ひとりごはん

子どもが二人になってから、料理は夫に任せきりになっていた。けれど東京の一人ぐらしの時は作るのようになりました。

ひとりごはん

私は料理をつくらなかった。いや、夫と二人のときは作っていたのだが、子どもが生まれ、子どもが二人になり、仕事と育児と家事でパンクして、料理は夫に投げた。遠足のお弁当も、夫が作った。


母は愛情あまって過干渉だったので、私は母のお弁当を食べて美味しい! と思う自分が許せないと言うか、自分を追い詰める人の手料理を食べるしか生きる術のない自分をとても惨めだと思っていた。どれほど反抗しても母の手料理を食べるしかないのは屈辱だった。

歪んでいるなー
しんどい青春だった

しかしそのようなわけで、子どもに愛情たっぷりの手料理やキャラ弁を作ることはわたしにとっては暴力に近いことのようにも思えて(すごい歪みっぷり!)怖かったのだ。

それで、その不安に耐えられず、夫に任せた。夫は料理に対してそういう不健全な歪みを持っていなかったし、何とも思っていなかったので助かった。子どもたちも「ママも料理してたっけ?」などという始末で、これといってリクエストされることもなく。

ところが、今、東京で一人暮らしのときは作るのである。自分でもびっくりしたのだけど、いそいそと食べたいものを買って来ては、結構な品数を作る。と言っても一品あたり、洗う・切るの他にもう一手間くらいしかかけない素材頼みの料理だが。

ひとりだから、好きなものばかり食べる。今のところ、イワシの丸干しを焼いて、セロリをサラダにして、お味噌汁とご飯とあとはその時食べたいのもが加わると言う、同じような夕食が続いている。

ひとりでも、結構盛り上がって食べる。おいしい! とか独り言多発。
子どもたちにFaceTimeで見せると「ママすごーい こんなの作れるんだ」と絶賛される。いいことづくしだ。

皿を洗いながらしみじみ思う。どうしてこれを家族にしてあげられなかったんだろう。なんて身勝手な女だろう。なんで、あんなにしんどかったのかな。

でも、夫と子どもがいるパースに戻ると、また夫が作る。私もたまに作るけど、夫が作った方がはるかに早い。そして楽しい。

ああ、もうこれでいいかと思う。私たち家族がそれでハッピーなら、愛情たっぷりの手料理上手な母さんでなくても、いいや。それを誰に証明しようとしていたのかな、私?

ひとりでいるときとみんなでいるときを繰り返すことは、なんだか自分をふるいにかけているような感じだ。家族といるときの大粒の私と、ひとりの小粒な私。今までは区別がつかなかったけど、だんだんはっきりして来た。

分けると見えてくるものがあるけど、また私は両方を混ぜてしまう。そのどっち付かずの状態が、いちばん居心地がいいのかもしれないし、完全に分離するのを怖がっているのかも知れない。

行ったり来たりって、そんな感じ。

小島 慶子

タレント、エッセイスト。1972年生まれ。家族と暮らすオーストラリアと仕事のある日本を往復する生活。小説『わたしの神様』が文庫化。3人の働く女たち。人気者も、デキる女も、幸せママも、女であることすら、目指せば全部しんどくなる...

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