1. DRESS [ドレス]トップ
  2. ライフスタイル
  3. どれだけ「悪口」を言われても、あなたの存在価値はあなた自身で決めてほしい

どれだけ「悪口」を言われても、あなたの存在価値はあなた自身で決めてほしい

4月特集「愛すべき、私のややこしさ」最後の記事は、作家・中村うさぎさんが「悪口」に傷つくすべての人へ送るエッセイです。

どれだけ「悪口」を言われても、あなたの存在価値はあなた自身で決めてほしい

人間は普通に生きてる限り、誰かしらの不興を買ったり嫌われたり、嫉妬されたり蔑まれたりするものだ。

他人の悪口から逃れる術はどこにもない、と、私は考える。

人から嫌われるのが怖いのは、誰もが同じだ。できれば万人から愛される人気者になりたい。
が、その「人気者」だって陰ではボロクソ言われていたりするのだから、「誰にも嫌われたくない」などという願いがそもそも非現実的なのだ。

「どんなに無理して頑張っても、私は誰かに嫌われる」

私たちは、まず、これを大前提にすべきだと思う。

そして、「どうせ誰かに嫌われる」という現実を踏まえたうえで、自分の身の処し方を考えればいいのである。

「それでも、ひとりでも多くの人に好かれたい」と頑張るか、「どうせ嫌われるんなら無理なんかする必要ない。自分のやりたいようにやろう」と開き直るか、それはもう各自が自分で決めればいいことだ。

どっちが自分にストレスがかからないか、で決めるのだ。

無理して周囲に合わせるストレスより、人に嫌われるストレスの方が大きい者もいる。
逆に、人に合わせて疲労困憊するくらいなら、嫌われてもいいから自分ルールで生きたいと願う者もいる。

そこはもう、人それぞれだ。「正解」なんて存在しない。自分だけの「正解」があるだけだ。

ちなみに私は断然後者なので、ある時期から「人に嫌われること」をポジティヴに捉えるようになった。
人に嫌われてナンボ、誰にも嫌われない人間なんてつまんねーやつだ、などと居直ったわけである。

たしかにみんなに嫌われない人間は、話をしててもめちゃくちゃ退屈だったりする。要するに、アクがない。私は良くも悪くもアクの強い人間が好きなので、無味無臭な人間を嫌いにこそならないものの、まったく関心を持てないのだ。

そんなわけで、私は自分が「嫌われ者」であると自認している。だから嫌われてもあまり傷つかない。誤解されるのは心外だが、私を理解したうえで嫌うのであれば、「ほほう、仕方ないね」と思うだけだ。

その「嫌い」がどこに由来するのか、私の問題なのか相手の問題なのかを考えるのは楽しいけど、べつに好きになって欲しいとは全然思わない。

なぜなら、その人に好かれるために私が私でなくなる方が、私にとっては苦痛だからだ。

私が私であること……これ以上、大事なことはない。

私は、そういう人間だ。

何十年もかけて「私とは何者なのか」を考え続けてきたからには、おいそれと「私」を他人に明け渡せない。

他人の評価で自己評価が揺らぐことはもちろんあるが、それはあくまで正当な批判に対してであり、単に「嫌い」みたいな曖昧で非言語的な感情には左右されない。

そんなのに左右されてたら、私は自分を見失う。

世間の「悪口」には、「批判」と「誹謗中傷」の2種類がある。
人間は常に他者からジャッジされている生き物なので、「批判」は当然のものと受け止めている。批判されるのを恐れていたら、こんな仕事はしていられない。

批判とは、自分でも気づかない欠点を指摘されることだから、批判されていちいち傷つくのではなく、それを糧にしないと前進できないのだ。

私たちには他者の「客観的な視点」が必要である。

それがないと、私たちはこれまた自分を見失ってしまう。

正しく批判してくれる他者は、私にとって「理想の鏡」なのだ。

一方、根も葉もないことを言いふらしたり、明らかに悪意をもって罵るような、そんな悪口は意に介す価値もない。
たしかに自分の悪口を聞くと嫌な気分になるし傷つくが、相手はこちらを傷つけるために言っているのだから、まんまと傷ついてやるのも癪ではないか。

だってね、そういう人って、結局はそんな自分に復讐されちゃうんだよ。

「人を呪わば穴ふたつ」とはよく言ったもので、他人の誹謗中傷ばかりしている人間は、最終的には誰にも相手にされなくなる。
それでも、彼ら彼女らには「客観性」がないので、周囲が自分を薄笑いで見ていることにも気づかない。

傍から見ると、ひどく滑稽で惨めな人間となってしまうのである。

私たちは他者の評価によって、自分の立ち位置なり役割なりをある程度確認し、それを基に社会的アイデンティティを築いていく。
だが、それはあくまでも「社会的アイデンティティ」に過ぎず、あなた自身の価値までが他者によって決められるわけではない。

あなたは、あなたにとってかけがえのない「私」ではないか。

この世でただひとり、あなたが「私」と呼べる存在ではないか。

その唯一無二の「私」がこの世に存在することの意味を、あなた以外の誰が実感できるというのだろう。

だから、他者の評価は自分の「社会的価値」までにしか届かず、あなたの存在価値はあなた自身が決めることなのだということを、どうか肝に銘じていただきたい。

たとえ誰ひとり評価してくれなかったとしても、自分がこの世界に存在する価値がないなどということには決してならないのだ。

逆に、世界中の人々があなたの価値を褒め称えたとしても、あなたが自分を価値のない存在だと思っていたら、あなたがこの世に留まる理由はどこにもない。

あなたは、あなたのために存在している。

同様に、私も私のために生きている。

その根源的な「私の価値」に、他者の評価が介入する余地などないのです。

ね、だから、他人の悪口なんかで自分の価値を貶めるのはバカバカしいのよ。

だって他人なんて、どうせ無責任なものだもん。

あなたが他者の評価に躍らされて不本意な人生を選択しても、彼らは決して責任なんか取ってはくれない。

最終的に、自分の人生の責任を取るのは自分じゃないか。

なら、自分の思うように生きたらいいの。

「悪口」に傷つく人々に、私は心からそう言いたいのです。

Text/中村うさぎ
人の本質的な欲望を追求する作家・エッセイスト。
Twitterアカウントはこちら

4月特集「愛すべき、私のややこしさ」の記事一覧はこちらから

4月大特集「愛すべき、私のややこしさ」

https://p-dress.jp/articles/6537

『DRESS』4月特集は「愛すべき、私のややこしさ」。多くの人はなんらかのコンプレックスを抱えて生きています。コンプレックスを意識しすぎるとつらく、しんどいものです。でも、それをうまく受け入れ、付き合っていけば、少しだけ生きやすくなるはず。本特集ではコンプレックスと向き合うヒントをお届けしていきます。

DRESS編集部

いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。

関連記事

Latest Article