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ガラスの靴が履けなくても

「結婚していない自分は、世間様からの目が怖かった。けれども、その世間は今も、そしてこれからも私に何かを授けてくれることはないから」。女性の生き方をテーマに執筆活動を続けてきた芳麗さんは、自身のこれまでを振り返ってそう話します。そんな彼女が見つけた “結婚できない女性“としての矜恃と幸せな生き方とは――?

ガラスの靴が履けなくても

■ダイエットしても、足のサイズは変えられない


もしも、私の足がガラスの靴がピッタリのシンデレラほどに華奢だったなら、理想の王子様に出会えたのだろうか――。
  
そんなメロドラマティックな自己憐憫、普段は忘れていても、いまだ心根にこびりついていることは否定できない。私の足のサイズは、25.5cmと大きく、しかも、甲高幅広トリプルW。それは、数多ある私のコンプレックスの中でも大きく、2018年春、45歳でシングルであることより痛点である。ダイエットに成功してくびれた腰を手に入れられても、足のサイズは変わらないのだ。

美しい7cmヒールのルブタンが履きこなせたなら、私だってもっと軽やかに歩けたはずだ。家に引きこもったりせず、華々しいパーティーにも颯爽と足を運んで、そこで夢に見たような男に出会い、瞬く間に恋が始まっていたかもしれない。しかし、現実の私が履けたのは、ユニセックスなローファーやスニーカー。山登りには行けても、パーティーには行けない……というよりも、行きたくなかった。
 
合う靴もないが、欲しい靴はもっとない。大足専門店のパンプスはスタイリッシュじゃないし、ZARAには、サイズ41のヒール靴もあるが履き心地が良いとは言えない。

靴が見つからないのは、私の性質も大いに関係している。怠惰で臆病なくせに欲張りなのだ。心ときめく美と快適さの両方が叶う靴でなければ、履きたくない。中途半端なものを買うくらいなら、理想の靴にめぐり合うまで、アディダスのスニーカーでしのげばいい。

パートナー探しだって同じこと。結婚しない主義ではないが、「とりあえず」という勢いや「こんなもんかな」という諦めは抱けなかった。20代半ばで、女性の生き方について取材・執筆するライター業についたこともあり、かなり早い段階から結婚の概念を難しく考え過ぎたし、甘い夢なんて見れなかった。

26歳の時、恋心も情愛も保てた恋人にプロポーズされ、初めて「結婚したい」とリアルに思ったが、良家のご子息である彼の両親に猛反対された。結婚制度とは、個の愛ではなく、家と家との結びつきであることを認識したし、私を受け入れてくれなかった制度と彼の一家に腹をたてた。長らく傷ついていた。

その後も場当たり的に恋はしたが続かず、婚活を意識した途端に成果が出なくなるどころか、薄ら寒い気持ちになるばかり。私は、結婚という靴が履けない女なのだと思い知らされた。一方、「新しい家族を作る」、「パートナーシップを築く」という結婚がもたらすかもしれない、中身の部分は、猛烈に欲しかったし、今も欲しい。しかし、目の前の仕事と日常にかまけ、半ば、思考停止。

35を過ぎた頃、先に結婚していった友人知人たちが、結婚への不満や絶望を本気で口にするようになり、隣の芝生は青いとばかりに、こちらを羨ましがるようになった。羨望は主に、シングルが持つ、自由と可能性に向けられていた。

「まだまだ、恋ができて、これからパートナーを選べるなんて素敵!」
「仕事も旅行も人付き合い、すべてが自由でいいなぁ」

いや、こっちだって最後の恋はもう終わっているかもしれないし、自由ではあるが、それを行使するには潤沢な資金と時間がいるよ! そう返しつつも、羨ましがられるのは悪い気分じゃなかったし、結婚してもしなくても、誰もが人生は1人旅であることには相違がないのだと気付かされた。

■私、結婚しないのではなく、結婚できない女です!

そもそも、同じシングルでも“結婚しない女”と“結婚できない女”の境界線は、どこにあるのだろう?

前者は意思的で前向きだけど、後者は依存的で悲観的な響きを持つ言葉だ。35歳くらいまでの私は、後者だと認定されることが怖かった。何が怖いって、漠然と“世間様の目”が怖かった。たったひとりの男性と生涯の契約を交わすという“人なみの手腕”もなく、子どもを産み育てるという“人なみの役目”が果たせない自分を後ろめたく感じていた。もっと努力していたら、もっと愛し、愛され上手なら……と自虐じみた自問の繰り返し。

しかし、今なら堂々と言える。私は結婚しないのではなく、結婚できない女である、と。開き直りではあるが、後ろ向きな気持ちはない。思うに、私のみならず、世には結婚できない女、言い換えれば、結婚という靴が履きづらいタイプの女性が一定数いるのだ。理由は、人それぞれ、多種多様。たとえば、恋愛を頑張れない女。そもそも恋愛に興味がなかったり、ひとりでいるのが好きだったり、色恋に執着できないから結婚にもたどり着けない。あるいは、自立心が強い女や、恋愛体質の女。前者は生きる手段に困らないから、後者は目先の快楽を捨てられないから、結婚が遠のく。

他にも、決断するのが怖い臆病な女や、結婚の概念として考えすぎる理屈っぽい女なども、結婚にはハマりづらい。ちなみに、私は上記のすべてが当てはまる、筋金入りの結婚できない女。

しかし、そんな自分が嫌いかというと、今はそうではない。年々歳々、自らの性質を熟知しつつあり、その一部は変えられるが、主には変えられないものだと知ったからだ。足のサイズは変えられないのと同じこと。

ただ、受け入れたとはいえ、諦めてはいない。今の私は知っている。大足で好みがうるさくとも、旅先の海外のセレクトショップで大きいサイズゆえ1足だけ残っていた最愛の靴に出会えることがあることを。

結婚ができない性質の女も、ずっと結婚しないとは限らない。恋愛下手な女性も相性のいい男に出会えてするっと結婚したり、プライドが高すぎる女に不意に体調や心境の変化が訪れて、そばで支えてくれた男友達と生涯の愛を誓うこともある。仕事柄、そういう例をわりとたくさん見てきた。過度な期待は抱けないが、希望はある。それに、結婚できない性質の女って、一般的なサイズの結婚にハマれないだけで、オリジナルサイズの結婚なら絶妙にハマることも多々。レアサイズな女だからこそ、破れ鍋に綴じ蓋的なオーダーメイドな結婚が叶うかもしれない。

引きこもりがちだった35歳までの自分に言いたい。

シングルである自分をコンプレックスするなんてもったいない。悩んだところで、生まれ持った性質はそう変わらないし、世間様は、今も未来もあなたの人生に何も授けてはくれない。それよりも、ひとり身の自由と可能性を味わって。婚活に向かずとも、世界は広いし、自分の足で歩けば歩くほど、出会いの場も人生の楽しみも増えていく。むしろ、合わない靴を無理に履かずとも、ひとりでここまで歩いてこれた自分を誇りに思っていい。たとえ、結婚してもしなくても、この道を歩くのは自分でしかないのだから。

ところで、シンデレラの足のサイズって何センチ? 同国のどの女性も入らなかった靴が履けたのだから、相当に小さいことは間違いないけれど。それはそれで、レアなオリジナルサイズだったのかもしれない。

Text/芳麗
女性の生き方やライフスタイルにまつわる取材記事を手掛けながら、ミュージシャン、俳優、クリエイターなど第一線で活躍する著名人、多種多様な一般人まで、述べ3000人以上をインタビュー。

4月大特集「愛すべき、私のややこしさ」

https://p-dress.jp/articles/6537

『DRESS』4月特集は「愛すべき、私のややこしさ」。多くの人はなんらかのコンプレックスを抱えて生きています。コンプレックスを意識しすぎるとつらく、しんどいものです。でも、それをうまく受け入れ、付き合っていけば、少しだけ生きやすくなるはず。本特集ではコンプレックスと向き合うヒントをお届けしていきます。

芳麗

“新しい女性の生き方”を探して、取材、考察、執筆し続けている文筆家。著名人など多種多様な人物にインタビュー、女性誌「andGIRL」やWEB媒体「cakes」などにコラムや対談の連載を持つ。 著作に「3000人にインタビュー...

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