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恋は、たとえば引いた下線を見せ合うような

星野源の「恋」の歌詞。「夫婦を超え、二人を超え、一人を超える」って、いったいどういうことだろう。その意味を初めて理解し、誰かに伝えたくなったとき、懐かしいあの人から電話があった――。エッセイスト 中前結花さんがJ-POPになぞらえて書く連載エッセイ、第8回。

恋は、たとえば引いた下線を見せ合うような

わたしには、8歳のころから毎月購入している雑誌がふたつあった。
『月刊歌謡曲』と『マンスリーよしもと』。
この2冊さえ開けば、そのほかの暮らしのことはまるでどうでもよくなってしまうほどの溺愛だった。

J-POPとお笑い。
小さいころから、わたしを夢中にさせていたのはいつの日も変わらず、誰かが一生懸命つくったエンタテイメントだ。

暇さえあればこの2冊を読み込む生活は、8年ほど続いた。
廃刊してしまって、今はもう2冊ともない。

『月刊歌謡曲』の中身のほとんどは、ギタリストのための譜面であったけれど、わたしはギターに触れたことがない。
眺めていたのはJ-POPの歌詞で、わたしはそれをよくよく読み込んで、気に入ったフレーズや気になる言い回しに、下線を引き続けた。

Mr.Childrenの歌詞が、本当はいかに色っぽいかということ。
aikoの描く「あたし」という女性像には、抱きしめたくなるような身近さがあり、つんく ♂は、誰しもが通る、幼いのにどこか生っぽい10代の恋愛を爽やかに鮮やかに表現し続けた。
宇多田ヒカルが綴るのはいつも、見えているものではなく、見えるはずのない自分の胸の内側。

クラスメイトでそんなことを知っているのは、わたしだけだと思った。

マンガやドラマに出てくる誰それを「かっこいい!」と大きな声で話し、またクラスの誰それを「好きなの」とひそひそと話す。
わたしはその仲間に加わりながら、本当は、いつもミスチルの歌詞の話がしたかった。

「1番のサビと2番のサビでは、語尾が変わるのよ。だから、すこし時間が経過してるんだろうね」
なんてことを、ああでもない、こうでもないと話したかった。

同級生に、似た香りの人を見つけることはできなくて、誰とも分かち合うことができずに、ただ『月刊歌謡曲』にボールペンで線を引いて過ごした。

わたしはいつも、キラキラとうれしい気持ちとさみしい想いで、J-POPを聞いている子どもだったのだと思う。
そして「さみしい」が「うれしい」をちょうど越してしまったとき、わたしは『月刊歌謡曲』を買うのをやめてしまった。


だから大人になり、物書きの仕事をはじめてようやく、同じような種類の人たちと出会うことができたとき、わたしは大層救われた。
物を書く人には、歌詞や漫才の一言や映画の台詞を、丁寧に心のどこかに収めている人がとても多かったのだ。
「ああ、ここに居ましたか」というような感覚で、小学生や中学生の時分のわたしの肩を抱いて「大丈夫よ」と伝えてあげたくなる。

そして「人には、ふさわしい住所があるのかもしれない」というようなことを、ふわり思う。

いろんな街に出かけたい。
異なるいろんな人たちと交わるのもずいぶんたのしい。

だけど、水のあう、空気のあう、そういう場所がやっぱりあるのだと思った。
それを、相性と呼ぶのかもしれない。

社会人になってからのわたしは、音楽やお笑いと同じぐらい、テレビドラマも「なにげなく」ではなく、真剣に見るようになっていた。

台詞や各話のタイトルを、下線を引くように何度も味わう。
もし、自分以外の誰に生まれ変わりたい? と聞かれれば、わたしは間違いなく脚本家の野木亜紀子さんだと答えるだろう。

野木さんが手がけたドラマは何れも夢中になったけれど、社会現象にまでなった「逃げるは恥だが役にたつ(2016年/TBS)」はまた格別だった。
無職になった主人公(新垣結衣)が、恋愛経験のない男性(星野源)と契約関係を結び、「住み込みの家政婦」として夫婦の真似ごとをはじめる。
回を重ねるごとに深くなる双方の想いに、3カ月間目が離せなかった。

しかし、その第1話を見終わって、星野源の『恋』が流れたとき、はじめて聞くその曲の歌詞の意味が、わたしにはよくわからなかった。
もう手元に『月刊歌謡曲』はないから、急いで検索をする。
隅々まで読んだけれど、そのときのわたしにはやっぱりいまいちピンとこなかったのだ。

翌週の第2話。物語は進んで、実におもしろかった。
だけどエンディングで『恋』が流れたときも、やっぱりその歌詞の意味がよくわからずに終わり、だけど、3話を迎えてエンディングで『恋』のイントロが流れたとき。
わたしはその瞬間をとても鮮明に覚えている。

はあ、そうか、と。
暗闇で突然目が慣れたときに近かったか、
あるいは突然、自転車に乗れた日のあの感覚に近かったか。
なんだかそんなようなものを全部ひっくるめたような、
「ああ、そうか」
という感覚が急に降り落ちてきて、
「星野源が言いたかったのはこういうことだったのか」
と途端にぱっと理解できた気がした。

恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ
二人を超えてゆけ
一人を超えてゆけ

ーー 星野源『恋』



なぜ「恋」をするのに、「美しい指先」や「髪の香り」ではないのか。
なぜ、「一人」を超えて「二人」を超えて「夫婦」になる、のではなく、「夫婦」を超えて、「二人」を超えて、「一人」さえ超えるのか。

ドラマの内容と重なりすべてを思い知って、わたしはとてつもなく誰かに話したくなった。

『月刊歌謡曲』に線を引いていたころよりも、わたしはうんと大人になっていて、わかることも、わからなくなってしまったこともたくさんたくさん増えていた。

そんなことを経て、いま感じたものは、このときに分かち合っておかなくては、食えないものになってしまうこともよく知っていた。
だからこそ、わたしはそれを誰かと。できれば大切な誰かに、「今」話したくて仕方なかった。

恋人とは半年ほど前に別れてしまっていたから、どうしたものかと電話を手にとったとき、懐かしい名前の着信が残っていることに驚く。

彼はCくんといった。

Cくんとは、その数年前によくふたりで出かけていた間柄だったけれど、彼氏と彼女という関係ではなかった。
エキゾチックなハンサムで、声が低くてかっこいい。
当時、いろいろとうまくいかなかったわたしには、なんだかちょうどうれしい相手であった。

そんな彼からの2年以上ぶりの電話。
どんな要件だろうかと思ったけれど、わたしにはほんのすこし思い当たることがあった。

実は、彼と会っているときわたしにはいつも、一抹の不安が付きまとっていたのだ。
それは、彼が「この世のものではないのではないだろうか」ということだ。

オカルトじみた話は、話すのも聞くのも得意ではないけれど、これは、どうしようもない事実だ。


母を亡くしてすぐの頃、入れ違いのようにわたしの前に現れたCくんとの思い出は、実に奇妙なものばかりだった。

彼の下の名前は、ずいぶん昔に他界したわたしの祖父と同じで、彼の実家は、母が亡くなった病院のすぐそばにあり、彼の誕生日は、その母と同じ日であった。

食事中にふと音楽が流れてきて、わたしが
「あ、バナナマンのコントライブ『kurukuru bird』のエンディングで流れていたハナレグミの『うららかsun』だなあ……」
と心の中で思っていたら、彼はフォークを置いて
「あ、バナナマンの『kurukuru bird』のエンディングで流れてたハナレグミの『うららかsun』やな」
と言った。なのに、そのライブでいちばんおもしろいコントについて、彼は覚えていないらしく、話すことができない。

唐突に「好きなパンの種類を言って」と言うから、「どうして?」と尋ねると、「同時に言おう」とわけのわからないことを言う。
わからぬまま、「せーの」と言ったあと、ふたりは同時に「ベーコンエピ!」と言った。

そういうことが続くと、わたしはなぜか騙されたような気になって、ついつい眉をしかめてしまう。
するとCくんは「どうして怒るの」と、ワハハ! と大きな声で笑っていた。

ただの偶然と思うかもしれない。
だけどそれだけではない。「極め付け」があるのだ。
電車のガラス窓に貼り付けられたアイスクリームの広告を見て、
「変わった広告だね」
と言ったわたしに、彼は
「ん? ぼく、あんまり文字読まへんねん」
と言ったのだ。

間違いない。
彼は中央線に乗ってきているふりをして、地球外のどこかからわたしに会いに来ているのだろう。
あるいは、天国へ向かう母がかわいそうなわたしに見せている、綻びの多いとんちんかんな幻想だ。

好きな食べものも一緒なのに、それさえ次第にたまらなく窮屈になった。
「運命」という言葉は好きな方だけれど、ここまで露骨だと、恐ろしさが伴う。

彼を「愛さなければいけない」と無理強いされている気になって、逃げ出したくなってしまうのだ。
わたしは、近頃すこし地球の男に飽きてるレディではない。

そして、ある日わたしは、何度かふたりで行った洋食屋からの帰り道、
「別れた人が忘れられない」
と、家で考えてきた文句をそのまま口にした。
半分本当で半分は嘘だったけれど、それより何より逃げ出したかった。

そんな2年前の顛末を、なぞるようにぼんやりと思い出したあと、もう一度、携帯の画面に目を落とす。

そうだ、わたしは星野源の「恋」についてとにかく話したかった。
それを感知し、彼がまた降り立ったのかもしれない、と、こう思ったのだ。
彼のことになると、わたしの思考は途端に現実味を失う。

ちょっと興奮して折り返しの電話をする。

「もしもし?」
「あ、ユカチャン? オレやで」

まるでつい昨日も話したような気やすさで、Cくんは話した。

「なにか用だった?」
「いや、用はないけど。話したくてさ」
「『逃げ恥』のこと?」
「なに?」
「逃げ恥」
「なにそれ?」

なあんだ、ちがうのか。

「ガッキーのドラマ。星野源と」
「ごめん、よくわからへん。オレ、テレビとかないし。日本じゃないし」
「……」
「そんなことよりさ、」
「……ねえ、どこにいるの?」
「オレ? オレ、トンガ王国にいるねん」
「……はあ?」

心だけが空に舞い上がり遥か上までサーっと登りつめて、宇宙から地球を眺めているような気分になった。

「なに? どこ?」
「トンガ王国やで。ユカチャンと会われへんくなって、すぐに志願して。もう2年ぐらい」
「なにしてるの?」
「こっちで施設の建設やってるんよ。もうすぐ完成やねん」
「何語? 喋れるの?」
「言葉? オレそういうの平気やねん。文字とかもあんまり読まへんし」

気が遠くなりそうになりながら、彼の声は電話ごしに聞くと、高橋一生に似ているなと思った。
低く、色っぽい声で、わけのわからないことばかりを言う。

「それで。来年の1月に帰るんよ、日本に。1回でもいいから、会ってくれへんかな? やっぱりトンガでも考えてたよ、ってことを伝えようと思って」

8000キロ向こうから、彼ははじめて色っぽいことを言った。
星野源を高橋一生が倒してしまった瞬間だった。


かくして、日本に帰ってきた彼と会うことになった。
彼のリクエストで、ちょっといいお店でお蕎麦を食べることになる。
久々に会う彼は、すこし無精髭を残したまま窮屈そうにスーツを着ていて、ああ、かっこいいな、と素直に思った。

一通り、向こうでの暮らしについて聞いたあとは、黙ってふたりでお蕎麦をすすった。
日本酒を追加で頼むときは、わたしがメニューを読み上げてあげた。

帰り道、「なんで文字を読まへんの?」と聞くと、彼は「退屈やんか」と言った。
「本は読んだりしないの?」と聞くと、「それも退屈やねん」と言う。

「音楽は好き?」と聞くと、「好きやで」とやさしく笑った。
「でも歌詞も曲名も覚えへんから、歌われへんねんな」
と続ける。
駅の改札を先に通り抜けた彼の背中は、以前よりも大きくてとてもたくましかった。
その背中について行こうとするわたしの前で、改札の扉がバタリと閉じる。

わたしはやっぱり、ミスチルの歌詞の話がしたかった。


別れ際、駅のホームで「ハグしよう」と彼は言う。
「ここは日本やから」と笑って断ると、「だからこそ」と彼は体を引き寄せて、 あまり体には触れぬままさらりと身を戻して「じゃあ、気をつけて帰って」と言った。
後頭部の奥が、ゆらりとまろやかに痺れる。

反対向きの電車が彼を乗せて走り出す。消えていくその姿を目で追いながら、そうだ、彼といるといつだって胸はドキドキとして、だけど、なぜだかとてもさみしいんだったと思い出していた。
別々のパンを食べてたっていいから、同じものを「おもしろい」と思いたかった。

わたしはずいぶん大人になってしまって、かっこいいだとか、ロマンチック、だとか。
そんなことだけではうまく溺れられなくなっていた。
浅瀬でぴちゃりぴちゃりと押し寄せる波は、ハラハラとすこしだけ気持ちいいけれど、わたしが欲しいのはそういうものじゃない。


なぜ、「美しい指先」や「髪の香り」じゃないのか。
なぜ、星野源は「指の混ざり」と「頬の香り」というのか。
それは、見た目じゃない、すぐに感じ取れる上辺じゃない、すこし踏み込んでみたあとの「相性」や「心地よさ」に恋をしたのだ。

なぜ、「夫婦」を超えて、「ふたり」を超えたあと、「ひとり」さえ超えるのか。

多くの人にとって、もっとも相性がいい相手、それは「自分」だ。
人生でいちばん長く付き合ってきた「自分」。
ひとりは、勝手で気ままで不満がない。
難しいことを頭で考えるのだって、妄想も心配も誰かに恋をするのも、眠るのも夢を見るのも、結局「ひとり」ですることだ。
そんな「ひとり」や、自分という領域さえ脅かしても、あなたとなら超えられるのだ、という愛の歌なんだとわたしは胸で理解していた。

別々の人間であるのに、ひとりよりも、心地よく一緒にいられる「相性」と「信頼」に恋をする。
しっくり、しみじみと「合う」を感じられる「住み心地」に恋をする。
それがいい、とわたしは心に決めはじめていた。
お互いに引いた下線を見せ合うような恋がいい。

「元気でよかった。楽しかった。もう会えないけど、ありがとう」
とメッセージを送ると、
「やっぱりそうか。でも今日はありがとう。遠くから応援してる、がんばってな」
と、やさしい返事が届く。

電車に揺られ、ちょっとさみしい気持ちと、「これでいい」と晴れるような気持ちを抱えながら、彼が言ったそれはどのくらい「遠くから」だろうか、とわたしはひとり考えていた。
海の向こう、陽の照る暑い南の国か、あるいはもっと……、もしかしたら。


Photo/ぽんず(@yuriponzuu

『いつもJ-POPを聴いていた』のバックナンバー


#1排水口とラブレター」(スピッツ/チェリー)

#222時の「なんでもないよ」」(宇多田ヒカル/Flavor Of Life)

#39年前から心に住む、不動産屋のあのひと」(槇原敬之/遠く遠く)

#4決戦は4月30日。一番好きなあの子に会いに行く(DREAMS COME TRUE/決戦は金曜日)

#5大人はスーパーマンじゃないけれど」(SMAP/たいせつ)

#6ロマンチックとレコーダー」(aiko/アンドロメダ)

#7泳ぐように、溺れるように、書いている」(サカナクション/新宝島)

#8恋は、たとえば引いた下線を見せ合うような」(星野源/恋)

中前結花

ライター、エッセイスト。ものづくりに関わる、人や現場を取材するインタビュー記事と、これまでの人生や暮らしの「ちょっとしたこと」を振り返るエッセイを中心に執筆。兵庫県うまれ。https://twitter.com/@merum...

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