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女を磨く離婚道 #6 DV夫と別れて人生が変わった

もし今、DVに悩んでいる人がいたら2つの未来を想像してみて欲しい。その夫と10年先も同じ生活を送るか、思い描いた幸せを実現する生活を送るか。生活を共にした夫婦の情は、時に決心を鈍らせてしまうけれど、私は「違う人生を生き直したい」と前だけを向いた。その結果、充足感に満ちた暮らしを手にすることができた。

女を磨く離婚道 #6 DV夫と別れて人生が変わった

■結婚に飛びついたのは、厳しい父から逃れたかったから

大正生まれの厳格な祖父が家長として君臨する、時代錯誤で息苦しい家に私は育った。嫁入り前の娘の一人暮らしは言語道断。社会人になっても着る服にまでやかましい家人に辟易し、「家を出るには結婚するしかない」と考えるようになる。そして、当時付き合っていた喧嘩ばかりだった彼氏と安直に結婚をしたのである。

結婚にあたり、夫から言われたのは「飯をちゃんと作ってほしい」と「俺が帰るときには家にいてくれ」のふたつ。地方の旧家の長男らしく、家事は一切しない。勤めていた会社を辞め、私は時間の融通がきくフリーランスに転向。結局は自分の育った家と大差ない亭主関白な夫だったけれど、週末は祖父母をあちこち連れて出かけてくれる優しい一面を私は愛した。

■何の予兆もなく夫はDV男と化した

それはある日、前触れもなく唐突に始まった。今でも何の会話をして夫を激高させたか記憶にない。それまで黙って話を聞いていた夫が、突然向かい側に座る私を壁に押しやるようにテーブルを二度三度と蹴ったのである。それまでに見たこともない鬼の形相。あのときの夫の顔は今も脳裏に焼き付いて離れない。

この日を境に些細な理由で夫は暴れるようになっていく。たとえばデパートで夫より先にエスカレーターに乗ったという理由。大声をあげながら、夫は7階から1階まで人を押しのけてエスカレーターを駆け下りた。その背中を見て私はただ呆然とするしかない。予期せぬ行動に出るだけならまだいい。入浴中の夫に、ドア越しで声をかけただけで、ドアにヒビが入るほど蹴りあげた。寝返りを打った際に私の腕がぶつかったことに立腹し、ベッドから落ちるまで私を蹴り続ける。灰皿やマグカップを投げつけるのは日常茶飯事。「やめて!」と強く言おうものなら私の腕や足、服を掴んで引き摺り、玄関から外に放り出す。私は素足のままマンションの廊下で途方にくれ、夫の機嫌が直って施錠を解いてくれるのをじっと待つのだった。

■「もう絶対にしない」詫びられる度に許す、の繰り返し

そのくせ暴力を振るう夫を、いとも簡単に私は許していた。暴れたあとの夫はとても優しい声で囁く。「もう絶対やらないから」「お詫びに今度おじいちゃんを温泉に連れて行くよ」。私は「今度こそ本当に反省したんだ」と安堵し、普通の夫婦になれることを期待する。なのにまた暴力を振るわれる……その繰り返しだ。暴力は日を追うごとにエスカレートしていくばかり。私はストレスで体を壊し、仕事は開店休業状態になっていた。

『蒲田行進曲』という邦画をご存知だろうか。映画の撮影所を舞台にした喜劇だが、平田満が演じる大部屋俳優が自宅で竹刀を振り回し大暴れするシーンがある。あれと同じ光景が家の中で起きた。突然、夫が何かを叫びながらあっという間にチェストや花瓶、襖を壊して回ったのである。カーテンは引きちぎられ、ひっくり返った観葉植物の土は家中に散乱した。

■死ぬまで数十年、暴力夫と連れ添いたいか?

「殺されるかもしれない」と、この日初めて恐怖に襲われた。万が一を考えて、最寄りの警察署にこれ以上暴れた場合は助けを求められるのか相談に行った。すると親身になって私の話に耳を傾けていた初老の警官がこう言ったのである。

「俺ね、わからないんだよ。女房に暴力を振るうヤツの気持ちが。だって俺、どんなに女房と喧嘩をしたって力で負かそうとか思ったこと一度もないんだよ」と。隣で黙って聞いていたもう一人の警官も「そうだね。男が女を殴ったら……力が違うんだから、どうなるかわかるじゃない」と言って大きく頷いた。「旦那さんは普通の感覚じゃないんだ。警察はもちろん動くことはできるけど、この先何十年もそういう生活を送るってことだよ」。

私は自宅に戻って警察官の言葉を反芻した。あの警察官の奥さんは殴られたり、蹴られたりなんかしないだろう。こんな悩みとは無縁の生活をしているんだろうな。ああした考えの人と結婚していたら、こんなことにならなかったのに。なぜかふいに妄想が頭をもたげた。もしかしたら、私にも違う人生があるのかもしれない。夫と一緒に買い物をして、笑って、旅行をして。夫が在宅することに怯えなくても済む生活が……。

■もう惑わされない。別居、半年後に離婚が成立

それからの私は憑き物が落ちたかのように離婚の意志を固めた。初めて両親に夫の暴力を打ち明けると、すぐさま引越業者が手配された。事前に離婚を告げて逆上されないよう、秘密裏に荷物をまとめた。持っていくのは自分の持ち物だけ。夫が会社に行っている間に実家へすべて引き上げた。

別居してからは幾度となく両親を交え話し合いが行われた。夫はひたすら私が戻ることを懇願し、暴力は二度と奮わないと誓っていた。それでも私は二度と夫の甘言に惑わされなかったのである。別居して半年後、夫はしぶしぶ離婚届にサインをした。

■あのとき離婚していなければ、今の穏やかな暮らしはなかった

別居・離婚を機に、私は会社員に復帰した。病気で仕事ができなかった期間の遅れを取り戻すように、ただがむしゃらに仕事に没頭をした。繁忙期には何日も会社で寝泊まりし、新たなスキルを身につけようと、転職もした。手がけた仕事がクライアントの目に止まり、指名で大きなプロジェクトを何年も任されたことも大きな自信となった。

キャリアを積む一方で、私は新たな伴侶と暮らし始めていた。彼は共働き家庭で育ったせいか「二人とも働いているんだから」と、あたりまえのように掃除や洗い物を率先してこなす。週末は二人で一緒にスーパーマーケットに行き、旬の野菜や魚を見ては「春だねえ」と季節の移ろいを共に感じ、「今晩はあれが食べたいなあ」とか他愛のない会話をする。年に数回は夫婦で旅行に出かけ、美味しいものを食べたり、行きたかった場所を訪ね歩く。そんなごく普通の、平凡な夫婦の暮らしが私にはとても幸せに思えるのだ。

暴力夫と別れずにあのまま暮らしていたら、今の私は当然ない。心も体も病んで状況は悪化の一途だったと思う。「これは普通ではない」と認識させてくれた人がいたことが、私にとって大きな転換期だった。離婚とは生き直すチャンスである。一度は躓いても、結果的に幸せになればいいのだ。

Text=大浦春堂
編集者、コンテンツプランナー。出版社、マーケティング会社など数社を経て独立。BtoBやBtoCのコンテンツ企画・制作や書籍の執筆等、幅広くコンテンツ周りで活動中。全国を取材で旅して歩きながら、お参りした神社仏閣の情報を発信するWEBマガジン「ご朱印びと」を運営。主な著書に『御朱印と御朱印帳で旅する全国の神社・お寺』(マイナビ出版)などがある。

DRESS編集部

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