“子どもをもたないこと”はいけないことですか? 下重暁子さんの考える夫婦の形とは
「なぜ子どもを作らなかったの?」「子どもがいなくて淋しいでしょう」。こんな言葉に違和感を覚える人も多いのでは。『家族という病』などで大きな話題を呼んだ下重暁子さんは、「子どもをもたない」人生を選んだひとり。近著『わたしが子どもをもたない理由(わけ)』(かんき出版)に綴った、下重さんの家族観や夫婦観を全3回で公開します。
■子どもをもつ、もたないの選択
子どもをもつ、もたないは、その人の生き方、特に女性に関わってくる。作りたくない人には、それなりの理由があり、自分の選択に責任を持って一生を作っていくのは当然のこと、それくらいの覚悟がなければいけない。
私も、自分で子どもを作らない選択をした。私自身の考え方については後に述べるが、そんな私にも、世間の人々の中には、「なぜ作らなかったの?」とか、「子どもがいなくて淋しいでしょう」と言う人がいる。自分のものさしと、世間のものさしをもとにして、私のことを推し量る。
人それぞれ違いがあって、その違いこそが、個であり個性であるということをいくら説明してもわかってもらえないから、私はくどくど言わない。
■自分のものさしで「淋しいでしょう」と言う人たち
私が子どもを産まないことで、迷惑をかけたなら良くないが、私自身の選択で、誰も迷惑はこうむってはいない。「お子さんはまだ?」というのは単なる世間話であり、「孫の顔が見たい」などという両親の言葉は(私の両親はまったくそんなことは言わなかったが)一種の感傷でしかない。
「子どもがいなくて淋しいでしょう」に至っては、最初からいないのだから淋しいとか淋しくないとかの範疇外である。
子どもがいる人が、愛情を注げるものがなかったらどんなに淋しいだろうと想像するだけで、最初からいないものには、そうした感情はない。
私だってわかる。愛情を注いだものがいなくなったらどんなに淋しいか。私のところにはいつも猫がいた。一匹ずつだが、それが死んでしまった時の淋しさ、哀しさといったらない。特に七才で、三階のベランダから落ちて死んでしまったロミの場合、私は一年間まるで影のようだと友人知人に言われていた。ロミの落ちたベランダから、身を投げたいと思ったことすらある。
■皆同じ価値観でなければいけないのか
いたものがいなくなった時の淋しさや哀しさはよくわかる。しかし、最初から子どものいない選択をしたからには、他人様の言う淋しさは当たらない。
そこから逃げたわけでもない。私の人生の中に自分の子どもはいらないと思ったからだ。
男たちは言う。
「子どもがいたら、もっと素敵になったのに」。まだ民放のキャスターをしていた頃のディレクターの弁。
「子どもは作ってみても良かったですね」。昨年、バラエティ番組に出た時テリー伊藤さんが言った言葉。
その言い方はやさしくて、抵抗はなかったけれど。
日本では、自分と違う生き方をしている人を引きずりおろそうとする。
皆同じ価値観でないと目ざわりなのだ。
『わたしが子どもをもたない理由(わけ)』書籍情報
[公式サイト]
https://kanki-pub.co.jp/pub/book/details/9784761272555
下重暁子さんプロフィール
作家。日本ペンクラブ副会長。日本旅行作家協会会長。
早稲田大学教育学部国語国文科卒業。NHKに入局。アナウンサーとして活躍後フリーとなり、民放キャスターを経たのち、文筆活動に入る。ジャンルはエッセイ、評論、ノンフィクション、小説と多岐にわたる。公益財団法人JKA(旧:日本自転車振興会)会長等を歴任。
著書に、60万部を超すベストセラーとなった『家族という病』(幻冬舎)をはじめ、『持たない暮らし』(KADOKAWA/中経出版)『母の恋文』(KADOKAWA)、『「父」という異性』(青萠堂)、『老いの戒め』『若者よ、猛省しなさい』(集英社)などがある。
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