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失敗して初めて自由になれる、そんな社会の窮屈さ【紫原明子 連載 #11】

社会は私たちに旧来の価値観を押しつけ続ける。一度あたりまえのやり方に迎合し、派手に失敗したことを証明して初めて、社会は私たちを自由にする。でも、それって実はつらい。最初から誰もが他者の目を気にせず、各々の好きなように、生きられるようになればいいのに。 

失敗して初めて自由になれる、そんな社会の窮屈さ【紫原明子 連載 #11】

乙武洋匡さんが活動を再開されたことは本当によかったと思う。
そもそも乙武さんの女性関係がどうだったとしても、それについて不誠実だと彼を責められるのは、奥さんや家族など限られた一部の当事者だけだ。
確かに芸能人など、人気が稼ぎに直結する人は当然、ある程度戦略的に自分のイメージを作るだろうし、それで稼ぐ以上、真実がそのイメージから大きくかけ離れていたときにファンの怒りを買うのは仕方のないことかもしれない。けれども乙武さんについては、必ずしも本人だけを責められないように私は思う。


彼の言葉を借りて言えば、乙武さんは“五体不満足”で、そんなハンデを抱えながらもベストセラーを出したり、教職についたり、家庭を持ったりされている。障害を克服して生きている。だから彼は当然清らかで、非の打ち所のない立派な人なのだ、という身勝手な期待が世間に先行してあったから、乙武さんはその期待に応えてきた。そういう側面があることもまた否めないのではないだろうか。
大人が大なり小なりあたりまえに持っている狡猾さや傲慢さ、エロさが、世間の目に映る乙武さんには、特別に許されてこなかったように思えるし、ご本人はそれで、少なからず窮屈な思いをされていたのではないだろうか。


だからこそ、いろいろと大きな喪失を経験されただろうけれど、それでも乙武さんの今後には大きな希望があると思う。何しろ一度きちんとすべてのイメージが崩壊し、世間はようやく彼が人間であって、聖人でないことを知ったのだ。無責任な期待を背負わせることを諦めたのだから、これからの乙武さんは、格段に自由になれると思う。


■失敗が「幸せを装わねばならない状況」を吹き飛ばした

そもそも日本は失敗に不寛容な国だと言われているけれど、失敗がもたらしてくれる利点は案外少なくない。私はとくに最近、自ら失敗を体験した者として、よくそんなことを思う。


私の失敗というのはほかでもない結婚である。上で書いたような乙武さんの話題に比べればはるかに規模は小さいけれど、一般人の離婚にしてはなかなかの話題性があったと思う。若き成功者と結婚して金持ちになるも不倫されて離婚、おまけに現状お金もないらしい、そういった噂は瞬く間に周囲に駆け巡って、比較的派手にバツイチになった。そのことによって「あの人は幸せに違いない」という期待の目は一転「さぞ不幸だろう」というものに変わったけれど、結果として私はそれで、肩の荷を下ろすことができた。幸せであり続けなければならない、そうでなければ幸せを装わなければいけない状況から、初めて解放されたと思った。


さらに言えば、不幸に違いないと思われている中で幸せになるのは、幸せであるはずだと期待される中で幸せになるより、断然たやすいということもわかった。こうに違いない、という見えない誰かの視線は、知らず知らずのうちに自分の行動に負荷をかける、大きな足かせとなっていたのだ。


■浸透しきった世間の価値観は、我流を貫く者を許してくれない

芸能人に限らず、社会の中で生きる私たちは、他者から絶えず、大なり小なり、何かを期待されている。大半は無視できる程度のものだけれど、一部は結構厄介で、ときに人の心を蝕むほど重くのしかかるものもある。


先日、名古屋で行われた私の著書『家族無計画』の読書会では、参加してくれた50名近くの、さまざまな世代の男女と話をした。その中で、とくにアラサー、アラフォー世代に向けられる結婚への期待というのは、とてつもなく大きく、重たいものだということに改めて気づかされた。結婚なんて一人の努力でどうにかなるものでもなく、然るべき相手と出会って、タイミングを一致させなくてはどうしようもないこと。そうわかってはいても、「未婚」という言葉でくくられた人は、問答無用でこれから先結婚する人、まだ結婚を成し遂げていない人、という視線を浴びせられ続ける。私には私なりのやり方があるのだとどんなに主張しても、空気に浸透した一般的な価値観は、そう簡単に我流を貫くことを許してくれない。


そんな中で、社会に諦めてもらうための数少ない手立ての一つが、一度あたりまえのやり方におとなしく迎合して、その上で大きく、派手に転んで見せることなのだ。転んで、血まみれ・瀕死になりながら、やっぱりダメでした、私には違ったみたい、と証明して見せる。そうすることで、ようやく社会は私を弾き出してくれるのだ。


失敗の後に自由があるのだから、社会にはまだ希望がある。


……と、前向きに言ってみたところで、本当はそれって絶望的な状況でもある。そんな面倒なことしなくたって、誰に何を取り繕うことなく、それぞれがそれぞれのやり方で、初めから自分らしく生きていければいいのにな、と思う。




紫原 明子

エッセイスト。1982年福岡県生。二児を育てるシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。『家族無計画』『りこんのこども』(cakes)、『世界は一人の女を受け止められる』(SOLO)など連載多...

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