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「対話」こそが、分断された世界をつなげる「希望」になる - 雨宮処凛×斉藤章佳 対談

日本に古くから受け継がれてきた男尊女卑的な価値観、どうすれば断ち切ることができるのか。

「対話」こそが、分断された世界をつなげる「希望」になる - 雨宮処凛×斉藤章佳 対談

リストカット、オーバードーズ、貧困問題……さまざまな「生きづらさ」を取材、支援し続けてきた、作家、活動家の雨宮処凛(あまみや・かりん)さん。

今年の4月に出版された新刊『「女子」という呪い』(集英社クリエイティブ刊)では、初めて「ジェンダー問題」を真正面から扱い、この国で女性が生きることの困難さを浮き彫りにしています。


一方で、話題の著書『男が痴漢になる理由』(イーストプレス刊)で、男性の支配欲が引き起こす「痴漢」という病理について述べ、世間に衝撃を与えた神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳(さいとう・あきよし)さん。

左:雨宮処凛さん/右:斉藤章佳さん

おふたりに「日本社会に蔓延する“男尊女卑”」についてお話いただいた前編に続き、ここでは、その“男尊女卑”な世の中を、どうすれば変えていくことができるのか……その方法を探っていただきました。

前半の記事「”恐怖”という亡霊が生み出す過剰な攻撃性」はこちら

■子どもたちには、誰かに助けを求められるような人間になってほしい

――前半では「男尊女卑的な価値観は親から受け継がれる」という話でしたが、この “男尊女卑の価値観“を、わたしたちはどうしたら下の世代に受け継がせないか済むのでしょうか。(編集部)

斉藤章佳さん(以下、斉藤):痴漢問題は、やはり家族問題とつながっています。痴漢を繰り返す人は、被害者を人だと思ってないんですね。モノや記号だと思っている。「ちょっとくらい触っても、減るもんじゃない」ってよく聞く言葉じゃないですか。でも、その「減る」って完全にモノに対する表現ですよね。

この「人をモノとする価値観」こそが、両親からインストールされた男尊女卑的価値観の典型例なんですね。父親が母親にどのように接していたかってすごく重要だと思います。だから、自分が親になったときに気をつけて「男性と女性は平等なんだ」っていうことを、どう示していくかが“男尊女卑的価値観”を断ち切る方法だと思います。

具体的にいうと、夫婦で育児に関して一緒にやっていくとか、お互いの呼び方を平等なものにするとか、挙げると意外とたくさんあります。

――日本語ってそもそも、パートナーシップの関係を表すのにあまりいい言葉がないですよね。嫁、主人、奥さん、旦那さん……ってどれも立場というか身分を占めるもので。(編集部)

斉藤:名前で呼ぶのがいいんじゃないですかね。

――子の父母として接している、学校の先生を相手に、自分の夫をなんて呼べばいいかっていうと。名前で呼ぶわけにもいかず……。(編集部)

雨宮処凛さん(以下、雨宮):それは難しいですね。

斉藤:うちには息子がふたりいるのですが、確実に妻とわたしの日々の関係ややり取りを見ていると思うんです。言語化できなくても、毎日のように、どういうパートナーシップを築いてるのかについて自然と内面化してると思います。だから一番重要なのはそこなのかなって思いますね。つまり日常ですね。

雨宮:ご家庭の中で、なにか気を付けていることってありますか?

斉藤:自分が長男なので「男の子は泣いちゃだめ」とか「弱みを見せちゃいけない」とかずっと言われてきたんです。学生時代もけっこう体育会系な社会の中で育ったので。そこで学んだことは、あまり役にたたなさそうなので言わないようにしてますね(笑)。

雨宮:反面教師っていうやつですね。

斉藤:一番大切なのは「ちゃんと助けを求められる」ことなんです。

助けを求めることって謙虚にならないとできないんですよね。わたしも含め、男性って助けを求めるのが下手なんですけど、それは謙虚じゃないからだと思います。だからこそ助けを求められる大人になって欲しいなと、そこは気をつけていますね。

雨宮:わたし(1975年生まれ)と同世代の男性って、性被害にあった若い女性に「自己責任だ」って主張するような、団塊世代をコピーした「昭和のオジサン」と、ほんの数パーセントの「イクメン」とかがいる世代だと思います。

なので、自分と同世代の人たちでも、よっぽど自覚的にならないと、子どもに「男女は平等だ」っていう教育はできないんじゃないかなって思います。

■時代は変わった。私が選ぶ洋服は、あなたへの許可証じゃない。

雨宮:わたしの母親は専業主婦で、父親は家のことは何もしない……そんな家庭で育ちました。それこそ、ご飯のときに父親が「おかわり」って母親に茶碗を差し出すような。

雨宮:母親は「男性に可愛がられる女でいろ」って言うけど、それにプラス「自立しろ」ってダブルスタンダードも要求もしてきて。だから、「おしとやかでいなくていけない」って刷り込みは、自分の中にも強固にあるんです。

「男の部屋に行ったら、なにされても仕方ない」って言われたときにうっかり、「そうだよね」って思ってしまいそうな自分もどこかにいるんですね。自分の中に小さいオッサンがいる。そこをどう乗り越えていくかっていう。

――わたしも77年生まれで、雨宮さんとほぼ同世代ですが、やっぱり母親からは「男性を立てなくてはいけない」って意識を受け継がれている自覚があります。かつて、昭和はそういう時代でしたよね。でも、もう変わった。けど、その変わったことを知らない人、納得できてない人が、まだたくさんいて。(編集部)

斉藤:自分の娘がスカート履いていると「あなた、痴漢に遭うわよ」とかね。親としては気を付けて欲しくて言うんですよね。決して、悪気があって言っているわけじゃなくて、自分が母親から教わったことを言っている。

でも、これって一歩間違えれば、性被害に遭った人からするとセカンドレイプにもなる。「性被害に遭ったのは、自分が着ている服が問題だったんだ……」と被害を受けているのに自分を責めてしまうことが考えられますね。

雨宮:その「女性の服装に責任を求める」って、突き詰めると「女性は好きな恰好をする自由がない」ってことで、それ、ものすごくとんでもない問題だと思うんです。けど、それを女性が言ったりしますよね。

斉藤:性犯罪の被害者に、「被害当時、どんな服装をしていたか」というアンケートをとったことがあるのですが、被害を受けたとき派手な服装をしていた人はほとんどいませんでした。逆に、加害者に「どんな人を狙ってたんですか」と聞くと、共通して「警察に届けなさそうな、おとなしそうな人」と答えました。

これがひとつ事実としてあるものの、あまり知られてないんですよね。実際に性犯罪に遭いやすい人って、服装や外見じゃない。それが情報として知られていなくて、誤った知識が、ずっと垂れ流しになっています。

雨宮:今年の4月28日に、新宿のアルタ前で「#私は黙らない 0428」という街宣があったんです。

雨宮:そこで、レイプ被害に遭ったという女性が、涙ながらに被害を訴えていたんですけど、被害を受けた直後に「あんたがそんな恰好をしているから、そんな目に遭うんだ」と言われたそうなんです。

彼女はそれがショックだったという話をしたあとに、「わたしが選ぶ洋服は、あなたへの許可証でもなければ、招待状でもない」と言っていて、その通りだなって思いました。

ミニスカートを履いていたとしても、「どうぞいらっしゃいませ」なんて女性側は一回も言ってない。
もしもそう言っているように感じるのであれば、それは「認知の歪み」を持っているのだと思います。

■フェミニズムは、男性を否定するものではない。一緒に声を挙げていきませんか?

雨宮:すべての人がそうだとは言いませんが、男性は無意識にランキングみたいなものをつけていて、下に見ている人には、意識すらせずにセクハラやパワハラをやっていると思うんです。

斉藤:そうですね。

雨宮:こないだ焼肉屋に行ったときの話なんですけど……。

おじいちゃんと大学生くらいの年齢の孫らしき男の子が、ふたりでご飯を食べていたんですね。おじいちゃんが孫に「彼女がいるのか」とか尋ねたりして、微笑ましい雰囲気で話をしていて。店員さんを呼んで「写真を撮ってくれ」ってシャッターを押してもらったり。

それでふたりで撮った後、おじいさんがその若い女性の店員さんに「じゃあ、あなたとも……」って頼んで、その瞬間に野獣に変貌したんです。カメラをかまえている孫の前で「いいか、女はこうやって口説くんだぞ!」って、女性店員をいきなり抱き寄せて。

「うわー! 昭和30年代きた!」みたいな。店内凍り付いてましたけど、それって相手の女性が、店員だからやるんですよね。

――“女卑”していい相手かどうかを、無意識に判断してるんですね。(編集部)

雨宮:でも、そういう人がなぜ生み出されたのかっていうと、社会構造に原因がある。ほんの数年前まで、オシャレな雑誌とかに「イケてる女性は、笑顔でセクハラをかわす」みたいなことが、平気で書かれていたじゃないですか。でも、時代は変わっていく。

それを信じて、頑張ってきた人たちが、急に「えっ、なに?」って思っても仕方ない。#Me Tooに戸惑っているのは男性だけじゃないと思います。

――女性たちの中にも、これまでの価値観を揺さぶられて、戸惑っている人がいるっていうことですね。誰もが、新しい価値観をすぐに受け入れられるわけではない。(編集部)

雨宮:その中で、どうやって生きていけばいいだろうって考えなきゃいけないんです。フェミニズムって男性を否定してるわけじゃない。女性が生きやすい社会になるってことは、男性も生きやすい社会になるってことだと思うんです。

女性はセクハラやパワハラで苦しんでいる。男性も苦しんでいることがある。

例えば上司に延々と酒に付き合わされて帰らせてもらえないとか、キャバクラや風俗に無理やり連れていかれるとか。そこで楽しめないと、「男らしくない」って言われて。

女性が、女らしさの呪いで苦しんでいる一方で、男性も男らしさの呪いに苦しんでる。けど、そういうふうに、女性と男性の両方を苦しめてるのは、実は、同じようなオッサン。なので、一緒に声を挙げていきたいですよね。

■「対話」こそが、分断された世界をつなぐ「希望」になる

――男性にも女性にも加害をしている……けれど、加害していることに無意識な人の“男尊女卑”の意識を変えることはできるんでしょうか。(編集部)

斉藤:なにより大切なのは「対話」だと思います。

雨宮:対話……ですか?

斉藤:わたしは今、被害者支援と加害者臨床の対話による理解というテーマに取り組んでいます。

これは「修復的司法」というものの一形態なんです。性犯罪の場合、当たり前ですが加害者と被害者って確実に分断されますよね。けれども、時間が経つにつれ分断されればされるほど、双方の回復を阻害する社会的要因にもなるということに気づきました。

斉藤:こうした分断構造は社会によって作られています。被害と加害というものを、自分の問題として見ずに、他人事として見るためです。自分の当事者性をそこに重ねずに、分断してそれぞれ自分とは違うというラベリングをしているんです。そうすると人は一時の間は安心できます。

けれども、分断がある限り、加害と被害の理解は進んでいかない。かといって、当事者同士の対話はあり得ないので、なかなか難しい。なので、そこに携わっている専門家同士が、対話していこうっていう試みが今取り組んでいる大きなテーマです。

雨宮:これまでは、なぜそれができなかったのでしょうか。

斉藤:被害者支援をやっている人たちが、加害者臨床に携わっている人と話すということに、被害者が不安や恐怖を感じてしまうからです。だから、必要性はわかるけども、対話の実現はちょっと難しかった。

けれども、加害者臨床に携わっている側からすると、被害者支援の視点を取り入れるっていうのはとても大切なことなんです。それで、ずっとアプローチしてきて、今回ようやく定期的な対話によるイベントが実現できるようになりました。

雨宮:なるほど。

斉藤:対話って、希望だと思うんですよ。

「#MeTooがなぜ広がらないのか」って、いろんなメディアから聞かれましたが、被害を告発するのって女性が多いですよね。それを受け取るのは、男性や権限を持っている人ですよね。結局、受け取る側がまともに受け取ってないって証拠だと思うんです。まともに受け取るっていうのは対話するということ。

つまり、日本でなぜ広がらないかっていうと、受け取る側の対話力の脆弱さのあらわれだと思うんです。男性側や権限を持つ側が、しんどいけどもここにしっかりと向き合っていかないといけないと思っています。

雨宮:#MeTooの始まりは、女性の告発だったから、女性のものだっていうイメージが強いと思うんですけど、男性もどんどん言ってほしいですよね。

男性だって#MeTooって言っていい。

日本で広まっていないのは「男たるもの、弱音を吐いてはいけない」みたいな風潮による口封じがひとつ原因としてあると思います。これを、男性も一緒に言えるような世界にしていく。

もしかして男性は、そもそも自覚すら、してないかもしれないですよね。酷い目にあっても、自分が男らしくないのがダメなんだって、自分を責めてしまったりして。
そうじゃなくて、女性が言うことに耳を傾けると、「自分も同じだ!」って思い当たるようなこともあると思うんです。

そうして「男性も声をあげていくことで、女性も男性も、どっちもが生きやすい社会ができるよね」っていうこと……この#MeToo運動の目標はそこなんだろうなって思います。だから、どんどん巻き込んでいきたい。あなたたちへの復讐じゃないし、貶めようとしているわけでもないってことを、男性にもわかってほしいですね。

――女性と男性は敵同士ではないし、分断されてはいけない。難しくても、対話を重ねて、同じ目的を見つけることで、互いが生きやすい世の中にしていくということですね。本日は貴重なお話を、どうもありがとうございました。(編集部)

取材・Text/大泉りか
編集・Photo/小林航平

雨宮処凛プロフィール

1975年、北海道生まれ。 作家・活動家。 愛国パンクバンドボーカルなどを経て、2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。 以来、いじめやリストカットなど自身も経験した「生きづらさ」についての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。 2006年からは格差・貧困問題に取り組み、取材、執筆、運動中。メディアなどでも積極的に発言。3・11以降は脱原発運動にも取り組む。 2007年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)はJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『「女子」という呪い』(集英社クリエイティブ)、『非正規・単身・アラフォー女性』(光文社新書)。

斉藤章佳プロフィール

精神保健福祉士・社会福祉士/大森榎本クリニック精神保健福祉部長。 1979年生まれ。大学卒業後、アジア最大規模といわれる依存症治療施設である榎本クリニックにソーシャルワーカーとして、アルコール依存症を中心にギャンブル・薬物・摂食障害・性犯罪・虐待・DV・クレプトマニアなどさまざまなアディクション問題に携わる。その後、2016年から現職。専門は加害者臨床で「性犯罪者の地域トリートメント」に関する実践・研究・啓発活動を行っている。著者に『性依存症の治療』『性依存症のリアル』(ともに金剛出版/共著)、『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)がある。その他、論文多数。

DRESS編集部

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