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親と私は別の人間。価値観だって違ってあたりまえ

DRESS連載『完璧になれない私の話』では、Twitterでフォロワー7万人以上を誇る恋愛コラムニスト、エマちゃんのちょっとだけかっこ悪かったり、言いにくかったりするお話しを綴っていきます。今回は、親、あるいはそれに近しい距離にいる人との関係性について。

親と私は別の人間。価値観だって違ってあたりまえ

私にとって「親」は、ありがたくも難しい存在。
良き理解者になってくれるときもあるけど、大きな障害になることもある。あまりにも近い距離で長く過ごしてきた存在だからなのかもしれない。

自分の表情の変化ひとつで、そのとき思っていたことを鋭く突っ込まれてびっくりすることがある。
ただ一方で、「こうしたほうがいい」というアドバイスがまるでトンチンカンで、私の目指していないことを平気で言ってきたりすることもある。

小さい頃からずっと一緒にいて、誰よりもそばで見てきたからこそ「誰よりもあなたのことを知っている」って思う親は少なくないのかもしれない。でもね、どんなに近い存在でも、あなたと私は別の人間なんだ…と言ってしまうのは悲しいことなのかしらね。

■母にとっての正解は、私にとっても正解なのか?

私と母親は、それはそれは濃い時間を過ごしてきたと思う。
専業主婦で、子どもラブ! な母は、なるべく私たちと同じ時間を過ごそうと努めていた。学校から家に帰れば必ず母親がいたし、子どもを子ども扱いせずに、レストランや観劇、美術館、都心でのショッピング、社交の場など、いろいろなところに連れて行った。

たくさんの経験をさせてくれて、たくさんの話をして、たくさんの考え方を共有したと思う。

彼女は子どもの私にも、大人がするような話をたくさんしてくれた。身体だけでなく心にも病気があることや世界に存在している差別について、美容やインテリアのこだわり、健康と性教育の話も。大人の社会のからくりも教えてくれた。

勉強が好きで、いつも言語や資格の勉強をしていた記憶がある。母はとても賢くて情熱的な人だと思う。だから私は母からの影響をものすごく受けているし、母のエッセンスがたくさん詰まっている。母の存在なくして今の私は語れない。

私とはそれはそれはべったりだったから、もしかしたら”自分のような存在”として考えていたのかもしれない。

けれど、だからこそ同時に生き苦しいこともあった。彼女は正義感と信念が強すぎるあまりに自分の価値観を信じて疑わない人。いつも「私にとっての正解は、あなたにとっても正解なのよ」と言わんばかりだった。母である自分が体験した正解だったことは、そのまま娘に余すことなく教えてあげたいし、その通りにやるべきだと考えていたのだと思う。

私も子どものときは「母の正解が私にとっての正解だ」と信じていた。

■「全然結婚するつもりないけど、マジで幸せだな」でもいい

でも、思春期の頃から「母(親)の言うことだけが正解ではないかも……」と疑い出したんだよね。それまでは「親が自分のために言ってくれていることに不正解(自分には合わないこと)がある」なんて思いもしなかった。

たとえば「いい学校を出て、いい会社に入って、いい人と”結婚”することが幸せの条件」
と親に言われ続けていれば、そうなんだろうと思い込んでしまう。悪いことはなさそうで、まあ正しいのかなって思っちゃう。

子どもは子どもなりにいろんな世界を見てきている。どれだけ親の価値観を伝えられたとしたって、自分の人生を歩み始めたら「あれ、私って全然いい学校に進みたいと思ってない。それより絵を描きたいんだけどな」とか「バイトだけど、趣味の時間が取れるから楽しい」「全然結婚したいと思わないし、するつもりもないけど、マジで幸せだな」と思う可能性なんて十分にあるワケで。そこで「親の正解が必ずしも私の正解とは限らないな」と実感したりするのよね。

私もそのひとりだった。母の美学や哲学には素晴らしい側面がたしかにあって、それが正解だと感じる人もいると思う。でも私には彼女とはまた別の美学と哲学があって、それを「親に言われたから」って理由で譲ることはできなかった。だから私の場合は、親と戦ってでも自分の道を貫くことを選んだんだよね。

だって自分の人生だから。自分と最初から最後まで付き合うのは親じゃなくて、自分自身。だからこそ私は「母親が私に大切にしてほしかったもの」よりも「自分が大切にしたいもの」を大切にできる道を選ぶことを決めた。

自分で選んだ道は失敗したって、成功したってどっちでもいい。私にとっては”自分で決める”ってことが、何より大事だったから。そのトライアンドエラーの積み重ねが経験となって、成功のもとになって、自己を信じる力「自信」になっていったのを実感してる。

■柔らかく、自由を得るために

時代が移ろえば、正しいと思うことも変わったり、今まで浸透してこなかった価値観が光を浴びることもある。「普通は」とか「当たり前」とかって、普遍的なようで思っているよりも変わりやすいもの。

夫婦共働きをしながらふたりで子育て中の友達は、おばあちゃんに「昔は完全母乳だったし、忙しくても離乳食は手作りしていたのよ? お母さんが育児をすべて担っていたんだから!」と嫌味のようなことを言われたときに「へえ! 昔は大変だったんだね!」と言って終わらせたそう。もうほんと、言い返すことそれでいいよね。

その人個人の生き方の正しさについて議論を始めたら終わりだと私は思う。だって正解は人それぞれなんだもん。「私の正しさについて理解してほしい」と思うと辛いのはそのせい。誰にも100%の理解はできない。たまに共感してもらえるくらい。

いちばんの理解者になってほしい人が、そうじゃなかったときの悲しみはよくわかる。

でもその悲しみを知っているからこそ、誰かの理解者になってあげようと思えるのかもしれない。そうして人の価値観を許してあげられることで、自分自身もどんどん柔らかく、自由を得ることができるのだと思います。そんな自分を、今日は「大正解だよ」と褒めてあげようじゃないの。

Illust/kame(@kameillust

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#1 恋を失ったとしても、その先に自分だけの正解がある

#2 VIO脱毛体験記。あまりの激痛にめげそう

#3 くせ毛との戦いには、美学がつまってる

#4 親と私は別の人間。価値観だって違ってあたりまえ

エマちゃん

小悪魔と呼ばれていた恋愛戦士も今や人妻。芸能芸術のお仕事をしています。

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