パートナーの愚痴ばかり言う人は、自分の評価を下げている
のろける人があまりいない。それはのろけると相手の気分を害してしまうと思っているからではないだろうか。ならば謙遜して、自分が本当は思ってもいないようなことを言うのが正義なのだろうか。
「女子会」も年齢を重ねると話の内容は変化してくる。
30代にもなれば、子供や保険、健康の話が主になってきて、本当に「女子会」ではなく「婦人会」と呼ぶべきだなあ、と思ってしまう。
しかし、変わらず話の中心になるのが、好きな人や彼氏、夫の話だ。
好きな人について話しているときは、相手は自分のことをどう思っているのか、どうやったら両想いになれるかなどキラキラした話題が多いが、彼氏や夫となると、愚痴ばかりになり、どこか場もくすんでくるような気がする。
……昔はあんなに好きだって言ってたのに? 愚痴しかないの?
■「のろけ」はうっとうしい?
振り返ってみると、のろけってあまり聞いたことがない。というより、自分に関すること、周りにいる人たちについて褒めることがほぼない。
例えば、「お子さん、かわいいですね」と言ってもなかなか「そうでしょう? とてもかわいいんです」という言葉が返ってくることは稀だ。こうした返事をしてきたとしても、その人はどこか申し訳なさそうな表情をしている。
恋人についてもそうだ。「優しそうな人だね」「カッコいいね」と言っても、「そんなことないよー! あの人ったらね……」と愚痴になる。
本当に愚痴を言いたいなら別だ。相談に乗れることもあるかもしれない。しかし、無理をさせていないだろうか。
「ここで彼を誉めたりしたら、空気読んでないって思われないかな。引かれたりしないかな」と。
■「愚痴は盛り上がる」は良い文化か?
恋人の愚痴についてひとつ話せば、「私のところもそうなの!」「本当に困るよね」「どうしたらいいんだろう」と会話が転がりやすい。
ところが、恋人を褒めたところで、「へえ、そうなんだー、いいね」となるだけで、褒めの同調は起こらない。そこで「私の彼もこんなところが素敵でね……」とはならないのも不思議なところである。
でも、これは日本人に顕著なことのようで、外国の人と話すと「どうしてそんなこと言うの? 君は彼のことが嫌いなの?」と悲しそうな顔をされてしまう。彼らはとても素直に恋人のことを褒めるし、褒め慣れているからか自然。
日本は謙遜しすぎて、素直に褒めるのが下手だし、「愚妻」だとか「愚作」と自分の周りのものまで一緒にへりくだって伝えがちだ。
■身内や恋人は自分の所有物? いいえ、他人です
「うちの夫が」「うちの妻が」と言うけれど、夫婦は一番身近にいる他人だ。パートナーについて悪く言うことで、自分の評価も下げる。
言いすぎかもしれないが、「この人は誰かのことを平気で悪く言える人なのだなあ」、なんて。謙遜をするのが当たり前という風潮だけれど、しすぎると自分の足を引っぱることになる。
自分の身近な人の長所を端的にプレゼンできるほうが、他のことについても公平な目で見ている人だなあと思われるのではないだろうか。
そもそも、その場の空気に合わせようとして、思ってもいないことを言うのは嘘を吐いているということにはならないのだろうか。同調圧力が真実を言うことを阻む。そもそもそんな空気を生み出してしまう場所が悪だ。
私だったら、自分の妻のことを「愚妻」などと空気を読んで言う男性とは結婚したくないし、もし言っていたのがわかったら、「自分に見る目がなかったんだな」と素直に別れを告げるようにしたい。