自分ファーストな母でいる。“私”を犠牲にしない「逆算的子育て」の話
人生を舞台に自分という人間を演じる方法を提案する短期連載【日々、女優】。#4では子どもとの関係において、ありたい自分の演じ方を考えます。「◯◯の前ではこんな自分でいたい」。そんな風に、自分自身の理想とするあり方を未来から逆算して創造すると、人生がよりカラフルで愛おしいものいなるはずです――。
人生を舞台に自分という人間を演じる方法を提案する短期連載【日々、女優】。「◯◯の前ではこんな自分でいたい」。そんな風に、自分自身の理想とするあり方を未来から逆算して創造すると、人生がよりカラフルで愛おしいものになるはずです――。
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今回は子どもにとってどんな母でありたいかを考えます。
以前のDRESSのコラムで公表したように、私は妊娠ファースト・選択的未婚シングルマザーという生き方を選んで、現在11カ月になる女の子の子育て真っ只中にいます。
あのコラムを書いて以降、昔の職場の後輩や疎遠になっていた友人から「実はあの選択に興味があって、もっと詳しく話を聞かせてほしい」と次々に連絡をもらうようになりました。
この生の反響を受けて、母になる選択は新しい時代に突入しつつあると肌で感じています。代々引き継いできた考え方や文化的習慣や社会的な常識を打ち破り、自分の望む幸せのあり方を堂々と選択していいんだ――女性たちが自分たち自身に、そういったことを許し始めているような価値観の変化です。
きっと日本も、あと10年もすれば、未婚で母になるフランス的な選択が当たり前になっていると思いますが、なにせ私のところに相談にくる30〜40代の女性たちには、あと10年も猶予が残されていません。
■女性一人ひとりが、自分が最も心地よい生き方をつかむ時代
子どもの父親となる相手がどのような人物なのかを軽視するつもりはありません。でも、結婚そして出産という順序を重視し過ぎるあまり、結婚相手を品定めすることに時間を浪費するよりも、女性たちが「自分にとって一番心地よい生き方は何だっけ?」と、世間体とか人の目は脇に置いて、自分自身の本音と向き合える時代に突入しつつあるのです。
とはいえ、未婚で母になる選択って、実際はやっぱり大変なの? 辛いの? 嫌な思いをするの? 周りの反応はどうなの? とみんないろいろな心配や不安を抱えていて、だからこそ、私に直接話を聞いて情報を集めた上で、最善の選択をしたいと思っているようです。
相談に乗ったひとりの女性から、「絵里さんの子育てを一言でいうと、お母さんのハッピーを優先するということですね」と言われました。同時に、私の話を聞いて、みんな共通してとても驚いていました。
子育てに関して今まで聞いてきたのは、「子育ては自己犠牲の上に成り立つ」「子どもを持つと自由がなくなる」「子育ては大変で辛い」、という話ばかりなのに、もし絵里さんの経験している子育てが真実なら、子どもを産んで育てることを本気で前向きに考えたい、と口を揃えて言うのです。
■人に頼っていいし、ラクしていい。そう思えたら子育ては楽しい
では、私がどんなことを考えて子育てをしているかをお話しします。
母親が健全な精神を持っていれば、シングルマザーで子育てをすることは全く辛いことではないと感じています。自分がその立場になるまで気付かなかった行政&民間のセーフティーネットやサービスがたくさんあります。
人に頼ったら負けという変なプライドを捨てて、大いに人に頼っていい、他人の手をたくさん借りてもいい、無理せずラクしていい、と母親が自分に許可できれば、この日本で子育てすることはとても楽しくて難しいことはないというのが私の持論です。
例えば、離乳食ひとつをとっても、私は市販のレトルトの離乳食をフル活用しています。子どもを生む前は、自分が口にするものには最新の注意を払い、レトルト食品は絶対に買わなかった私が!
■自分の幸せを犠牲にしなくても、子育てはできる
ある日、久しぶりに会う友人に、彼女の仕事が終わる17時から、私の自宅から徒歩5分のところにある、お酒も飲める野外のテラスがある素敵なお店に誘われました。
小さい赤ちゃんがいたら17時からのお誘いに乗らないのが普通です。でも、私は二つ返事で「行く行く!」と答えました。
だって毎日夕方から出かけているわけじゃないし、天気の良いGW後半の夕暮れどきに、私もテラスで素敵な気分を味わいたい。それを「赤ちゃんがいるのに?」と誰が咎められるでしょうか?
案の定、席に座って会話が弾み始めた矢先、赤ちゃんがぐずり始めました。そう、いつも夕食をあげている時間になったのです。私は、会話が途切れないように意識を研ぎ澄ませながら、マザーズバッグからレトルトの離乳食を出して、娘に与え始めました。
私のその姿を見て、美意識に基づく厳格な食生活を送っていた過去の私を知っている友人は、「絵里さんもレトルトとか使うんですね」と驚いた様子で聞いてきました。
私は、決して子どもの健康に無関心ではないし、栄養の知識も人一倍持っているつもりですが、自分の幸せを犠牲にしてまで、子どもに手作りご飯を与えるという信念を貫くことはありません。
もし私が有機野菜厳守、手作り厳守だったら、夕食どきにまたがる今日の誘いは断らなければいけません。でも、私がレトルトでもOKと柔軟になれたら、私も久しぶりに素敵なレストランに行けて、会話が楽しめて、さらに赤ちゃんもいろんな人にかわいがってもらう機会が得られるのです。
■「娘に感じてほしいこと」を逆算して子育てしている
「どんな母になりたいか」と聞かれたとき、私は答えられません。というのは、自分の理想とする母親像が具体的にあるわけではないからです。
でも、私の中に揺るぎなくあったのは、「ママは、私のために自分の幸せを犠牲にして育ててくれた」と絶対に娘が感じるような子育てはしないということ。自分の母としてのあり方は、この子が成長する過程でどんな感情を持ってほしいかを逆算して考えました。
そして、娘に何を感じてほしいかを箇条書きにしました。それは次のようなものです。
・私は望まれて生まれてきた
・私は愛されている存在
・私は、パパとママの愛の中で生まれてきた
・ママは私がいるからとても幸せそう
・ママは私が大好き
・ママはいつも楽しそう
・大人になるって楽しそう
・私はなんでもできる
・私は人を喜ばせることができる存在
・私は祝福されている
・人生は楽しい
これらを踏まえて私がしていることを紹介します。
1.シッターサービスをフル活用する
私が一番はじめにシッターサービスを利用したのは、娘が生後2カ月のとき。理由は、ジムでパーソナルトレーニングを受けるため。出産までに14キロ増えた体重は、出産して2カ月経っても6キロほどしか減っていませんでした。
その状態は、私にとってまったく心地よいものではありませんでした。母の友人たちが口を揃えて言う「子育てしてたら勝手に痩せるわよ」という言葉は、学生のときに言われた「大人になったら勝手に痩せるわよ」くらい信じられないもので、この状態を何とかしようと生後2カ月目からトレーニングを始めたのです。
トレーニングの1時間と前後30分の移動時間の合計2時間、娘をシッターさんに預けて、外の空気を吸ったときの開放感は今でも忘れられません。
抱っこ紐もベビーカーも、ママバッグもなしで、“私という個”だけで外を歩きながら、まだ太っているのに身体がすごく軽く感じて、「私は自由だ。私は幸せだ。かわいい赤ちゃんもいて、自分のために時間を使える。なんて人生は素晴らしいんだ」と心の底から思いました。
シッターサービスを利用していると言うと、他人に預けるのは不安ではありませんか? という質問をよくされます。私自身が10年前にシッターサービスを起業していた経験があるからかもしれませんが、娘をその日に初めて会うシッターさんに預けるという不安はまったくありません。
いつも私の中には、「娘は絶対に大丈夫」という根拠のない自信と娘に関わってくれる他の人への信頼しかないんです。
心配すればいくらでも心配できるけれど、心配することが娘を守ることにならないし、心配することが不安を解決することにもならないと考えています。それよりも、私は自分が心地よくあるために、娘は守られているという自信と信頼を選択すると決めています。
2.無意識に「ごめんね」と言わない
また生後4カ月のある夜、私は初めて19時から自宅で娘をシッターさんに預けました。理由は、ビルボードライブ東京に音楽を聴きに行くためです。素晴らしいライブのひとときが終わり急いで家に帰ると、シッターさんの報告では、20時からすっかり熟睡していますよ、とのこと。
私はホッとして娘の寝姿を見に行くと、私の声を聞いた瞬間、娘は目をパチっと開けたのです。そのとき、赤ちゃんでも、寝たフリをするんだなと思いました。
きっと、ママはすぐには帰ってこないと悟って、シッターさんも気持ちよく寝かしつけてくれるし、フリというよりも本当に寝ていたのでしょうが、熟睡まではできない。意識のどこかではママの帰りを待っていて、ママの声が聞こえた瞬間にパッと目を開けてママを確認したんだと思いました。
私は娘が目を開けた瞬間、娘をベビーベットから抱き上げて、「ありがとう。ママとっても楽しかったよ」と言いました。こういうとき、私は絶対に「ごめんね」とは思わないし、言いません。
もしここで「ごめんね」と言ったら、娘は、「何か謝ることがあるの?」と思うでしょう。でも、お母さんが大人の時間を過ごして、信頼できるシッターサービスを利用して、赤ちゃんはあったかいお布団の中で寝ることができている。
このどこをとっても、誰も悪くないし、悪いことはひとつもありません。「ごめんね」の要素がゼロなのに、母親が無意識に「ごめんね」と言ってしまうことは、赤ちゃんの潜在意識に罪悪感を植え付けることになると考えています。その罪悪感が積み重なって、ママは自分の幸せを犠牲にして私を育ててくれたという気持ちになってほしくないからです。
3.パパの悪口を絶対に言わない
以前コラムにも書いたように、父親が誰でもいいから子どもが欲しいと思ったのではなく、娘が生まれる前に彼と出会って、彼のDNAを引き継ぐ子どもを授かりたいと思いました。
だから、娘はパパとママの愛の中で生まれた、というのが事実であり、そう感じてほしいので、パパの悪口を思ったこともありませんし、娘に向かって言ったこともありません。
口癖のように「○○ちゃんはママの宝物。パパの宝物。ジィジとバァバの宝物。みんなの宝物」と語りかけています。私はシングルマザーでパートナーと一緒に暮らしていません。夜中の授乳も土日のオムツ交換も入浴も食事の支度も、赤ちゃんのお世話をするのはすべて私です。
もし、その状況に不満があって状況を変えたいのなら、話をするべき相手はパートナーであり、赤ちゃんではありません。赤ちゃんにお父さんの愚痴を言ったところで、何も解決しないし、きっと赤ちゃんはこう思うでしょう。「なんでママはパパのことが嫌いなのに私が生まれたんだろう?」って。
4.自分の睡眠と休息を最優先する
産後数週間目のある夜、いよいよ体力と気力の限界、このまま行ったら、育児ノイローゼになる、娘をかわいいと思えなくなる恐怖に襲われました。
だけど、近くに愚痴る相手もいなければ、私の代わりに赤ちゃんを抱いてあやしてくれる人もいません。
そこで私が考えたのは、娘に状況を伝えて協力してもらう方法です。そこで、娘を抱き寄せ、娘に向かってこう言いました。「○○ちゃん。ママもゆっくり寝たい。○○ちゃんもゆっくり寝て、明日の朝、たくさんミルク飲もうね。お願い。ママに協力して」
協力を仰ぐのと同時に、彼女の中にまだ何も習慣がないのだから、習慣づけるのは私次第だと思って、18時になったらテレビを消して、家の照明をすべて暗くして、娘を抱いて寝かしつけることをしました。
そして、娘を寝かしつけるときに、腕の中で娘を抱き、ゆらゆらしながら、子守唄の代わりに、こう語りかけました。「ありがとう、愛してる、楽しい、うれしい、幸せ、大好き」。
『水は答えを知っている−結晶にこめられたメッセージ』という本で以前読んだことがあります。言葉にも波動があって、「バカ」とか「死ね」と語りかけられた水の結晶は乱れて、「ありがとう」や「愛している」と語りかけられた水の結晶は見事に美しいバランスになる。
それが本当か嘘かはわかりませんが、人間の体も70%が水分でできているのだから、もし本当なら娘の心が落ち着くだろうと考えました。テレビを見ながら無言で寝かしつけるよりは試してみる価値があるかなと思ったのです。
協力のお願い、「水は答えを知っている」の言葉がけ、18時消灯の習慣づけ、そのどれに効果があったのかわかりませんが、生後2カ月目からは、夜中に一度授乳するものの、夜は18時半から朝5時まで熟睡してくれるようになり、徐々に起きる時間が伸びて、今では夜の睡眠は10〜12時間連続で寝てくれるようになりました。
この睡眠のおかげで、私の体力が回復し、精神的にとても楽になったのはいうまでもありません。
■子どものために自分を犠牲にする=いい母親だろうか?
このように、私の子育ては常識からずれているかもしれません。でも、これが、選択的未婚シングルマザーを選択し、子育てにおいて最初から誰かに期待することもなく、その期待を裏切られる経験をすることもなく、自分で自分の感情をコントロールし、体調を管理し、疲れを癒すしかない。
そう覚悟が決まっていたからこそ編み出した私なりの子育て方法です。一貫してあるのは、母である私が心地よいことを優先すること。そのために、赤ちゃんのためと思って無理をしないこと。そもそもひとりで何でもするのは無理だから、どんどん人に頼る、ということ。
多くの母親は子どものために自分を犠牲にします。自分を犠牲にするのはいい母親のあり方だと思っているからです。しかし、私はそう思いません。自分が我慢したときの感情は、いずれ怒りに変わります。
その怒りはいずれ多かれ少なかれパートナーや子どもに向かって爆発し、怒りが外に放たれなければ内側にこもって、自分には価値がないとか、自分の楽しいことがわからないという満足しない気持ちを持った人生を送ることになります。
怒りや不満ばかりを感じる原因は、パートナーでも子どもでもなく、自分自身が自分の最も大事な責任である、自分が気持ちよくなることを優先する、自分の喜びを大切にすることを放棄したからです。
■いつも幸せそうな自分でいる。それを最優先に考えるあり方
私はこの言葉をいつも心に留めています。
「他人はあなたの幸せを作り出すことはできません。他人は、あなたと、あなたの幸せを分かち合うことができるだけ。あなたの喜びはあなたの中にある」
私の思い通りに私を幸せにしてくれるのは娘でもなく、パートナーでもありません。私の幸せは私に責任があり、娘もパートナーも私の幸せを分かち合うためにいてくれる存在なだけ。これが自分の深いところで経験と共にスッと腑に落ちれば、いつどんな選択をしたって、自分を幸せにすることは可能なのです。
そして、いつも幸せそうな人は、それだけで価値があります。まずは、自分のご機嫌を取ることが最も大事な社会貢献です。なぜなら、いつも幸せそうな人は、一緒にいる人を安心させて、一緒にいて楽しい人になり、子どもたちが人生に希望を持つ模範になれるからです。
「あなたが喜んでいるときに分け与えることなど考えなくてもいいのです。あなたから自然に愛が流れて出ているのです」
これが、娘に感じてほしいことから逆算して見出した、今、私が演じている母親のあり方です。
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