意志を持った子どもに、イライラするのは仕方ない【母でも妻でも、私#11】
0~1歳のころよりも、2歳の今のほうが、子どもにイライラすることが増えた。息子と私の意志がぶつかりあう以上、仕方ない。仕方ないのだけれど、この感情とうまく付き合っていきたい。

以前「子どもにイライラするなんて当たり前じゃないですか?」という話を、この連載で書いた。
イライラすることと愛していることは別物だから、今もそう考えている。
でも、心のうちでザワザワする“子どもへのマイナスな気持ち”を、今回はもうすこし見つめてみたい。
■生まれたばかりの赤ちゃんには、イライラなんてしなかった
3458gで生まれた息子は、最初からずいぶん力強かった。
なんだか想像していたよりもでかいし、頭の先からつまさきまで、生命力がみなぎっている。おっぱいもミルクも上手に飲めたし、肌荒れなんかもなくて、どうやらとても育てやすかった。
しんどいことといえば、夕方にしばしば2時間くらい泣き続けるのと、夜は1時間半おきに目を覚ますことくらい。
でも、そんなのは想定の範囲内だったし、解決策があるものでもないから、諦めて付き合うしかない。
睡眠不足でしんどくはあったけれど、対策できない事象に思い悩んでも仕方ないから、それまでだった。
■一番ストレスなくいられる状態を、整えるだけ
1歳近くにもなると、プラスの働きかけがずいぶん通じるようになってくる。
こちらが笑えば笑うし、抱きしめれば喜ぶ。
でも「これはしちゃダメ」みたいな話は、まだ全然伝わらない。
だから、この頃もまだ、イライラしても仕方ない、と思っていた。
してほしくないことが伝わらないのだから、どうしようもない。
手が届くものは片っ端からひっくり返すし、なんでも口に入れて確かめる時期が長かったから、ストレスはあった。
触ってほしくないものをひたすら触られたり、舐めてほしくないものを延々舐められたりすると、「もうやめてよ!」と思ったし、口にも出した。
でもそのストレスは、息子に触れられたくないものを徹底的に排除すれば、解決できる。
キッチンに侵入防止ゲートをつけたり、リビングに触られたくないものを置かないようにしたり、大人側が工夫を凝らせばOK(そういう対策ができない知人の家や飲食店に行くのは、結構しんどかったけれど)。
目に入ったものを触るという息子の行動には、理由もない。目の前にある山を登るだけ。
理由がない行動を、理論的に止めることなんてできない。
言い方は乱暴だけど、最初から諦めている。
気持ちが伝わらないという状況のなかで、一番お互いがストレスなくいられるように、環境を整えるしかない。
■「意志」と「コミュニケーション」が、イライラを生む
そして時は経ち、息子は2歳3カ月。
今はもう、しょっちゅうイライラしている。
なぜなら、お互いにはっきりと意志があるうえに、コミュニケーションがとれはじめたから。
お互いに明確な意志をもっているという状態は、私たち親子のなかで、まだ新しい。
着替えひとつとっても、そう。
1歳半くらいまでは、息子がなにを考えていようと、必要なときにパパッと着替えさせてしまえばよかった。
そこに息子の意志はないし、もしかしたら「着替えさせられている」という意識すらなかったかもしれない。
でも、今は首にかけてやればあとは自分で袖がとおせるし、ズボンも自分で引き上げられる。
だから「ぼく、自分でやりたい」とブチギレられることも多い。
「自分で着たい」という意識は、「気分じゃないのに着替えさせられている」という意識も一緒に連れてきてしまった。
私の「今すぐ着替えさせたい」「早く着替えさせたいから私がやっちゃいたい」という意志。
息子の「今は着替えたくない」「たとえ日が暮れようとひとりでやるのだ、俺は」という意志。
このふたつがせめぎあう瞬間も多い。
自分の意志がはっきりしているのに、それがとおらなければ、そりゃあお互いにイライラする。
息子のできることが増えすぎて、1歳児のころのように綿密な対策もしきれない。
■伝わるから、期待して、イライラする。

もうひとつ、0~1歳児のときと今の息子が決定的に違うのは「伝わること」だ。
やってほしいことも、やってほしくないことも、もうたいがい伝わる。
私の言う「これはやっちゃだめ」「そこには登らないで」がちゃんと伝わって、理解しているくせに、やる。
赤ちゃんのときとはわけが違う。だって、この子わかってるんだもん!
誰かに対して怒りや悲しみを感じるのは、その対象に期待しているからだ……というのはよく聞く話。
そう、私は、息子に期待するようになってしまった。なにを言っても伝わらない赤ちゃんだった息子が、いつのまにかずいぶん成長したのだ。
できることが増えていくと「こないだできたから、今日もおとなしく待てるかも」とか「昨日みたいにおりこうに歯みがきできるかも」とか、つい思ってしまう。
勝手に期待しているくせに、できないとイライラしてしまうわけです。
自分の苛立ちを分析すればするほど、そこに理由がある気がする。
なにに一番イライラするかというと、予定どおりにいかないこと。
・もう寝てほしいのに、いつまでも歌を歌いながら走り回っている
自分が決めたスケジュールどおりに進むと、思い込んでいるから悪いのだ。

そういう意味では、息子とのあいだにコミュニケーションが存在しない(意味をなさない)場面では、イライラしない。
・なにか主張しているけれどなにを言っているかわからない
こういうとき「意味がわからん」とか「付き合ってられんわ」とは思うけれど、そういう成長過程なのだろうし、ちゃんと耳を傾けても理由がわからなかったら、ほかにできることはない。
嵐が過ぎ去るのを待つのみ。
そういう場面でイライラしても、エネルギーを摩耗するだけだから、うまく受け流す。
たぶん、0~1歳のときといっしょ。諦めがついている。
■イライラをマネジメントするために
お互いの意志がぶつかりあったり、コミュニケーションがうまくいかなくてイライラが生まれた場合、どうするか。
すこし長く生きているぶん、息子よりは感情をコントロールできる私のほうが、イライラをマネジメントする。
まずは、イライラする原因をなるべく減らす。
昔だったら、触られたくないものを隠すとか。
今なら、予定はフレキシブルにしておくとか。
それから、こちらがNGを出すときのスタンスをはっきりさせる。
「あのときはOKだったのになんで今日はダメなの⁉」は息子も混乱するだろうから、状況が変わるときはちゃんと説明する。
それでもイライラしちゃうときは、冷静に気持ちを分解してみる。
この状態に陥るまでに、できることはあったのか、なかったのか。
あるなら、次は試してみる。ないなら、イライラするだけ無駄。
息子を抱きしめて、私は夫に抱きしめてもらって、ストレスを解消するしかない。
期待しなければイライラしないのかもしれないけど、それはそれでさみしいですよね。
どれだけイライラしても期待したいし、お互いの意志を持っていたい。
コミュニケーションが発達するにつれて、お互いの意志を伝え合いながら、落としどころを探れるようになるのが一番いいなぁ。
なにがよくて、なにがだめなのか。
なにをしてほしいのか、どうして、してほしいのか。
お互いに伝え合う気持ちさえ持っていれば、なんとかなる気がする。
(……という期待を、勝手にまたしちゃっているのだけど)

■イライラと愛おしさは、表裏一体
今の息子からすれば、やりたいことを邪魔してきたり、嫌なことを強制してくる諸悪の根源は、私。
なのにイライラすると、真っ赤な顔で泣きながら、その諸悪の根源に抱きついてくる。
イライラと愛おしさは、なんだかとても表裏一体だ。
行動を制する手も、促す手も、ひっぱたく手も抱きしめる手も、すべて同じ、私の手。
どっちの感情がいいとか、悪いとか、そういう話ではなくて。
どちらも子育てのなかに生まれる、激しくて穏やかな感情のひとつなのかもしれないな、と思う。