「母は無償の愛で子どもに寄り添う」なんて謎の常識、いりません【母でも妻でも、私#8】
絶賛イヤイヤ期の息子は、スイッチが入るとなにもかもを否定する。そんな理不尽な言動、親だってイライラして当たり前。 でも「愛情」と「イライラしないこと」は別もの。力を抜いて愛しながら、適当にやっていけばいい。
「お出かけするから着替えるよー」
「やぁだ」(着替えをひっつかんで放り投げる)
「そろそろお風呂入る?」
「やぁだ」(走って逃げる)
「牛乳飲む前に、もうちょっとごはん食べよっか」
「いんない」(ごはんのお皿を乱暴に押しやる)
近ごろの息子はだいたいこんな調子で、その意向をスルーして事を進めようとすると、猛反撃に遭う。
そう、イヤイヤ期が始まりました。
イヤイヤ期とは、自我が芽生えるために、周りへの反発が強くなる時期のこと。
「自分でやりたい」「でも思うようにいかない」というイライラを、全身で表現してくる。
2歳前後からはじまり、3歳前後にはだいたい落ち着くというこの時期を経て、子どもは自己主張や気持ちのコントロールを学んでいくらしい。
おおらかに子育てしてそうな欧米でも「terrible twos(魔の2歳児)」という言葉があるほど……。
■なにもかもが気にくわない“逆スターモード”
どれくらいやばいかというと、スイッチが入ったら話が通じない。
親の対応は「子どもの意志を尊重して、やりたいと思うことはなるべくやらせてあげる」がベストとされているけれど、なんかもう、その次元じゃない。
お風呂あがりのパジャマを自分で決めたい息子。みずから引き出しを開ける。
お気に入りのクマのパジャマが見当たらない。
別のパジャマをすすめるも、彼は「ぅま、ぅま」と譲らない(カ行も上手に発音できないくせに)。
ここで、無理やり電車のパジャマでも着せようもんなら、完全にアウト。
だからいったん引き出しをしめて仕切り直そうとするものの、今度は引き出しをしめられるのが気にくわないらしく、ぎゃんぎゃんと泣きわめく。
乾燥の仕上げ中だったクマのパジャマをあわてて持ってきて、息子に着せようとすると
「やぁだ」
こうなったらもう、なにをしてもダメ。
もはや彼は、もともと自分が何をしたかったかなんてどうでもよくて、ただただ「イライラ」に支配されて泣いている。
本来の目的は、はるかかなた。
感情のたかぶりが落ち着かない限り、なにもかもが気に入らない。
マリオでたとえるなら“逆スターモード”とでもいいましょうか。
では、問題です。
上記シーンでどんな行動をとれば、彼の地雷を踏まずにいられたでしょうか?
答えは「引き出しの目立つ場所にあらかじめクマのパジャマをしまっておき、息子にすんなり見つけさせる」です。
でも、今日はクマをご所望の殿が、明日は電車をお望みになる、なんてことは日常茶飯事。
つまり、完璧に地雷を避けるのは不可能です。
■子どもの気持ちに寄り添いきれないのは、当たり前
地雷を避けきれないなら、踏んで、対応するしかない。
時間が充分にあったり、人の迷惑にならないことなら、本人の気が済むまでやらせてあげればいいけれど、たいていのことはそうじゃないから、困る。
よく「子どもにイライラしてしまって自己嫌悪なんです」という悩みを聞くけれど、イライラするの当たり前じゃないですか?
だって、こんな理不尽な生きもの、いままで見たことない!
自分のことしか考えてないし
そのくせ論理も破綻してるし
要望を秒でひっくり返す。
別個体の人間同士なのに、これだけコミュニケーションがとれなかったら、やりようがない。
常識なんて通じないわけです。
なのに、親ばっかり常識にとらわれていたら、苦しくなるに決まってる。
「母は無償の愛で子どもを見守り、やさしく寄り添う」なんて謎の常識、いりません。
無償の愛があることと、子どもにイライラしないことは、別もの。
子どもの気持ちに寄り添うことと、子どものわがままをすべて受け入れることも、別もの。
「こんなにイライラしてるのに、ちゃんと子どもにごはんを食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけて、毎日キス・ハグを欠かさないなんて、むしろよく頑張ってるし最高」
子どもだけじゃなく自分にも、そんなふうに、無償の愛を注ぎたい。
■理不尽な言動は、思い出にすりかえて笑え
唯一、なかなか効果的だと思っている対策は「思い出にすること」。
私の手をとことん振り払い、わめき続ける息子を、ひたすら待つのがしんどいとき。
リズミカルな地団駄を踏みながら、謎の要望を叫び続けるとき。
iPhoneを向けて、その様子を撮っちゃいましょう。
すると、不思議。
息子の泣きわめく姿が“いましか味わえない、育児の貴重な場面”に見えてくる。
いまこの瞬間に、未来の自分の視線で向き合うような、不思議な感覚。
実際に、リアルタイムではしんどかった0歳児のたそがれ泣きも、いま見返すとかわいい。
きっとこのイヤイヤ期も、数年経って見返したら絶対に、ほほえましく思えるはず。
だって、ふたりの子どもを育てた実母も、3人の子どもを育てた義母も「イヤイヤ期なんてあったっけ?」って言うんですよ。
年を重ねたとき、どうせだったら息子のこのイヤイヤ期を、ちゃんと思い出したい。
そのころ奮闘していた自分と、爆発する感情をまるごとわたしたちにぶつけていた幼い息子にもう一度出会えたら、けっこういいなぁなんて思う。
これからもっとわけのわからないイヤイヤを発揮しはじめたら、めっちゃ記録してやる。
それで、大人になった息子と、笑いながらお酒でも飲めたらいい。
あとは、いまのところ「やぁだ」「いんない」の言い方がかわいいのもラッキー。
連呼されても、響きはキュート。そういうささいなことで気分が違う。
これから子どもがイヤイヤ期を迎える方は、かわいい否定の台詞を仕込んでおくと、ちょっとはいいかもしれません。
Photo: 土肥 佑介