誰かを幸せにしたいなら自己犠牲はNG! 自己分析で自分の心から幸せに 2/3
自分の心をボロボロにしながらがんばり続けるしかなかった私が、そんなとき運よく出会えたもの。それが「自己分析」――つまり、自分の心と向き合うための作業でした。「自己分析」と聞くと、一般的には進路を決めるタイミングや、就職・転職活動でしか使わないと思われる方が多いかもしれません。しかし、本来の自己分析は、もっと身近にあるべきものなんです。
自分という人間が、どんな気持ちを抱えていて、本当は何を望んでいて、どんなことがやりたくて、何が好きで、どういうことをするのが得意なのか。反対に、心が拒否していることは何なのか。自分の心の幸福へと直結するこれらのことは、すべて自己分析を通じて、自分自身の心の中から答えを見つけ出すことができます。
人の中に「理想の答え」や「自分の幸せ」を見出そうとするのではなく、もう一度自分の心にきちんと目を向けて、ゼロから考えてみよう……。自己分析は、私が最初にそう思えるようになった、大切なきっかけでした。
そこから、私は本気で「自分の心の声」に耳をすませるようになりました。
ひとたびそれを始めてみると、自分がこれまで、いかに自らの心を殺してきたかを痛感するばかり。知らず知らずのうちに本心から目を背けてしまっていた私も、このままでは人を幸せにするどころか、自分のことすら幸せにできないと悟りました。
自分がしばらくの間、ずっと間違えた方向に突っ走っていたことを知って、当然ショックも大きかったです。しかし、それをはるかに上回ったのが「好奇心」でした。
自分の中の、これまで気づいていなかった自分を見つけていくこと。それは怖さの反面、自分の心の中を冒険していくような感覚があって、私にとっては無性に面白くもあったんです。
もちろん反省もしましたが、その失敗のおかげでこうやってきちんと「心」に目を向ける機会に恵まれたことが、純粋に嬉しかったです。もともとは根っこの部分から楽天家で、ポジティブな人間だった私の本質が、やっと本領を発揮できるようになってきたのでしょうね。とにもかくにも、「人を幸せにしたい」と言ったって、まずは自分の心を自分の力で幸せにできないと、何も始められない……。私はやっと、その答えにたどり着くことができたのです。
■「自分の心のため」にがんばることから始めよう
皆さんにお伝えしておきたいのは、私は「人のためにがんばること」そのものを否定しているわけではない、ということ。「何か」のため、もしくは「誰か」のために、我を忘れてがむしゃらにがんばる瞬間は、人生の中でたびたび必要になることです。そうまでして成し遂げたことには大きな価値がありますし、誰かに否定されるいわれもありません。
そして何よりも、あなた自身がそれらを「自分を犠牲にした」とは捉えないでいただきたいのです。費やした時間や労力などと引き換えに、もしそれが成功したなら「偉大な結果」が残るでしょうし、仮に失敗したとしても「かけがえのない経験」や「改善のためのヒント」を得られたのだと捉えることができます。そうやってがんばった先には、必ず何らかの「成果」が残っているはずですから。
でも、そのがんばり方や努力の方向性について、自身がわずかでも「自分を犠牲にしている=自己犠牲」のかたちだと感じるなら……。そのまま走り続けるのではなく、一度、立ち止まってみてください。それが美しくて立派で、もっとも相応しい方法なのかと問われたら、私は「いいえ」と答えます。
「犠牲」という言葉は、なにか大きなものを「失っているだけ」の状態を指しています。
もしも、あらゆる努力に対して自分が「犠牲を払っている」と捉えてしまえば、それはたちまち、ただの一方的な「苦しみ」になってしまうでしょう。
うまくいかなかったら「あれだけ犠牲を払ったのになぜ」と絶望し、うまくいったとしても「これだけ犠牲を払ってきたんだから当然だ」と手放しで喜ぶことすらできません。場合によっては、相手への善意の押し付けにもなりかねないのが、「犠牲」という意識の怖いところなのです。
自分の心をないがしろにして、自身が幸せでない状態でがんばり続けることには、いつか必ず限界が訪れるもの。だからこそ、誰もがまずは第一に、自分の心の中に幸せを育てていかなくてはなりません。
まずは「人のため」でなく、「自分の心のため」にがんばってみよう。そうすればいつか、自分の心の中で育てた幸せを、誰かに分けてあげられる日が来るかもしれない……。
こうして私は、勝手に「自己犠牲」をするのではなく、自分の心を大切にするということを心掛けるようになりました。