12月、“結果”が出るそのときに思うこと
駆け抜けた1年を振り返る季節。そして、闘いの“結果”を突きつけられる季節。勝てなかった悔しさも、その悔しさを「温泉でも行こう」と癒しあう尊さも、大人になった私はちゃんと知っている。エッセイスト 中前結花さんがJ-POPになぞらえて書く連載エッセイ。(WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜)
引き出しの奥へと手を伸ばす。 ついこの前、奥へとしまったばかりの黒いタイツを引っ張り出して、もう足を通す季節になった。 「ああ、また出すのか」 呆れるような気持ちで、日の経つ速さを思う。 もっとも、わたしが季節に応じて収納場所を変えているのは靴下ぐらいのもので、半袖も長袖も並べたまま、どうせまたすぐに必要になるだろうと「明確な衣替え」は数年前からやめてしまった。 だからわたしに「冬のはじまり」を感じさせてくれるのは、いつだって80デニールの厚い黒タイツなのだ。 マンションの扉を押し開けて出ると、外はすでに一丁前に冷え込んでいる。 「うっ」と肩をすくめながら歩いて、冷たい風を正面からしかめっ面で受ける。 朝だって、布団から出るのがずいぶん億劫になった。そのせいで駅までの道を、こうしてヒールの足で小走りせねばならない。 ところがおかしな話だけれど、実際のところ、わたしはちっともこの季節が嫌じゃない。 なにしろ冬が、とりわけこの訪れたばかりの「12月」がなによりも大好きなのだ。 心はすでに踊りはじめている。 理由はいくつかあるけれど、そのひとつはきっと「会いたい人たちに会える」、そういう月だからだろうと思う。 10月も過ぎれば、友人や仲間との別れ際に、「次に会うのは……来年かな? もう年内は会えないのかな」だなんてぽつりこぼして、わたしは仕掛ける。 そうすれば相手は必ず「……忘年会でもするか」と言い出すことを、積み重ねの経験で知っているからだ。 こうして秋口から順調に小さな種をいくつも植え、それはちゃんと毎年12月に実りを迎える。「忘年会」は、わたしにとって成果なのだ。 しゃぶしゃぶや大盛りの餃子をつつきながら、駆け抜けた1年の速さ、そして今年の12カ月間についてちょっとだけ振り返って「こういう1年だったなあ」とお互いに話す。 別に「今年は、なあんにもない1年だったよ」というのだって構わない。 一生懸命、ひと月を12回も生き抜いただけで、それはとてもご苦労なことだったと思う。 毎晩眠り、毎朝起きた。そして今年もこの場所にいる、それがなにより大切だ。 心の底で労いを込めながら、そんなことは特に口にせず、みんなで大笑いする。わたしはそんな夜が特別に好きなのだ。 みんながみんな愛おしく見える。 結局、人は、12月に向かって生きているようなところがあるんじゃないだろうか。 その1年で流行した言葉に一等賞が与えられるのと同じように、誰かの活躍や貢献を賞賛する機会も増える。 街はどこも掻き入れ時で、年末はいわゆる「商戦」であるし、学生の時分は、可笑しいけれど、「誰とクリスマスを過ごすのか」がなんだか自身の1年を物語るようでもあった。 つまり、なにかと「選ばれることができたかどうか」の結果発表がとても多いのだ。 そして12月は、どこか「やり遂げること」のゴールでもあるようだ。 マンションの「管理人さん」をしている父は毎年、今時期になるとマンションの屋根を歩いて、チカチカ交互に光る電飾を取りつける。還暦を迎えた今年もひとり、見事に完遂できたのだと、わたし宛に動画が送られてきた。 住人の人に喜んでもらいつつ、そしてどうやら空の上から母が見えるように、とのことらしい。「今年も元気でやってこれたから、できたんや」と父はとても誇らしそうだ。 その年がどうだったか、どれだけ頑張ったか。無事に終えられたか。12月は、なんにせよそんな結果が現れる月だ。 こうして飲めるのだって、今年も元気で、つまらぬ揉め事などせずに、それぞれがそれぞれの1年を頑張ってこれたおかげだ。 たまにはこうして肩を並べて飲んで、めずらしくみんなで立ち止まってみたい。 小室哲哉が1995年、浜田雅功のために書き下ろした「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜」を年末にはよく思い出す。
たまにはこうして肩を並べて飲んで ほんの少しだけ立ち止まってみたいよ 純情を絵に描いた様な さんざんむなしい夜も笑って話せる今夜はいいね… WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜/H Jungle with t
ああ、あれだって紅白に出たんだっけ、と振り返る。200万枚以上を売り上げたヒット作だもの。それは当然の結果だろう。
あのころ、「紅白歌合戦」はきっと、今以上に特別で大きな「12月の結果発表」だったろうと思う。出る人にとっても見る人にとっても、それはそれは大きなご褒美だった。
「WOW WAR TONIGHT ー」は小室哲哉が手がけた作品の中でも3番目によく売れた曲で、他曲と比べると、やけに「リアル」なのがおもしろい。描かれているのは、美しい男女の恋愛ではなく、大人の男の哀愁と葛藤、そしてすこしの「悦」だ。
当時は幼くてこの歌詞の良さはわかっていなかったけれど、いま読み返すと、なんと胸の奥をぎゅっと握り掴んで、ギシギシと揺らす歌詞なのかと唸ってしまう。
温泉でも行こうなんて いつも話している 落ちついたら仲間で行こうなんて でも 全然 暇にならずに WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜/H Jungle with t
「落ち着いたら温泉でも行こう」と仲間と話しているこの主人公は、この先もきっと、温泉には行かない。
熱海や箱根くらい、すこし無理をすればいくらでも行けるはずであっても、彼らはの温泉旅行は決して実現しないのだろうな、とぼんやり思う。
大人にはどうやら、毎日の暮らしを乗り越える中で、お酒を片手に体を寄せ合って「温泉でも行けたらな」と言葉を掛け合う癒しがあるらしい。そしてお決まりの文句は、なんだか年々愛おしいものになる。
お決まりの話題、というのもまたいいものだ。 例年、自分たちの結果とは別に、もうひとつ、お決まりのように忘年会で話題に上る「結果」の話がある。 お皿の上の残り物をつつきながら、熱っぽく話すことと言えば、「しかし、和牛のネタは見事やったね」「ジャルジャルは惜しかったね」みたいなことだ。 気の合う仲間と、こういう話ができるのがわたしはとてもうれしい。 漫才の日本一を決める「M-1グランプリ」もまた、1年の結果の最たるもののように感じる。 夏から予選に自薦し、いくつもネタをこしらえて何度も闘いを繰り返す。すべては12月、決勝のあの輝かしい舞台に立つためだ。 「あの人たちの方がおもしろかったのに!」と鼻息を荒くしていた学生時代とは違って、近ごろは「あれは、あそこがよかったね」「点数が高すぎる気がしたね」なんて散々語っていても、結局その締めくくりは「でも、みんな頑張っててよかったなあ」になった。 自分と同世代の人たちが1年間をかけて懸命に取り組んできた。 そんな集大成を披露して、賞賛を受けたり、恥をかいたり、喜びや悔しさの涙を流したりしている。 「たかがショーだ」だなんてバカにする気には到底なれない。「ああ、いいものを見せてもらったなあ」「今年も終わるのだなあ」と惚れ惚れする年末の風物詩になっていた。 わたしはよく、寒空の下で行われていた2016年の「敗者復活戦」を思い出すことがある。 1位のみが本戦に復活できる、という闘いの結果が下位から順に発表される中、「メイプル超合金」のカズレーザーは、自らのコンビの敗退を知ったとき、一瞬「ああ」と崩れたあとも、再び両手を合わせて「お祈り」のポーズを辞めなかった。 不思議な想いで見ていると、見事1位に輝き本戦復活を果たす「和牛」の名前が呼ばれたとき、「やったー」と彼らの肩を掴み一緒に喜んだのだ。自分の負けを知った直後から、ライバルの勝ちを応援できる。 「勝つ気がなかった」とか「パフォーマンスだ」だとか、そんなことではないのが一目でわかる。そのとき、それぞれが、それぞれにしかわからない境地で闘い、挑んでいるのだということを改めて思い知った。 その姿が、「闘い切った人」として、わたしの目にスッと焼きついて離れなかった。 関西に生まれたおかげで小さい頃から「お笑い」そのものに慣れ親しんではいたけれど、 「漫才」というものに明確に心を奪われたのは小学5年生のときだ。 引き合わせたのは、今では電飾おじさんの父であった。 週末の昼ごろ、テレビを見ていた父の手招きで居間に誘われた。 そして「おい、ちっちゃい方が兄貴でな。ちょっとおもろいぞ」と言いながら、父は左手でリモコンを握り、雑にテレビの音量を大きくしていく。 当時結成5、6年目の「中川家」だ。M-1グランプリがはじまる数年前のこと。にやにやと笑いながら引き込まれ、終わりには手を叩いて大笑いした。 「この人ら、新喜劇の前(寄席)に出とるん?」 「お母さんに調べてもらい。連れてったろ」 それから、わたしは父と母に連れられて、「なんばグランド花月」に行く回数が増えた。 帰り道、「どこが、おもしろかった?」と聞くと、父は「そんなもんは覚えたったら、かわいそやろが。いっぱい笑ろて、忘れたれ。ほんなら、また同じネタしてても笑えるやろ」と言った。 今思えば、それはとても礼儀正しく、立派な流儀だ。 だけどわたしは「そんなものなのかもしれないなあ」と思いながらも、家に帰ればこっそりとおもしろかった箇所をメモ帳に書き留めている無礼者であった。 中学生に上がり、わたしはひとり小さな劇場にも通うようになる。 深夜番組を繰り返し見て、毎日のようにラジオ番組にメールも送った。立派な「お笑いオタク」だ。 クラスでは男の子のギャグに「キャキャキャ」と声を上げながら、心では「あの芸人さんも、最初はこんなものだったのかしら」と、なんだか失礼なことをあれやこれやと考えているやっぱり無礼な生徒であり、真夜中までテレビやラジオをたのしんでいるせいか体育の授業ですぐに体調を崩す、というタチの悪さも持ち合わせていた。 その度に保健室に連れて行かれ、「しばらく寝ていなさい」と床よりも硬く感じるパリパリのベッドで、毎度しばらく横になる。 当時、保健室で眠っていると必ず聞こえる声があった。 中高一貫校だったために、高校生の先輩が数人訪れていて、ぺちゃくちゃとお喋りをしている。 話していたのは、主にふたりの男性の先輩だった。保健室の教員を交えて話していたり、ごくたまに数人が集まっていることもあったけれど、そのふたりはとにかくたのしそうだった。 ケタケタとよく笑い、「お前」「お前」と呼び合うのが、なんだかとてもうれしそうなのだ。 カーテン越しに集中してよく聞いていても、側(はた)からは何の話だかさっぱりわからない。だけれどその先輩たちは、とにかく互いに話していることが、一緒にいることがたのしくておかしくて堪らないという様子で、わたしは深夜ラジオを聴きながら眠る感覚で、「なんだかいいな」「うらやましいな」と思いながら、硬い硬いベッドの上で目を閉じていた。 その先輩の名は、後藤さんと福徳さんといった。 後にその人たちは、M-1グランプリで優勝の座を争う。 コントを得意としていた「ジャルジャル」というコンビは、9年ほど前、決勝の場で「おもしろくない」ではなく、「漫才ではない」と酷評されたりしていた。しかし最後の挑戦となった2018年は、審査員を唸らせ見事な3位にまで上り詰める。 亜流と呼ばれながら、毎年改良を重ね、前年に指摘された箇所は必ずカバーができている。闘い続けた数年間、誰よりも「自分たちらしさ」を大切にしているように見えて、しかしその闘い方はどこまでも「勝ちたい」「認められたい」ということにフォーカスしているようで、とてもとても真摯だと思った。 2年前の決勝の場では、自分たちの敗退が決まったとき、後藤さんは溢れ出そうになるものを引っ込めるように、とぼけて見せて会場の笑いを誘った。 しかし、その横顔を見つめながら、福徳さんは目に涙を溜めて、絞り出すように、 「お前、この状況でようボケれんな(よくボケることができるな)」 と言った。人の口から「本当」がこぼれ落ちるのをはじめて見た気がした。 欲しかった「結果」が、またその年も出なかったのだ。 そのとき、わたしは遠い日の保健室のベッドを思い出していた。 あの日のままではいけなかったんだろうか。 ただ互いにお喋りしていることがあんなに楽しそうだった人たちは、そのとき大勢の前で「他よりは良くない」と烙印を押され、悔しい涙を飲んでいた。 「お前」と呼びながら、顔を歪めて泣いていた。 いったい、1位になるとは、認められるとは、結果を残すとはなんなのだろう。 結成15年目を過ぎ、昨年「ジャルジャル」は結局M-1グランプリを優勝せぬまま卒業した。だけど、わたしの日記帳には溢れるほど彼らの「おもしかったところ」が書き込んである。保健室でカーテン越しに聞いていた、あのときからずっとだ。 その先輩たちはいつの日だって、わたしが「いいなあ」と羨む憧れであった。
長いか短いかわからない人生、なにかをはじめるのに「遅すぎる」ということなどないのだとよく教わる。 もちろん、それは本当にそうだろうと思うけれど、大人になるにつれ、「もう、この先に自分の勝ちはない」「ここでは勝てない」という大会が増えていくのも、また事実だ。 それがこれまでの自分の積み重ねの結果であるし、それが自分の行くべき「道」の先に徐々に焦点が合うということでもある。 だけど、「本当は行きたかった道」を横目で見ながら別の道を選ぶとき、やっぱりそれはたまらなく悔しい。当然じゃないか。 けれどそうやって選んだ次の道だって、結局、先頭を目指す限りはどうにも楽には過ごせない。華やかな道はいつも人混みだし、突然の逆風に見舞われることは本当に多い。 認められたくて、褒められたくて、居場所が欲しくて。みんなが1位になってしまえば、そこからまた闘いが始まってしまうのに、それでもやっぱりわたしたちは、どうしても「勝ち」を目指して進んでしまう。 2位を受賞したひとに「残念だったね」と声をかけてしまう。 大人になれば、「みんなで手を繋いでテープを切りましょう」というわけにはいかないことの方が圧倒的に多いと痛感するばかりなのだ。 本当は、わたしたちが出場権を握る大会は、いくつもいくつもちゃんと用意されているはずなのに、それを見つけるのがどうしてこんなに難しいんだろう。 結果が出るそのときに思うこと。 それは、やり切ったかどうか、やり切れなかったことは無かったか。 他と闘っているようで、己と闘っている。そして、己だけが可愛いようで、同じように闘う人を、内心ちゃんと尊んでいる。 ここまでたどり着くことの苦しみが、同じプレイヤーであれば痛いほどわかるからだ。 闘う人を愛おしく感じる、それがその1年も一生懸命頑張った証拠なんじゃないかなあと思う。 そのすぐそばで悔しい気持ちがメラメラと燃えていても、また次の年や、別の大会へ向かう「燃料になる」とうそぶけば、いくらかちゃんとサマになる。 そしてそれぞれの闘いを納めて、ほんのひととき「温泉でも行きたいなあ」と癒しあえれば救われる。 誰かは必ず見ていてくれる、それもたぶん本当なのだ。 それはたとえば、保健室のカーテン越しにそっと聞き耳を立てている、そんなささやかなものかもしれないけれど。
流れる景色を必ず毎晩みている 家に帰ったらひたすら眠るだけだから ほんのひとときでも自分がどれだけやったか 窓に映っている 素顔を誉めろWOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント〜/H Jungle with t
今年も12月になった。
そんな闘いの数年間を終えて、あの先輩たちは、今年のこの月をどんなふうに過ごすのだろうか、とふと思い、そしてすぐに、自分を反省する。
この1年もあの人たちは懸命に活躍していたから、きっと毎日は忙しいに違いないのだ。
年末に訪れる結果は、なにもあの煌びやかな決勝のステージだけではないんだから。
どうか、それぞれに良い結果の出る、実りのある12月でありますように。
そんなことを考えながら、黒いタイツの足で、わたしは駅の階段を駆け下りていた。今年の終わりも、わたしは愛しい人たちにたくさん会いたい。
Photo/ぽんず(yuriponzuu )
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ライター、エッセイスト。ものづくりに関わる、人や現場を取材するインタビュー記事と、これまでの人生や暮らしの「ちょっとしたこと」を振り返るエッセイを中心に執筆。兵庫県うまれ。https://twitter.com/@merum...