があるんだろうね」という疑問だけが残ったのであった。
なんやかんやトータルで2kmほど歩く散歩となり、汗をかきながら帰宅したのであった。自分が少年時代を過ごした思い出の場所と彼女が溶け合うのは、嬉しいような、こそばゆいような妙な感覚を覚えるのであった。
■彼女に懐いた姪っ子の言葉で実家は
帰宅後、父に聞くとあの鳥居は地元における海神信仰の1つなのだという。どこの地域でも「〇〇さん」と呼ばれる信仰対象があると思うのだけど、漁業が盛んなうちの地元のそれだという。定年後、わりと気が抜けてお気楽になってしまった父上であるが、ひさしぶりにインテリっぽいことを語ってくれたのがなんだか嬉しい。
さて、そこからはハイパー姪っ子タイムである。僕だけでなく彼女に対しても「かまってちゃん」全開である。僕の両親もすっかり眼ざしは孫に注がれていて、祖父母になっている。その寵愛を受けている姪は文字どおりこの家の「わがままお姫様」なのである。
それゆえに姉も両親も手が離せないようだ。それはたまに帰省するだけの僕にも容易に想像がつくほどに激しい。僕と彼女が姪っ子の相手をそれぞれがしていく。
けっこう体重が増えた姪っ子を抱きかかえてあげたり、最近始めたらしい縄とびを一緒に跳んだり、彼女にいたっては三つ編みの練習台にされていた。「もうちょっと実家の面々と彼女が話す時間を増やした方がいいか?」ということもチラついたのだけど、予想外なことに姪っ子が彼女に懐き始めていたのだ。
姉も母も、姪っ子の面倒を僕らが見ていることを好意的に感じ取っているようだった。向こうからすれば正月くらいは手を離せるとラクだろうし、姪っ子が彼女に懐いてくれれば、それは彼女の評価も上がる……という打算が僕にもあった。
もうすぐ夕食……というタイミングになって、姪っ子が「おっちゃんたち今日は帰るん? なんで帰るん?」と言うので「そうやで、ごめんやで。切符取れへんかってん」と返すと、「今度、旅行しよう!」と口にするのだった。
どうやら数ヶ月前に実家の面々で伊勢崎温泉に行ったことがすごく楽しかったらしい。「うちの家族は……」と言いながら、めいめいのことを呼んでいきながら、最後に彼女のことを指差す。
満面の笑顔で「家族が増えた!」とはしゃぎながら「家族のみんなで旅行しよう!」と無邪気なことを大声で提案するのであった。
そのとき実家の面々はどんな表情をしていたのだろう……。背中の向こう側に座っていた家族の様子は窺えなかった。
「そうやな、行こうな」と姪っ子に向けて、他の人たちにも向けて、僕はやや声に力を込めて返事をした。
■大切な彼女と家族を少しずつ近づける役目を果たすのが僕
最終的には僕がいない場でも、彼女と実家の面々は話をするようになっていた。そしてわが家の正月のよくある光景に、彼女が混ざっていることに違和感がなくなっていたように感じたのは、僕だけではないはずだ。
さすがに今回の滞在だけで、完全に打ち解けられたとは能天気な僕でも思ってはいない。だけど、それは回数を重ねていくことで、ほどよい関係性を得られるようになるんじゃないかと信じている。
後日、お礼の気持ちで用件のない電話(普段はめったにしないので怒られる)をしたところ、母が「あまりベタベタしても鬱陶しいやろうなと思って」と語っていた。平生、僕がベタベタされるのを煙たがることを背景にした言葉だ。
大人になるということは、自分の親も不完全な1人の人間であると認識することーーという言葉が僕は大好きなのだけど、それは家族も自分も、あくまで未熟なひとりの存在であることを前提にする(過剰な期待をしない)、ということである。
僕が自分の彼女を親に紹介するのが初めての体験だったように、親にとっても息子の彼女を紹介されるのは初めての体験だったわけである。今回、手探りだったのはお互いさまなのだ。おっかなびっくりで時間を重ねていくしかないんだろう。だって、これからも初めてのことが続くから。
本当の意味で、彼女が馴染んでいってくれるかはまだまだこれからのことで、おまけに今回のようにイベントではなく日常にしていくためには、手探りを何度も試してみて、受け入れ合う過程が必要になっていく。そのためにできることをひとつひとつ、僕自身もやっていけたらいいな。
そして姪っ子。大人たちの事情から遠く離れた彼女の無邪気さにどれだけ救われただろう。
姪の言動にはいっさい裏がない。そのときに自分が望んだことを、思ったことをそのまま口に出して、行動に移していた。そして姪が彼女に懐いてくれたことは、今回の帰省のなかで持って帰ることができた、確かな手応えだったように思える。
今回の帰省を彼女がどう感じたのか、僕にはわからない。この連載では勝手な想像で彼女の内面も書かないようにしてきた。
ただひとこと「穏やかな人たちで、ヨウがあの人たちに育てられたのがよく分かった。会えて嬉しかった。」と言ってくれた。それだけで充分だ。
僕は彼女のことを愛している。同時に、実家のみんなも愛している。
その同じくらい大事にしている両者が、少しずつ少しずつ近づいて、徐々に溶け合っていってくれる機会を作ること。それがこれから僕がチャレンジしていくべきことだと感じている。まだまだこれが始まりなのである。