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子なし夫婦の私、「産まない覚悟」が揺らぐとき 2/2


子なし夫婦の悩み

なのに、悩む。どこかで「これでいいのかな」と思っている。その裏にはもちろん、夫と自分の血を継いだ子に会ってみたいという思いや、産まないと将来後悔するのかな、という出産の不可逆性ゆえの思いがある。

しかし、それに加えて子どもがいないのは、両実家に対しても、世間に対しても、なんとなく肩身が狭いのではないかという感情がわいてくるのだ。

理屈では、「別に肩身が狭いと感じる必要なんてない」とわかっている。子どもを産み育てるのは国民の義務じゃないし、両家とも跡継ぎを必要とするような家じゃない。

それなのに「肩身が狭い」と感じるのは、子どもを産み育てるのが、普通/あたりまえ/あるべき姿/親孝行だといった現代日本の価値観が、私自身の中にずっしり根づいていることの証拠だ。

それらの価値観から外れてしまうことを、おそらく私は怖がっている。そんなふうに、自分で自分を息苦しくしている女性は多いんじゃないだろうか。

■社会の価値観を内在化して、自分で自分を追い詰める必要なんてない

子なし夫婦が仲よく歩く姿

たしかに、今の日本では古来からの価値観に最近の少子化の影響も加わって、“産む”ことの価値がものすごく高くなっている。国もどうにかして「産ませよう」とするし、社会全体に「産むことは素晴らしい」という空気が漂っている。私も「産むことは素晴らしい」を否定する気はない。

でも、その世間の空気を内在化して、自分をがんじがらめにする必要はない。誰しも、自由な意思決定を尊重されるべきだ。自由な意思決定が尊重されることの価値は、産むことと同様か、それ以上に高いはず。

私は自分の頭が凝り固まっていると感じると、思考実験のように「ここがひとりっ子政策下の中国だったら」「今が大飢饉だったら」などと考え始める。

ちょっと極端だと思われるかもしれないけれど、絶対的な正義なんてそうそうなくて、所変われば、時が変われば、宗教が変われば、価値観なんてすぐひっくり返る。そのことを思い出せるのだ。

私はおそらく産まないだろう。細長い島国の2017年現在の空気に負けず、弱気になったら頭の中で地球儀や年表のあちこちを旅しながら、“ふたり家族”であり“子なし夫婦”の人生を堂々と楽しむ所存である。

※ この記事は2017年1月26日に公開されたものです。
※文中に登場する年齢や数字は記事公開当時のものになります。

吉原 由梨

ライター、コラムニスト。1984年生まれ。東大法学部卒。外資系IT企業勤務、教授秘書職を経て、現在は執筆活動をしながら夫と二人暮らし。 好きなものは週末のワイン、夢中になれる本とドラマ、ふなっしー。マッサージともふもふのガ...

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