「私服の制服化」は少ない服でおしゃれに生きる究極のスタイル 2/2
仕事や子ども関係の行事では、社会的な立場から求められるドレスコードがある。
自分の“役割”にふさわしいファッションがあり、好き勝手な服を選んで制服化することは実は難しい。
けれど自分一人の休日や、家族だけで過ごすリラックスできる休日の服を制服化するのなら、むしろ簡単にできそうだと思う。
休日こそ自由な服を楽しんであれこれチャレンジしてみる……という考え方もあると思うが、あえて「休日は必ずこれ!」とファッションを決めてしまうのも、心穏やかな時間を過ごせそうな感じがする。
■私服の制服化にもポジティブなもの、ネガティブなものがある
私服の制服化といっても、実はさまざまなパターンがあるのではないかと思う。
できるだけモノを減らしたい。モノの管理の手間やコスト最小限にして、服に振り回されることなく、すっきりした暮らしを送りたい……という気持ちからくるもの。
逆に、かなり計算に基づいたもので、「自分」というキャラクターをブランディングするためにあえていつも同じ格好をし、「〇〇さんといえば、○○な恰好、ファッション」と人に印象づけてしまうためのツールとして利用する方法。これは、その人の強烈な個性となり、かなり有効なブランディングとなるだろう。
人それぞれであるが、「毎日同じ服を着る」までに至るには、ありとあらゆる事情やケースがあり、ひとくくりには語れないものだなと思う。
けれど、服ごときに自分の人生をかき乱されたくない、という気持ち、服を利用して自分の人生をプラスに向けようという気持ち――どちらも同じく前向きに生きようとする姿勢からくるものではないだろうか。
こういう前向きな気持ちからくる「私服の制服化」は、その人にプラスに働くのではないかと思う。
けれど、「面倒くさい」「もうどうでもいい、諦めた」といった、後ろ向きな気持ちで服を制服化するのには、慎重になった方がいいと思う。そこからは決してプラスの影響は生まれてこない。
心がシュンとしぼんでしまわないか? 朝起きたとき、ワクワクするか、ホッとするか?
そんな風に、自分自身と服の関係にとことん向き合うのに有効な「私服の制服化」プロジェクト。
「何を着ていいかわからない」
「何を着ても似合わない気がする」
「自分が何を着ればいいのか見失っている」
そんな窮地に陥ったとき、しばらく同じ服を着続けることは何かの修業に似て、きっと見えてくるものがあるように思う。
私も近々チャンスがあるなら、1週間ずっと「白いシャツに黒タイトスカート」という出で立ちで過ごしたいと思っている。そこからは必ず見えてくる何かがある。