子育てはひとりじゃできない。だから、助けを求めてほしい
今年も、市区町村から認可保育園施設の選考結果が発表され、中には落選した人も出ています。子育てをひとりで抱えて、どうしようもなく不安なお母さんへ。すべて自分で背負いこまずに、誰かに甘えてください。
「人に頼ることが下手、苦手」な女性って、多いのではないか、と思っています。
実はわたし自身、まるきりそういうタイプの人間です。ずっと、男性誌の編集部という男社会の中で肩肘張って働いてきたせいか、それとも3歳年下の弟と対等に喧嘩をしながら育ってきたせいか、はたまた早く一人前になることを望まれる長女ゆえの気質か、どうにも人を頼るのが下手くそだと自負しています。
もちろん上記の状況に生きてきた人であっても、周囲に男性が多いゆえに甘えるのが上手だったり、身近に男兄弟がいるからこそ、おだてて上手く助けてもらう術を手にしていたり、両親に対して素直に「できない」と口にすることもできる長女もいると思います。
あくまでも前述した3点については、「わたしが人に頼ることが苦手な原因」を自己分析した結果であって、女だらけの会社で働き続けてきたり、女きょうだいの中で育ってきたり、次女・三女に生まれたゆえに、「人に頼るのが下手」という人だっているでしょう。
■大人なら誰の子どもでも世話をする、バカ族の子育て
「人が頼るのが下手」になった経緯はさておき、そういう、「自分のことは自分でできて当たり前」、「人に迷惑をかけるのはよくないこと」と躾けられてきたり、正しいと思ってきた人は、いざ子どもを産んで、育児が始まると壁に突き当ってしまいがちです。なぜならば、子どもを育てることは、ひとりで行うようにできていないからです。
NHKスペシャルの書籍化である『ママが非常事態!?~最新科学で読み解くニッポンの子育て』(ポプラ社刊)によると、アフリカ中部の国カメルーンのジャングル奥地で暮らしているバカ族の間には、今なお、太古の人間の子育てが受け継がれているといいます。
その養育の形は「共同養育」であり、母親のそばにいる子どもは、授乳を必要としていたり、まだハイハイをしている乳児だけ。歩けるようになった子どもたちは母の元を離れ、自由にあちらこちらを動き回っているといいます。その子どもたちのサポートをしているのは、近くにいる大人たちで、誰が誰の子かもわからない状態だというのです。
なぜ、この「共同養育」という形式が確立したかというと、多くの子どもを産み育てることが目的でした。700年前に誕生したわたしたち人類は、常に外敵に狙われる弱い存在であり、そんな弱い種である我々が生き残るためには、多くの子を産み、育てなければならない。だからこそ「共同養育」という形が生まれたのです。
バカ族の中では「大人なら誰の子でも世話をするというのが自然なこととして受け入れられている」(『ママが非常事態!?~最新科学で読み解くニッポンの子育て』P.80L12-13より)そうです。満員電車の中に連れていくことが「配慮がない」とされたり、グズり出した瞬間に「出ていけ」と言われる現代の日本とはまるで違った社会の形です。
■出産後に、不安や孤独を感じるお母さん
出産後、多くの母たちは不安や孤独を感じるそうです。
これは、女性ホルモンの急激な変化によるもので、これが育児鬱を引き起こすキッカケともなり得ます。なぜ産後に女性ホルモンに苦しめられなければならないのか。実は、それこそが、人類本来の子育てである「共同養育」というキーワードを実行させるための仕掛けであるそうなのです。
「出産後の赤ちゃんを抱えた母が不安や孤独を感じれば、誰かと一緒にいたい、誰かと一緒に子育てしたいという欲求が高まると考えられています。つまり、共同養育する仲間を見つけさせ、わが子を他者にゆだねられるように、不安や孤独を感じさせる仕組みがあるのだと、研究者たちは考えているのです」
『ママが非常事態!?~最新科学で読み解くニッポンの子育て』 P85L6-10)より
けれども、今の日本では多くの家庭が夫と妻、そして子どもだけの核家族の形を取っています。
「共同養育」とはかけ離れた形です。もちろん、出産の際には里帰りしたり、実母や義母に手伝いに来てもらったりと、他人(多くは近親者の女性)の手を借りることもありますが、それでも1週間から長くてひと月くらいのもので、その後、核家族の母親を待っているのは、孤独な子育てなのです。
もちろん、“イクメン”などという、流行言葉で一括りにするのが失礼なほど、子育てに参加してくれる父親も増えてはいます。しかし一方で、子育てに参加することが、どう考えても不可能といえる労働環境にある男性も少なくないでしょう。いくら親として責任の半分は男親にあるといっても、育児に関われる時間が取れないという実状にあることは、誰もが知っているひとつの事実。
私的な話に戻すと、その点においては、我が家は比較的、恵まれていたと思います。
デザイナーの夫は多忙ながらも、ある程度は自分で調整ができるワーキングスタイルです。だから、生後おおよそひと月の新生児の時期を終えて、浴槽での入浴ができるようになった時点で、「夕方の息子の入浴担当」は夫の役割になったし、自宅作業を増やしてもらったお陰で、トイレに行きたいときや、食事の支度の間は、息子を見てもらうこともできました。
しかし、その代わりに夫は土日も仕事です。バーも経営しているので、夜も家にはいません。産休中、わたしの生活の中心を、育児に置いていたので、さして問題はありませんでしたが、仕事に復帰した際に困ったのは「もしも夜や土日に取材が入ったら、どうしたらいいの?」ということでした。
また、夫は毎晩、自営のバーで仕事といえども酒を飲み、人と会っている。一方で、わたしは、ずっと息子とふたりきりで、なんの情報も入ってこなければ、夫と息子以外の人と会って話す機会すらない。
「わたしだって、これまで作ってきた交友関係を断ち切りたくもないから、飲み会にだって行きたい。わたしはこの子がひとりでお留守番が出来る年齢になるまで、夜や土日は、ひとりで外に出られないの?」といくら夫に詰め寄っても、「俺は夜にバーに立つのも仕事だから……」とあくまでも逃げ腰。どうすればいいのだろう、と悩んだ結果、産前に登録してあったファミリーサポートを活用することを決めました。
■たくさんの女性に助けられた
ファミリーサポートとは、保育施設までの送迎や自宅での預かりなど、頼り先がない親のサポートをしてくれる、市区町村の育児支援事業です。
預かってくれるのは登録している会員の方で、多くが自らの子育てを終えた女性たち。費用は利用できる自治体によって変わってきますが、民間のベビーシッターを雇うよりもずっと安いと思います(ちなみにわたしが住んでいる中野区では1時間平日800円、土日祝1000円です)。
もちろん他人にわが子を預けることに関して、最初は心配で仕方がなかったし、「わざわざ子どもを預けてまで、遊びに行って、母親としていいのかな」という葛藤の気持ちもありました。けれども、預けてみると、正直なところ、いいことしかない。
リフレッシュすることで普段は育児を思い切りがんばれるし、夫に対して「自由にできてズルい」という気持ちもなくなった。また、うちの場合は、いつも決まった方にお願いしているのですが、「ハイハイで移動するスピードが速くって、運動神経が良さそう!」「今日は絵本を読んだら、とても喜んでいました。ご本が好きなんですね」というふうに、一緒にわが子の成長を見てもらえることが、とても嬉しい。
すべてがファミリーサポートでまかなえるわけではありません。
例えば熱を出したとき。保育園には登園できないし、ファミリーサポートも急には使えない。けれども、取材の日程はずらせない。夫は仕事……そんなときに助かったのは女友達の存在でした。途方に暮れて「どうしよう」とSNSに書き込んだところ、女友達のひとりが「面倒見てるよ」と立候補してくれたのです。まさか友達がそんなふうにヘルプを買って出てくれるとは思っていなかったので、驚いたけれど、本当にありがたかった。
友達が助けてくれたのは、そのことばかりではありません。息子を連れての、恐々の慣れない外食に付き合ってくれたのも女友達でした。ストレスで破裂しなかったのは、女友達のお陰です。
息子を産んで以降の1年は、たくさんの女性たちに助けられた1年でした。
すでに子どもを育たせた人、育児中の人、出産していない人、未婚の人、どんな立場であっても女性たちが、不安と孤独の中にいた、わたしに助けの手を貸してくれ、子を可愛がってくれ、産前と同じくワインで乾杯してくれた。こんなにも人に頼った年はないと思います。
そして女性たちの優しさの、ありがたみを感じた年もない。だから思うのです。この借りは、優しくしてくれた人たちと、そして、次の新しく母親となる女性たちに返そうと。
人に頼るのが苦手なはずでした。
人に頼るのは嫌なはずでした。
けれども頼らざるを得なかった結果、誰かにこの優しさをパスしたいと思うようになりました。子育ての話にしてしまったけれども、必ずしもそれだけに限りません。人生の中盤以降、人の手が借りられるか、借りられないかで、生きるしんどさがまったく変わってくる。だから、みんな、もっと人に甘えていい、甘えてほしい、と思うのです。