子どもを支配しようとする親は、思考停止しているのかもしれない
子どもの成長とともに、改めて考え始める「育児方針」。作家の大泉りかさんは、自分が親から受けてきた教育をそのまま引き継ぐ気にはなれなかった、と語ります。我が子を思うからこそ、打ち立てた彼女の「育児方針」とはなんだったのか。
妊娠中のことだ。
夫とふたりで、産院で開かれた両親教室に参加した。
そこで最初に、自己紹介とともに、どういう子に育てたいか、育児方針を述べるようにと言われた。まだ生まれてもいない子の育児方針なんて、夫婦ともに考えたことがなかったので、取り繕うようにして「元気で明るく伸び伸びした子」と、当たり障りない発言でごまかしたのだった。
■テレビは子どもに「悪い」……なぜそう考えたのか?
生まれてからもしばらくは、赤ちゃんは寝ているか、泣いているか、ぼけーっとしているかのどれかで、両親であるわたしたちができることといえば、ミルクをあげるか、抱っこするか、あやすくらいしかない。だからしばらくは「どう育てるか」ということも、すっかり頭から消えていた。
しかし、ここのところ、子どもの好奇心がめきめきと芽生え、さらには離乳食も始まったところで、「育児方針」というものについて再び考える必要が出てきた。
というのも、夫は息子と遊ぶとき、必ずといっていいほど、テレビをつけるのだ。PS3で録画してある某幼児向け番組を見せることもあれば、「フールー(Hulu)」や「ネットフリックス(Netflix)」などで、わたしたちが幼いころに見ていた古いアニメや特撮を流すこともある。
腹に据えかねたある日、「テレビを見せるの、やめてよ」と告げると、夫から返ってきたのが「なんで?」という言葉だった。「そりゃあ、テレビは子どもにとって悪いから……」と言いかけたところで、ふと思った。テレビは子どもに「悪い」のだろうか、と。「悪い」と考えるとしたら、その根拠はいったいなんなのか。
すぐに思い当たったのは、わたしを育てた母の育児方針だった。いまになって思い出すと、母はとても生真面目な子育てをしていた。
市販のお菓子や清涼飲料水、ジャンクフード類はあまり与えてもらえなかったし、テレビは決まった時間に1日1時間まで。食事中は付けることが禁止されていたのみならず、ご飯を食べるときは、ダイニングチェアの上に正座するように躾けられていた。
そのせいか、今でもわたしはコンビニやスーパーでスナック類やジュースを買うことはあまりないし、テレビも見たい番組をピンポイントで視聴することはあっても、ただなんとなくつけっぱなしにしておくことはない。
したがって、母の育児は成功したといえるのだが、わたしからすると、テレビをだらだらと見る楽しみや、ジャンクなお菓子を食べる喜びのない人生であることが、少しつまらなく思えることもあるし、誰もが親しんだ文化についての知識がぽっかりと空いていて、困ることもある。
■親の育児方針を手本にしそうになる……けど、それは思考停止
0歳児にテレビを躊躇なく見せる夫は、当然のことながらテレビが大好きだ。時間が空くとすぐにテレビの前に陣取って、ポテトチップスをばりばりと食べながら、古い映画やテレビ番組に夢中になっている。
しかし、夫に関していえば、「テレビは悪い」とは決していえない。なぜならば、夫はアパレルブランドのデザイナーをしていて、子どものころに見たテレビ番組への愛や知識が、彼のデザインの礎となっているからだ。テレビがあったからこそ、今の彼がいるといってもいい。
もちろん、体にいいものを、選び抜いて与えてくれた母親のおかげで、わたしがいま健康に生きられていることには感謝している。テレビを見る代わりに、読書習慣が身についていることにも。
だからといって、母親がしたそのままの育児方法をそのまま引き継ぐ気にもなれない。「あなたのためを思って」が当時の母の口癖だったけれども、当時のわたしはもっとテレビを見たかったし、ジャンクなお菓子を食べたかった。そして今のわたしは、あのころのわたしに、テレビやお菓子を与えてあげたかったと切に思う。
育児においては、否応なく自分の母親を手本にしそうになる。
けれども、考え続けなくてはならないと思う。一つひとつの事柄について、母親を手本とするか、反面教師とするか、決して思考停止せず、きちんと考えながら、息子に生きる喜びや楽しさを伝えていく。これをわたしの育児方針としたいと思う。