親の期待に沿わなくてもいい。元気に幸せに生きる姿を見せられるなら
人生を舞台に自分という人間を演じる方法を提案する短期連載【日々、女優】。#5では親との関係において、ありたい自分の演じ方を考えます。「◯◯の前ではこんな自分でいたい」。そんな風に、自分自身の理想とするあり方を未来から逆算して創造すると、人生がよりカラフルで愛おしいものになるはずです――。
人生を舞台に自分という人間を演じる方法を提案する短期連載【日々、女優】。「◯◯の前ではこんな自分でいたい」。そんな風に、自分自身の理想とするあり方を未来から逆算して創造すると、人生がよりカラフルで愛おしいものになるはずです――。
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今回は親にとってどんな子どもでありたいかを考えます。
自分が生まれた瞬間から一番近くにいる存在が親です。そんな親との距離感の取り方が上手な人は、その他の人間関係の距離感の取り方も上手な人だと思います。
時には重なり合い、時には近すぎるために反発し合う、別の人間なのに境界線が曖昧になりがちなのが親子の関係です。
親とちょうどいい距離感を取るのが難しい理由は、親は子を産んだという所有の感覚と、自分が叶えられなかったことを「自分の分身」として、子に託す期待があるから。子は親なら何でも許してくれるという甘えと親が喜ぶ暗黙の正解の生き方に応えようと、主体性を自ら放棄する無力感を感じるから。
「問題が起きたのと同じ次元で問題が解決されることはない」とアインシュタインが言っています。それと同じように、「日々、女優」的視点を意識して持つことは、少し上の次元で状況を捉えたら何がベストか? を自分に問いかけるのを簡単にしてくれます。
■親は親である前に、ひとりの人間
家族以外の人間関係では、他者の気持ちを想像することはできるのに、親との関係になると、その視点をつい忘れがちです。でも大切なことは、親も親の前にひとりの人間であること――自分が子どもを産んだからこそ、強く思うようになりました。
1歳になる娘は、居間にある観葉植物の土を触って遊ぶと、私から「ノンノンノン!」と注意されるのをわかっていて、私の顔を見ながら恐る恐る、しかし溢れんばかりの好奇心で、そーっと土を触ろうとします。
案の定、私から「ノー!」っと叱られると、ビクッと一瞬固まって、ニコッと笑って誤魔化そうとします。この様子を見て、子どもはこうやって親の顔色を窺いながら、自分のやりたいこととの折り合いをつけていくんだなと思いました。
先日読んだ本『AI時代の子育て戦略』(成毛眞)の中に、「子どもには好きなものとの出会いを広げるために、さまざまな習いごとをさせてみるのが良い。しかし、子どもは自分の好きよりも親が喜ぶことを優先しようとするので、親はなるべく無表情でいることが大切だ」というような内容が書いてありました。しかし、実際に子育てをしていて、親が無表情でいるのはとても難しいことだと実感しています。
親の顔色を窺って人生の選択を決めるような子どもにはなってほしくないと思いながも、無意識に私の価値観に合う行動を取れば手を叩いて喜んでしまうし、逆であれば、怖い顔をして娘を睨みつけている自分がいます。
■親に「いい人生だったな」と思ってほしい
私の両親も同じように表情にハッキリと表れるタイプだったので、私は幼稚園に通っていた頃から、両親が私に望む行動や態度が薄々わかっていました。さらに、ふたつ年上の兄の行動を観察して、こうすると叱られるとか、こうするとやりたいことが通るなど、対両親の対策として大いに活用してきました。
そうやって両親の言うことは表面的にはいつも「はい」と答えて聞いているフリをして、心の中ではいつも違うことを考えていました。表立って反抗すれば同じ屋根の下でお互い気分が悪くなる。それより、ひとまず聞いているフリをして、後から自分で考えて別の行動をして、結果的にうまくいけばいい、そう考えて生きてきました。
親もひとりの人間であり、自分とは違う人格を持つ他者です。その人間の一生が「いい人生だったな」と思ってもらえるように、「(この子にとって)いい親でいられてよかった」「子どもをひとまず社会に貢献できる人間で育てることができた」と思ってもらえることが、自分のできる最大の行動だと思っています。
私の父は80年代にアメリカ外資の企業に勤めていて、当時はまだ日本にはあまりいなかった、自立したキャリアウーマンへの憧れを自分の娘(私)の将来の姿に重ねていました。留学などを通じて、広い視野を持った、自由で自立した女性になってほしいとの望みを賭けて、私に教育の機会を惜しみなく与えてくれました。
そんな父に昨年、現在妊娠していてシングルマザーとして出産する予定だと伝えたとき、「お前を自由で自立した精神を持った女性になってほしいと思って育ててきたけど、ここまで自由になるとは思わなかった。自分の育て方は果たして良かったのか考えて、夜も眠れなかった」と言われました。
■親は、子どもが幸せで、元気に生きている姿を見たい
でも、私の中では確信がありました。今はそんなことを言っているけど、私の決断で両親を悲しませることはない、という確信です。なぜなら、「妊娠ファースト」を決意するとき、もちろん私の脳裏に「両親はどう思うだろうか?」と浮かばなかったはずがないからです。
否定されるのは覚悟の上、特に父は激怒するかもしれないと想像していました。それでも、私がこの選択を取ったのは、「私が幸せで元気に生活している姿」を見せることができれば、必ず挽回できるという確信があったからです。
実際は、激怒ではなく、落胆させることになったのですが、今では毎週日曜日に孫に会うのが人生の楽しみになっている父がいて、「自分もこうやってみんなに手をかけて育ててもらったんだと、孫の姿を見て改めて感謝の気持ちが湧いてくる」と口癖のように言っています。
今まで両親には、たくさんの心配と心労をかけてきました。子どもの頃から体は丈夫でしたが、おてんばで怪我が絶えず、成人したら起業したり離婚したり未婚で母になったり。今でも、常に「大丈夫なのだろうか?」と心配されていますが、でも、きっと両親の中で、「あの子なら、なんとかやっていける」とも思われているのかなと想像します。
■親の期待に沿わなくてもいい。お互いが幸せでいられるなら
今自分が子育てをしていて感じるのは、子どもの存在を通して、自分ひとりのときよりも見える世界が広がるという実感です。
足元にある少しの段差や小さいゴミ、行政の多様なサービス、娘に笑いかけてくれる街の人たちの優しさ、教育番組の子どもを飽きさせない仕掛けの素晴らしさ、便利な子育てグッズ、先輩ママからの情報のありがたさなど、まだ1歳なのでそれくらいなのですが。
私の母は私が体当たりで生きる姿を通して、離婚って普通にあるんだな、とか、未婚の母になってもなんとかやっていけるものなんだなと感じているみたいです。
両親にとってどんな娘でありたいかを考えるとき、両親の期待に沿うことはできないけれど、両親が随所随所で言ってくる言葉の真意を高い次元で捉えるようにしよう、それを長い時間軸で、お互いハッピーな状態で叶えられるようにしようと思っています。
その上で、世代を超えて両親も引き継いできた良心や知恵の重みを大事にしつつ、時にいろいろな経験をして、ぶつかったりへこんだりしながら、自分の感じる幸せや楽しさを追求できる感謝の気持ちを持って、いただいている命を謳歌するしかないのかなと思います。その姿を通して、周りが勝手に喜んだり気づいたり世界が広がったりしてくれたらいいなと、ゆるやかに考えています。
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