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離婚後の立ち直り方。“私を幸せにできるのは私だけ”と考えて

離婚のショックから立ち直りたい。望んでいなかった離婚を経験すると、つらい日々がしばらく続く。でも、どれだけ努力をしようと、夫婦関係が修復できないとき、結婚生活を手放すのはひとつの選択肢だ。離婚は「自分のための人生をもう一度掴み直すチャンスになった」と語る杉山早さんが、離婚から立ち直りまでの心の動きを綴ります。

離婚後の立ち直り方。“私を幸せにできるのは私だけ”と考えて

「今月中に私が家を出ます。」そう約束をした月の最後の日、やっと眠った娘の寝顔を眺めていた。

「ごめんね」

思わずつぶやいて、悲しみと罪悪感から逃げるように、意を決して2年間結婚生活を送った家を出た。眠っている夫と、1歳の娘を残して。外に出るとどうしようもなく涙があふれてきて、止まらなくなった。ひとりで住むために借りた部屋は、前の家から歩いて5分。それなのに、向かう道のりはやたらと長く感じる。井の頭通りの坂道を、しゃくりあげて泣きながら歩いた。

翌日は2回目の結婚記念日だった。2年前はあんなに幸せに笑っていたのに、こんなふうに見事に決裂するものなのだなと思うと、結婚式の「誓います」という言葉の、なんと信用ならないことだろう。それから約4カ月後、私は離婚した。

多くの破局した夫婦がそうであるように、はっきりとこれが理由で離婚した、というものがあるわけではない。ちょっとしたことから少しずつ歯車がずれていって、いつしかまったく噛み合わなくなってしまった。

それでもその最初のずれのきっかけが何かを探すとしたら、それは私自身が妻である自分も、母である自分も、きちんと受け入れることができなかったことだと思う。

■私自身の人生を諦めたくない、と気づいた

家を出てから離婚までの別居期間中、それまでほとんど私がみていた娘の面倒をそれぞれの家で週の半分ずつみることになっていた。出産してから今まで生活のほぼすべてだった育児が半分に減った結果、急にぽっかりとひとりの時間ができた。その空白を埋めるように、私は毎日がむしゃらに働いた。

仕事をしている間だけは、誰かの役に立っているという実感があり、ボロボロに傷ついた自尊心をなんとか保つことができた。自分にとっての幸せってなんだろう? 以前よりずっと狭くなった1DKの部屋にこもってひたすら考えた。すると日に日に自分の本当の願望がはっきりとしてきた。

“もっと、仕事がしたい”

私は、私自身の人生を諦められなかった。結婚と同時にドレスデザイナーとして独立をし、さあこれからというときに予想外の妊娠がわかった。つわりで吐きながら働き、陣痛が始まるその日も働き、出産をしても入院していた産院に仕事道具を持ってきてもらって、翌日から夜な夜な働いた。

2年間ずっと、仕事も、結婚生活も、子育ても、すべてをやってみせようと必死に努力したつもりだった。だけどそれにはやっぱり限界があって、あるとき張り詰めていた糸がプツッと切れてしまった。完全にキャパオーバーだった私は、一緒に暮らす家族に気持ちを割くというあたりまえのこともできないくらい、とにかく余裕がなかった。気づいたら、夫婦の関係はもうどうしようもなくなっていた。

■親権を手放したのは、娘の未来の幸せを祈りたいから

離婚から立ち直る

離婚、という現実が目の前に迫ったとき、この先娘をどう育てていくのか、悩みに悩んだ。

シングルマザーとして娘を立派に育て上げる自信は、正直なかった。私の仕事は不安定な自営業。経済的な不安がなくなることはない。まだまだ実績と言えるものもなかった。

結婚して子どもを持ったのに、自分のやりたいことが最優先だなんて、無責任だと責められても仕方がない。愛する人のために生きることが幸せなのだと思えない自分が情けなく、心底失望もした。自分のすべてを犠牲にしてでも子どものために尽くすことが母親として当然ならば、それができない私は母親失格なのかもしれない。

だけど、私が立派な母親であるかどうかより、娘が満足な生活をして幸せに成長することの方がきっとずっと大切だ。彼女の未来のためには、夫がそれを望んでいるのならなおさら、彼に娘を託すことがベストなのだと思った。

そうして娘の親権を夫が持つことを決めて、娘と会うのは半分からさらに減り、限られた日だけになった。

DRESS編集部

いろいろな顔を持つ女性たちへ。人の多面性を大切にするウェブメディア「DRESS」公式アカウントです。インタビューや対談を配信。

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