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ブサイク・デブも悪くない。でも「キレイになりたい」を放棄するのはやめようと思った

多くの人は自分の体について、理想と現実との間の乖離を感じています。ギャップがあればあるほど、深刻な悩みになってしまうもの。体のコンプレックスとはどう向き合い、どう付き合っていくと、生きやすくなるのでしょうか。Drまあやさんが「コンプレックス」をテーマに書く連載、今回は「体のコンプレックス」に焦点を当ててお届けします。

ブサイク・デブも悪くない。でも「キレイになりたい」を放棄するのはやめようと思った

コンプレックスは一種の心の病気です。他人からするとまったく気にならないことも、自分の中で問題が大きくなっていることが多いのです。

以前、コンプレックスについてレベル分けをして、内容と解決法について紹介させていただきました。解決できるコンプレックスとできないコンプレックスがあり、解決できないコンプレックスは、自分の中でそれと付き合って割り切るようにし、気にしないように生きていくことが必要です。さらにはプラスに変えて、コンプレックスを強みに変えて生きていくところまでいくと、克服したと言えるでしょう。

コンプレックスがあっても考え方次第で幸せになれる【Drまあや】

https://p-dress.jp/articles/5953

誰にでもコンプレックスはあるもの。ただ、コンプレックスに感じる事柄や悩みのレベル(度合い)は人それぞれです。コンプレックスとどう向き合うと良いのか、コンプレックスへのネガティブな気持ちを軽くするにはどうすれば良いのか。コンプレックスを打ち明けられる側の対応は。Drまあやさんが「コンプレックス」をテーマに書くコラムです。

解決できるコンプレックスについて、多くの場合、それを簡単に解決できない理由があって「コンプレックス化」していることがあります。「簡単に解決できない理由」を自分なりに考えたり、周囲に伝えたりしたときに、それは「言い訳」とも捉えられがちです。

今回、多くの人々が抱えているであろう「体のコンプレックス」について、私自身が抱えるコンプレックスも挙げながら考えてみます。

そもそもなぜ「体のコンプレックス」が生まれるのか?

幼少期に、周りの女の子やテレビに出てくるアイドルやモデルなど、キレイな人々を見て、「〇〇ちゃんは、かわいいなぁ。男の子にモテてる」「いいなぁ〜。モデルさんは背が高くて、脚が長い。顔もキレイ……」と比較が始まります。

子どもながらに、「妬み嫉み僻み」を発動します。場合によっては、発言や行動に出ます。恐ろしいことに、当時はそれを表に出してはいけない、という意識がないので、本人や周囲に正直に自分の感情をむき出しにすることもあります。

ここで、周囲の育ててくれている人により、コンプレックスのレベルが決まっていき、その後の人生に大きな影響を及ぼすわけです。例えば、本人がその感情をあらわにしたときに、本人が感じているコンプレックスを緩和させて、本人の良い部分を肯定してくれるかどうか。

その体験があったかどうかで、後々のネガティブ思考かポジティブ思考かが、決まってくるのだと思います。いわゆる「自己肯定感」というものですね。

私は祖母から、「かわいそうに。ブサイクだから……。結婚もできないだろうし、ひとりで生きていきなさい」と小学生の時点で、女子としての人生を否定されました。

今で言う「毒親」風ですが、私はここで、考えました。自分の置かれている家庭環境、そして、自分の容姿、性格、そしてそれが及ぼす学校での立場――。

残念ながら自分は、第二次性徴期を迎え、美人や可愛い、スタイルがいいといった女子としての勝ち組ではないな、と理解しました。そして、祖母の意見を聞き入れました。「ブサイクに世の中は冷たい。オンナ、ひとりでも生きていく準備をしよう!」と決意。

ここから医者を目指す人生が始まるわけです。結果的に、私は女性としての生き方は今ひとつですが、人として自分が目標としていたことは勝ち取ることができました。これは、ある意味ネガティブをプラスに変えることができた例だと思っています。

■高すぎる理想像を持つより、理想に近づける方法を少しずつ探してみる

しかし、現在、ブサイクにデブがプラスされ、事態は悪化しています。「デブ」は、解決できるコンプレックスです。

ではなぜ、痩せないのか? ここからは、簡単に解決できない理由「言い訳」をいろいろと見苦しく言い放っていきます。簡単な言い訳としては、不規則な生活による食事に時間が変則的であること、ダイエットをしている時間がないことと、心に余裕がない、などなどあるわけですが、きっとどれも「言い訳」に聞こえてしまいますね。

さらに厄介な「言い訳」は、「なりたい自分の理想像」が高すぎるという問題です。自分のなりたい理想像が高く、なんだかんだ言っているくせに、その理想を捨てきれず、その幻想に押さえつけられているのです。

そして、高すぎる理想に対し、早い段階で諦めの心が生まれ、結果、努力をすることをあっさり中止してしまい、どんどん下がっていく……。わかりやすく言うと、テストで0点の人間が100点を取ることを夢見ているのですが、あまりにも目標が遠すぎて、10点、20点取る努力も怠ってしまう、みたいな。

私は小さい頃、後藤久美子さんに憧れていました。しかし、どうあがいても遠くはるか彼方向こうの理想であり、かなり腕のいい形成外科の先生に顔ごと取り替えてもらっても無理でしょう。そして、身長も低く、脚も短い……。あんな風になれないなら、何を努力したって無駄だ、と考えるようになっていたのです。

でも、女性として生まれてきて、素敵な見た目によって得られる幸福感を早い段階で諦めてしまうのは、どうなのか? 私のように中学生くらいで諦めてしまうと、ズルズル転落(?)し、今に至るのです。

どんな見た目であっても「キレイになりたい」という気持ちは、多少なりとも残しておいたほうが良いのかなと思うこともあります。実際、そういうマインドで生きている人は、いくつになっても品のある綺麗な女性に見えます。一旦諦めると、一気に締まりがなくなり、だらしなく見えたり、老け込んだりする傾向があるもの。

後藤久美子さんになれないのはわかりきっていますが、例えば、メイクの工夫で素敵に見せることができるか? 痩せたら、脚が短いことを誤魔化す方法が見つかるかもしれない?etc.。

高すぎる理想と離れて、全部を諦めずに、理想に近づける部分がどこかないか、「解決できるコンプレックス」の部分で解消し、昨日の自分よりは今日の私がキレイだ! と思える生活にしたいですね。

最後に。ブサイクにもメリットがある、と身をもって感じることもあります。

例えば、ブサイクはひとりでフラフラしていても狙われる可能性は低く、街を歩いていても、男性からすると「透明人間」「なんか動いている物体」にしか見えていないため、彼らの邪魔さえしなければ、自由にのびのびと生きられます。

ブサイクだと、同性の女性からも敵視されない、というのもメリットです。私の知り合いの美しい女医さんは、街を歩いているとナンパも多いだけでなく、ストーカーされるようなこともあったり、病院で男性患者さんの奥様に変な勘違いをされ、あらぬ疑いをかけられたり……と、大変なこともあると聞きます。こんな面倒なことに巻き込まれるのは相当つらいと思います。

さらに、もうひとつ、デブでよかったかもしれない、と時々思うのが、ショッピングに出かけていて、素敵な洋服をたくさん見ているときのこと。もし痩せていたら、あれもこれも欲しくなってしまって仕方がなかっただろうけど、サイズがない、ともなれば、諦めざるを得ません。もし服好きな私が何でも着られる体型だったら、いくらお金があっても足りなかっただろうな、と思うのです(笑)。神様が、「お前の物欲を抑えるために、太らせているんだぞ」とデブの人生を与えているのかも、と勝手に思い込んでいます。

妙なプラス思考で、これが正しいのか? と言われると謎ですが、私自身これでなんだか開放感いっぱいで「カラフルデブ」として自由に生きているので、まぁ良いのでしょう。

とはいえ、グダグタと「言い訳」を言っていないで、健康のためにはそろそろ痩せる努力をしないと……。

Drまあや

脳外科医兼デザイナー/1975年東京生まれ・岩手県北上市育ち 岩手医科大学医学部卒業後、慶應義塾大学脳神経外科医局入局。2010年ロンドンのCentral Saint Martins に留学し、デザインの勉強する。帰国後、...

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